爆弾テロが

エジプト人は豊かではないがたくましく生きる人たちだった。

 

 飛行機は十一時半にパリのシャルル・ドゴール空港に到着。そこで十四時五十分発のロンドン行きを待つ。スミレが、

「カイロも良かったけど、文明の中に帰ってきたみたいで、正直ホッとするわ。」

そう言った。待っている間に僕は何枚かの絵葉書を友人と日本の家族に書く。

 僕は基本的に、知人の住む場所へ旅行するのが好きだ。これまで、インドの田舎、米国のロサンゼルスとシカゴ、オーストラリアのブリスベーン、ソロモン諸島のガダルカナル島などへ行ったが、どれも知り合いを訪ねて行ったものだ。そこに住んでいる人と一緒にいると、普通の観光客が見られないような一面を見ることができるし、情報を得ることができる。今回のカイロ滞在は、「地元民」ユキがいたことで、二倍にも三倍にも楽しめたと思う。普通の観光客ならば、アラビア語を知らない限り、マイクロバスにさえ乗れない。その意味でも、僕たちにフルにアテンドしてくれたユキには、感謝の気持ちで一杯だ。

アラビア語は、出発前に、ミニ辞書を買って、少しでも解読してやろうと思ったのだが、難しすぎた。個々の文字と読み方はある程度覚えたが、続けて書かれるとまだ判読できない。コーランはアラビア語で書かれている。そして、アラビア語以外では書かれていない。それが、何百もの言語に翻訳されている聖書とは大きな違い。アラビア語はアラーの神の言葉を伝える、特別な言葉なのだ。

「僕の学校に来ている外国人の学生も、回教徒で、本当にコーランを理解したいがためにアラビア語の勉強に来た人が多いんですよね。」

とユキが言っていた。

 エジプトで古代に作られた石像を見たが、立っているものは必ず左足を前に出している。いかにもこれから歩き出そうとしているように。それについては色々な説があるらしい。これも今回勉強したことだ。また、何度も書いたが、アラブ人は皆悲しそうな眼をしているのも印象的だった。これまで彼らの民族が辿ってきた運命が、あのような眼の輝きをもたらしたのだろうか。

 シャルル・ドゴール空港からロンドン・ヒースロー行きの飛行機も定時に飛び立ち、定時に着陸。入国審査も、荷物の受け取りも、駐車場までのバスも全てがスイスイ行き、五時にはもう家に着いていた。

 翌朝、車で会社に行く途中、ラジオのニュースで、日曜日の午後、カイロで爆弾テロがあったことを知る。ハリ・ハリーリ・バザールの前に屋外カフェがあったが、そこで爆弾が爆発し、フランス人の女性観光客が一人亡くなった。自分たちは二日前にそこにいた。街のあちこちに機関銃を持った兵士が立っていた意味が、改めて分かった。テロへの警戒だったのだ。会社に着く。同僚のアツヨに声をかけられた。

「モトさん、一足違いで爆弾に遭わないでよかったね。」

本当にその通り。ラッキーだった。今年は縁起が良いのかな。

再びヨーロッパ文明の中へ。シャルル・ドゴール空港にて。

 

(了)

 

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