想像力の芸

舞台と、「かぶりつき」の場所を確保する観客。

 

開演の直前、場内整理のおばさんが、

「あと二分で開演です。立ち上がってください。」

と触れ回っている。

「えっ、ということは、疲れても座れないの。」

と思いながら立ち上がる。自分だけ座っていて、周りが立ち上がれば舞台は見えない。

ファンファーレが鳴り響き、俳優が、舞台に飛び出す。「お気に召すまま」(As You Like It)の始まりである。最初は公爵の宮廷の場面。と言っても、グローブ座には、大道具、書割、照明そんなものが一切ない。(ついでながらマイクロフォンもない。)舞台を「宮廷」やその他の場所にしてしまうのは、ひたすら俳優の演技力と観客の想像力なのである。

例えば夜の場面でも、舞台が暗くなるわけではない。

「ああ星がきれいだ。」

「夜鳴き鳥が鳴いている。」

などという台詞から、

「ああ、今は夜なんだなぁ。」

と観客が頭を切り替えることにより、「夜」になるのである。

 そのあたり、落語と似ていると思う。僕は、今は亡き関西の爆笑王、桂枝雀さんの落語が大好きなのだが、枝雀さんは落語の枕(冒頭)でよく、

「落語は想像力の芸でございます。」

と言っておられた。場面が変わっても、物理的には何も変わらない。落語家が座布団の上にチンと座っているだけ。観客が想像をたくましくすることにより始めて、場面転換が行われる。落語は、まさにその想像力の上に成り立っている芸なのである。

 暑い最中に冬の話がかけられる。落語家の演技力と、観客の想像力で、「寒い」雰囲気が醸し出される。名人になると、真夏に冬の話をして、観客に一度脱いだ羽織を着せることができたという。(客席の後ろの方は冷房が効きすぎていた、という「オチ」もあったが。) ともかく、グローブ座は、俳優の演技力と並んで観客の想像力が試される、ちょっと大袈裟な言い方をすれば、「芸の原点」とも言える場所なのである。

 それでも多少の舞台装置はある。舞台には何本も丸いギリシアのパルテノン宮殿風の柱が立っているのであるが、最初の宮廷での場面では、黒い布が巻かれている。途中で森の場面になると、この黒い布が落ちて、木の地肌がでる。これにより、舞台の柱は、石柱から森の木へと「変身」するのである。

 しかし、予期せぬハプニングにより想像力が妨害されることもある。例えば鳩が舞台に舞い降りるとか。鳩ぐらいはご愛嬌だが、ヒースロー空港に向かう飛行機が上空を通過すると、俳優たちの声が聞きとりにくくなる。思わず上空を見上げて、飛行機の影を目で追ってしまう。途中で遠雷が聞こえたのは、偶然とは言え、なかなか効果的な演出であった。

 

左がロザリンド(ナオミ・フレデリック)、右がシリア(ローラ・ロジャース)、グローブ座HPより。

 

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