オランダ人とは

 

 自動倉庫が稼動してからも、二週間僕はアムステルダムにいた。J君はロンドンに戻った。システムが安定するまで、現場に居て、何か問題が起こったときにすぐ対処するというのが僕の主な役目だった。倉庫の隅にある自動倉庫の制御室には、僕の他に二人の人間がいた。自動倉庫と周辺装置のメーカーから派遣されているドイツ人のホルスト、その制御システムを担当しているオランダ人の青年ヤープだ。最初の数日は色々と問題が起き、飛び回っていた三人だが、二週間目には暇を持て余し始めていた。

 

 ヤープは、自分のPCでロックを鳴らし、キーボードを叩きながら、時々空いた手でリズムをとっている。彼は、仕事時間中、ずっと自分のPCから音楽を流し続けている。彼だけではない、オランダのオフィスへ行くと、どこでも低い音ではあるが、ラジオが常に鳴っている。これはオランダの文化なのだろう。日本だけだはなく英国やドイツでも、オフィスで勤務時間中にラジオを鳴らしているのは、見たことがない。(いや、聞いたことがない。)

 

 ホルストはブレーメンから来ている。彼とはドイツ語でよく話した。時々、彼が、

「モト、コーヒー飲まない?」

と誘ってくれる。ふたりでキャンティーンへ行き、コーヒーを飲みながら話をした。

彼が、ドイツの労働安全局の作った、「フォークリフトの安全な扱い方」というヴィデオを見せてくれた。「安全な扱い方」と言うより、こんなことをしてはダメですよという「べからず集」みたいなものだ。フォークリフトの免許を取ったばかりのお兄ちゃんが、学校で教わったことを忘れて、無茶をする。コメディー風に作ってあるのだが、人間が串刺しになるは、頭が飛んで、頸からピューピュー血が噴出すは。とにかく、「キル・ビル」か「座頭市」を思い出させる、鮮血乱れ飛ぶヴィデオだった。僕は、J君が、フォークリフトの運転の練習をしていたのを思い出した。J君にこのヴィデオを見せなくてはいけない。

 

倉庫の中を眺めると、実に色々な顔をした人たちが働いている。オランダは他民族国家だとつくづく思う。英国にも他民族国家だ。しかし、インド人、中国人、黒人が中心。オランダの人たちを見ると、多数派がなく、まんべんなく色々な国から来ているという感じがする。一緒に働いていた何人かは「スリナム」から来たと言う。かつてのオランダ領だった南米の国だと言うが、それがどこにあるのか、見当もつかない。

昼食に、高速道路のサービスエリアに行ってみた。モダンなセルフサービスの食堂で、中国人らしい親父さんが、大きな丼に入ったうどんらしきものを箸で食べていた。他民族国家を象徴するような風景だと僕は思った。僕もそのうどんらしきものを食べてみたくて、捜したが、どこにもない。あのおやじさんは、一体どこで買ったのだろう。

 

十月二十八日、僕は最終的にオランダを後にした。年初からこのプロジェクトがあり、休暇を取っていなかった僕は、両親に会うために、二日後に日本へ旅立った。フランクフルト経由の飛行機で、僕は朝の関西空港に降り立った。空港の建物から外に出て、空気がなんて柔らかいのだろうと、僕は驚いた。 (了)

 

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