雪を見ていたギリさん

 

 昨年の十一月頃から年末まで、英国では気温は高いがずっと雨模様の天気が続き、あちこちで洪水が起こった。今考えると、十一月と十二月はロンドンで一度も青空を見なかったような気がする。新年に入って、今度は打って変わって天気が良くなった。青空が広がる。しかし同時に気温もぐっと下がり、朝は地面や車が真っ白な霜に覆われるようになった。

 そんな一月のある日、その日は朝早くには寒くて青空だったが、少しずつ雲が広がってきた。そして昼前には雪が降り出した。オフィスで向かいに座っているY君が

「わあ、ちょっと窓の外、見てくださいよ。」

と私に言う。私が目を上げて窓ごしに空を仰ぐと、灰色を背景に無数の白いものが舞っている。立ち上がって外を眺めると、ロンドンでは珍しい吹雪であった。

 キッチンへ行くと、何人かがコーヒーを淹れている。彼らは空を見て、「これじゃあ、帰り道が心配だね」と言い合っている。私の職場ではほぼ全員が自動車通勤である。滅多に雪の積もらないロンドンでは、誰の車もスノータイヤなんて履いていない。このまま雪が降り積もると、帰り道は、事故と渋滞で、とんでもないことになることが予想された。

 皆が空を見てため息をついている中で、ひとりだけ、キッチンの窓際に立ち、外を眺めてニコニコしている人がいた。インド人のギリさんである。彼は昨年インドの会社より派遣されて、私たちと一緒に働いている。

「ギリさん、あんたひょっとして、雪を見るの、初めてなの?」

同僚の一人のサイモンが彼に尋ねる。ギリさんは微笑を浮かべたまま頷いた。

 その日午後まで雪はやまなかった。私の職場の近所では三センチくらいしか積雪がなかったが、場所によっては十センチくらい積もったらしい。皆が、空を眺めて舌打ちしている中で、ギリさんはその日、一日中、ずっと嬉しそうな顔をしていた。

 このギリさんの話を、ある友人にした。彼女が大学時代、マレーシア人の留学生がいて、その南国生まれの彼も、生まれて初めて雪に遭遇したそうである。そのとき、マレーシア人は、カメラを持ち出し、辺りの雪景色を、片端から写真に撮りだしたという。

 初めて見る雪、ギリさんも、マレーシア人も、とても嬉しかったのだと想像する。「王様と私」というミュージカルに、英国人の家庭教師が、タイの子供たちに、雪と氷について説明するけれど、子供たちはそれを信じない。その場面を思い出した。今はテレビがあり、南国に住む彼らも、映像では雪を見ているだろうけれど、実際に自分の目で見るのは、格別なのだろう。

 日本人が、そんな嬉しい気分になれるのは、何を初めて見たときであろうか。やはり、オーロラか。北極圏へ行って、オーロラを見たら、きっとその日のギリさんのように感激するだろうと想像した。そうしたら、ぜひ一度オーロラを見に北の国へ行ってみたくなった。