良い天気の定義

 

 その日の夜は、ノイスという町に住むドイツ人の友人宅に泊めてもらうことになっていた。夕方までにはまだ時間があるので、僕はボンの旧市街をブラブラしていた。風が強くて少し肌寒いが、陽光が眩しい。レコード店でドイツの歌手のCDを探したり、日本の父母に絵葉書を書いたりして時間を過ごした。

ぼちぼち駅へ向かおうと思い、マルクト広場に差し掛かると、ばったり川口さんに出会った。デュッセルドルフに住む僕と同い年の彼は、昨年もこのマラソンを一緒に走り、今年もご一緒させていただくことになっている。厳密に言うと「一緒に走る」と言うのは正しくない。彼は、僕よりうんと速いので、スタート後あっという間に見えなくなって、ゴールまで顔を見ることはない。川口さんはゼッケンを受け取り、これからデュッセルドルフまで車で帰るところだった。僕の友人の住む場所はデュッセルドルフのすぐ近くなので、川口さんの車に同乗させてもらうことにした。マラソンを控えた前日は、何をしても翌日のことが気になって気分が落ち着かない。話し相手がいるのは気が紛れて好都合なのだ。

「明日は曇り空で、気温も低いと良いですね。」

車の中で川口さんに言うと、彼は、カラッと晴れて暖かいほうが走りやすいと言う。人それぞれ、得意なコンディションがあるようだ。

 単身赴任の川口さんの食料品の買い物に付き合い、その後、ノイスに住む友人、デートレフの家まで送ってもらった。ドイツでマラソンを走る時は、いつも彼の家に泊めてもらっている。彼もランナーなので、何かと話題が一致して好都合なのだ。昨年、僕は怪我をして秋にマラソンを走れなかったし、ドイツに出張もなかったので、彼と奥さん、息子さんに会うのは一年ぶりだ。息子のセドリックはもう五歳。久しぶりの再会に話が弾む。

 マラソンの前日はいつも奥さんが夕食にパスタを出してくれる。しかし、その日食欲不振が続いている僕は、軽く一皿食べるので精一杯だった。夕食のときにビールは飲んだが、それ以外の酒はお断りして、息子さんの部屋のベッドに入る。酒は分解時に血液中の水分を大量に消費し、脱水症状の元凶だ。ベッド横取りしてごめんね、とセドリックに言うと、

「いいのよ。今夜はお父さんとお母さんと一緒のベッド寝られるから、かえって嬉しいの。」

と奥さんのビアンカが言った。

 翌朝、六時十五分、ビアンカのノックで目を覚ます。リビングルームへ行くと、セドリックももう起きていて、母親の膝の上にちょこんと座っていた。窓から外を見ると、曇が厚く、小雨が降っていて、肌寒い天気。風もない。つまり、絶好のマラソン日和だ。

「やったー。今日は僕の天気だ。」

と叫ぶ。それを聞いたセドリックが、

「こんな天気僕は嫌だ。外で遊べないもの。モトは変な天気が好きだ。」

と言った。しかし、変態だと言われようが、良いものは良い。「天も我に味方せり」と言うわけで、また少し元気が出た。朝食の際、食欲のないのは相変わらずだったが。

 

<戻る>