僕たちの店

 

 九月に入り、アムステルダムで働く時間が長くなり、九月の下旬には、月曜日の朝にJ君と空港で落ち合ってロンドンからアムステルダムに飛び、金曜日の夕方に英国に帰ってくるという生活になった。アムステルダムでは、倉庫の中にある自動倉庫を、顧客のコンピューターに接続する仕事を請け負っていた。その正式稼動が、十月の中旬に決まり、その日が近づいて来たのだ。

 

 自動倉庫は、九千パレットを格納出来る棚と、そこからパレットを出し入れするベルトコンベア、無人搬送車、クレーンなどから成り立っていた。プロジェクトには、機械装置を納入したドイツの会社、それを動かす制御システムを作ったオランダの会社、倉庫の運営管理者である僕の顧客、それと倉庫の貨物の荷主、以上四つの会社が関与していた。それぞれの会社でシステムを構築し、それを他の会社のシステムとお互いに接続し、テストを重ね、最後には自動倉庫全体が有機的に動くという、結構複雑なプロジェクトだった。

 自分の設計した物が、結果として、物の動きという形で現れるのは、なかなか感動的だった。初めて全部のシステムをつないでのテスト。パレットをコンベアに乗せて、バーコードをスキャン、スキャナーのボタンを押す。一秒後、予定通りパレットが動き出した一瞬を僕は今でも忘れない。それは当然の結果だし、まだそれから色々あることは分かっていたが、それは、とても嬉しい瞬間だった。「やったー」と僕は小さな声で叫んだ。

 

 J君と僕は、会議に出席し、他社の打ち合わせをやり、プログラムを変更するという頭脳労働の他、テストのためのパレットやカートンを用意し、それにバーコードラベルを貼って回るという肉体労働にも精をだしていた。幸い、J君も肉体労働は苦にならない様子、時間を見つけては、フォークリフトの運転の練習に余念がない。倉庫の作業員からも好かれているようだった。

 

 J君と僕は五週間連続で、アムステルダムの倉庫で働いた。その間はずっとホテル住まい。楽しみと言えば、食べることしかない。昼食は職場の近くのカフェテリアで食べ、夕食は仕事が終わってから顧客から借りている車で、レストランへ繰り出した。

 J君は、毎日同じものを昼食に食べた。「キップサテ」(鶏肉のピーナッツソース掛け)だ。いくら宗教上の理由で、鶏肉しか食べられないと言っても、他に注文するものは一杯あるのに。よほど気に入ったのだろう。

 夕食は毎日のように、アムステルフェーンと言う町のインド料理店に行った。そこの料理はともかく、そこのお姉さんがきれいな人で、J君がすっかり気に入ってしまったのだ。(彼は既婚なのに)家族で経営している店で、ご主人のお嬢さんだったのだが、日本人の僕から見ても、実に可愛い女性だった。今日はどこで夕食を食べようかとJ君に尋ねると、

「『僕たちの店』に行こう。」

といつも彼が言った。ある夜、その店に行くと、そのお姉さんがいない。経営者に聞いてみると、先週結婚したとか。その夜、J君は少し元気が無いように見えた。

 

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