第六章 鳥は飛び、魚は泳ぎ、そして

 

 「フォルクスヴァルド走ろう会」の集合地点の幼稚園の玄関には、走ろう会専用の掲示板があった。大概コーチのラルフがレースの案内を貼り出し参加希望者がそこに名前を書くという目的や、チームの誰かが新聞に載るような活躍をしたとき、その切り抜きを貼り出す目的に使われていた。ケルン駅で皆で歌った数日後、明日はロンドンに戻るという日の夕方、僕は夕飯の後、一年間住んだアパートを出て、歩いて幼稚園に向かった。夜八時と言うのに、太陽はまだ輝いており、木漏れ日が美しい夕方だった。その日は練習日でないので、幼稚園の中庭には人影がなかった。長く伸びた木の陰だけが芝生の上に揺れていた。掲示板に僕は自分の書いたドイツ語のメッセージを貼り付けた。

 

「明日、ミキはロンドンに去ります。皆さんと森を走った楽しい時間を二度と忘れません。皆さん、これからも元気に走りつづけてください。僕もロンドンで走り続けます。秋にはマラソンを走りに必ず戻ってきます。

どこにいても、『鳥は飛び、魚は泳ぎ、そしてミキは走る』」

 

 最後の一節は「人間機関車」として戦後間もない頃に長距離ランナーとして活躍、一九五二年にヘルシンキオリンピックで長距離三冠を達成したエミール・ザトペックの言葉の引用である。新聞記者に、あなたはどうして走るのかと質問された時、とっさに「鳥は飛び、魚は泳ぎ、そして人は走る」と答えたと言う。ちょうど昨年僕がドイツへ来て走り始めた頃、ザトペック氏は亡くなった。その死を伝えるニュースの中で、この言葉が何回か繰り返されていた。僕はこの言葉がとても気に入っていた。「どうしてエベレストに登るのか」と聞かれて「そこに山があるから」と答えた登山家の言葉と合い通じるものがある。僕が走るのに他の理由はない、単に走りたいから走るのである。走ること自体が目的なのである。その気分をこれ以上よく表している言葉はないと思う。

 坂を登り、アパートに戻るとき、その坂道を懐中電灯を照らしながら走って登ったことを思い出した。涙が少し出て、木の陰が滲んだ。

 

 家族の待つロンドンに戻った僕は、一年前と同じように、郊外の家から毎朝シティーの会社に通い始めた。会社でも、ユーザーからの苦情を受け、壊れたコンピューターを修理し、ジミー横山と口論をする、一年前とほぼ変わらない時間が過ぎた。しかし、僕の生活で一つ大きく変わった点があった。それは、週二回、五時には仕事を放り出し、事務所を抜け出して、地下鉄に飛び乗り、家に着くや否や着替えて、近くにある公園を走るようになったことである。日曜日も必ず六時半には起きて、妻や子供たちが寝ている間に、独りで公園の芝生の上を走った。

 練習場所に公園の芝生の上を選んだのには理由がある。僕は高校の頃、駅伝の練習でアスファルトの上を走りすぎ膝を痛め、それ以来、時々走った後に左膝が痛んだ。芝生の上なら、膝にかかる衝撃が少しでも緩和されて、故障をする確率が少ないと思ったからである。

大都会でありながら広い芝生の公園や森があちこちにあるロンドンは、ジョッガーには持って来いの場所と言える。僕が練習場所に選んだ公園は、家から十分くらいの距離だが、周囲を一周するだけ四キロメートルはあるという広大な場所だった。ロンドンの街中のハイドパークやリージェンツパークは、昼休みともなれば、近くのオフィスから昼飯もそこそこに飛び出したジョッガーで賑わっている。また、少し北には広大なハムステッドヒースの森が横たわっており、そこもジョギングのメッカである。僕の同僚の中に夕方その森の中で道に迷い、遭難しかけたという変な経験をした者がいた。やっとのことで森の出口に辿り着いたら、ネオンがキラキラの商店街だったと言う。

 ひとりで一時間、二時間と走っていても、自分がひとりきりだと言う感じがしなかった。まだ生きている人間にこんなことを言うのも変だが、自分の後ろに口ひげを生やしたディーターや、軽快な足取りを刻むトーマスや、長身のミヒャエルや、十五歳のマティアスの亡霊が一緒に走っているような、彼らに取り囲まれて走っているような気がした。走りながら、常に彼らと会話をしていた。森の中を走った日のように、彼らが常に励ましてくれていた。

 英国の天気は変わりやすい。公園の中を走っているとき、にわか雨に会った。大粒の雨が当たり、肩や腕が痛い。僕はあごを引き、身体を前に倒して、雨を避けるようにして走り続けた。二十分ほどでにわか雨は通り過ぎた。太陽が顔を出すが、空の半分はまだ黒い雲に覆われている。僕は顔を少し上げた。公園の向こうの森の上に大きな虹がかかっていた。こんな端から端までくっきりした虹を今まで見たことがあっただろうか。広い公園だが、周りには誰もいなかった。僕はこの虹を自分が独占しているようで嬉しかった。虹に向かって僕は走り続けた。

 ある日曜日は霧の深い朝だった。視界は五十メートルもあるだろうか。両側の木々がシルエットとして、自分の横を通り過ぎていく。これは夢の中なのだろうか。先ほど起きて、着替えて、靴を履いて、家を出てきたのも、ひょっとしたら夢だったのではないかと言う錯覚に陥る。霧が晴れるにつれ、太陽の輪郭がぼんやりと空に現れる。最初の日光が差し込む瞬間、ほっとした気分になる。

 

僕は十月にW市であるマラソンに申し込んだ。そのために、とにかく長い距離を走り込んでおこうと考え、仕事が終わった後、週二回、公園の中を辺りが暗くなるまで走った。八月も半ばを過ぎると日はどんどん短くなり、夕闇が近づいてくる時間が早くなってきた。この世の終わりのような夕焼けの濃い赤い空の下を走っているとき、僕はふと太宰治の「走れメロス」を思い出した。沈む夕日と競走しながら「日はまだ沈まぬ。」叫びながら走っているメロスと自分を思わずオーバーラップさせて、僕は少し苦笑いをした。そして、自分の足が疲れてきて、足がもつれるのを感じて「メロス」ではなく「メロメロス」だなどという洒落を思いつき、ひとりで声を出して笑った。 

 

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