ベートーベンハウス

ボンのミュンスタープラッツに立つベートーベンの銅像。

 

 テントを出てから、息子と応援団の面々と一緒にカフェに入り、話をする。息子のワタルは、友達も多く、皆に好かれているようで、安心をした。特に、女の子達に。

僕がボンを訪れるのは三回目、前回はマラソンを走っただけで観光はしていない。妻は初めて。それで、少し市内観光をしてみることにした。息子と応援団の若者たちと別れる。ボンと言えばベートーベン。彼の生誕の地である。妻と僕はベートーベンハウスを目指して歩き始める。途中のミュンスタープラッツに立つ銅像はもちろんベートーベン。フルマラソンのランナーがちょうど街中を通過している。ひとつの道路を渡るにも、延々と続くランナーが途切れるまで辛抱強く待たねばならない。

ベートーベンハウスは、石畳の小路に面した、ごく普通のタウンハウスであった。中に入ると、当時の楽器や、ベートーベンの書いた譜面、手紙などが展示してある。一階の通りに面した部屋が、小さなコンサート室になっており、一番前にグランドピアノ、五十くらいの椅子が並んでいる。両側の壁には白黒の写真がぎっしり。フルトベングラー、トスカニーニに始まり、カラヤン、ベーム、ホロヴィッツ、ルビンシュタインから最近のアバド、パバロッティ、オザワまで、二十世紀の指揮者、独奏者、独奏者の写真である。中庭には資料館があった。三階の一番奥の部屋が、ベートーベンの生まれた部屋とのこと。

結構立派な家である。しかし、翌日のピアノレッスンの際、先生のヴァレンティンから、ベートーベン一家は、この家を全て使っていたのではなく、三階の奥の部屋、つまりベートーベンが生まれた部屋の辺りを、間借りしていたに過ぎないことを知った。一家は貧乏だったのである。ヴァレンティンがこの辺りに詳しいのには理由がある。彼、ヴァレンティン・シーダーマイヤーはもちろんピアニストであるが、彼の祖父、ルードヴィヒ・シーダーマイヤー氏もボン大学の音楽の教授で、何とこのベートーベンハウス資料室の創設者なのであった。

僕はコンサート室の椅子に座って目を閉じた。小さな音で、ベートーベンのピアノソナタが流れていた。

昼から、天気が回復し、気温も急激に上昇した。後半にさしかかったマラソンランナーにはきついコンディションであろうが、普通の人間には気持ちが良い気候である。朝から歩き回って少し疲れた。十五時二十二分発の、インターシティーにはまだ間がある。駅の横の噴水のある広場に座り込んで、少しウトウトとする。妻がリュックサックの中から紙包みを取り出している。 

「誕生日おめでとう。」

妻はそう言って、その紙包みを僕に差し出した。そう言えば、今日は僕の誕生日。妻はわざわざプレゼントをロンドンから持ってきていたのである。紙包みを開けると、紺色に白のストライプのセーターが入っていた。

プラットホームで列車を待つ。街と同様に小さな駅である。この街が、かつて西ドイツという大国の「首都」であったなんて、どうしても想像がつかない。

 

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