盗まれた財宝

モスクの中で、女性はスカーフをしなければならない。

 

 二月二十一日、土曜日、午前六時に目が覚めた。ロンドン時間では午前四時だが、前夜は十時にブラックアウト状態で寝てしまったので、八時間の睡眠。かなりすっきりしている。妻と娘はまだ眠っているので、独りで外に散歩に出る。天気は良いが、気温はかなり低い。十五度以下か。昨日の午後はTシャツ一枚で歩けたのに。道端で人々がバスやマイクロバスを待っている。その横で、湯を沸かし、茶を売っている少年がいる。茶は小さなガラスのコップで供され、人々はそれに大量の砂糖を入れて飲んでいる。

 八時にマユミと階下の食堂へ行く。スミレはまだ眠っている。早い時間の食堂は団体客で満員だった。スペイン語、ドイツ語、イタリア語などが聞こえてくる。

 その日は十時に、ユキとカイロ考古学博物館の前で待ち合わせていた。八時半にホテルを出て、タクシーで「エル・ギザ」駅まで。そこから地下鉄に乗り、「サダト」という駅で降りる。地上に出ると、考古学博物館のピンクの建物と、ナイル・ヒルトンの白い建物が見える。前日通った場所なので、勝手は分かっている。

 交通が順調過ぎて、九時過ぎには考古学博物館の前に着いてしまった。時間があるので、ヒルトンホテルのATMで金を下ろし、ホテルのロビーで待つことにする。博物館の前や、ホテルの前には、車止めが何箇所もあり、装甲車が停まり、金属探知機が備え付けられており、機関銃を持った兵士が警戒に当たっている。

 ロビーで、ひとりの男性と同席する。パレスチナ人、現在米国のデトロイトで働いていて、里帰り中だと言う。僕たちがロンドンから来たこと、これから博物館を訪れる予定であることなどを話し、ロンドンの大英博物館にも沢山古代エジプトの物が展示されているという話になった。そのパレスチナ人の男性は、

「あれは全部、盗まれた物なんだよ。」

と言う。確かに、十九世紀後半からに二十世紀の初頭にかけて、英国人は大量の歴史的な遺物を、はっきり言って「無断で」本国に持ち帰った。まあ、そういう意味では、大英博物館の展示品は、エジプト人の目から見ると、殆ど「盗品」と言って良いわけだ。英国人の言い分は、

「あんたたちが大切にしないで、荒らされ放題になっているから、持ち帰って保管をしてあげて、その歴史的な意味についても研究してあげているんだ。」

と言うことになろうか。それも一理ある。あのロゼッタ石にしたって、解読したのはフランス人だ。エジプトに残っていれば、今頃、どこかの農家の漬物石になっていたかも知れない。難しい問題だ。その後考古学博物館を訪れて、その困惑は益々深いものになった。

 十時少し前にヒルトンホテルを出て、隣の博物館に向かう。道々、スミレが母親に、「イスラエル建国とパレスチナ難民」について説明している。先ほどのパレスチナ人の男性が、英国に対して好感を持っていないことには、歴史的な背景があるのだ。博物館の門の前にユキが待っていた。ひとり六十ポンドの入場料を払い、カメラを預け、中へ入る。

 

バザールの中。人で一杯だ。

 

次へ> <戻る>