「七番目の波」

原題:Alle sieben Wellen

2009

 

 

<はじめに>

 

「北風に耐えて」を読み終わったとき、なかなかショッキングな終わり方に感心する一方、その結末に少しやるせないものを感じた。

「これで終わるのはちょっとあんまりじゃない。」

案の定、三年後の今年、続編が書かれた。それがこの「七番目の波」である。これもまずオーディオブックで聴いた。聴いているとレオとエミのふたりだけの世界に、彼らの波に飲み込まれてしまいそう。今回の終わり方は、果たしてハッピーエンド?

 

<ストーリー>

 

 レオはボストンにいる。彼は、自分の存在がエミの家庭と結婚生活を破壊してしまうことを恐れ、身を引いたのである。レオはメールアドレスも閉鎖してしまう。エミは何度かレオに何度かメールを打つ。しかし、帰ってくるのは

「現在はこのアドレスはお客様の都合により閉鎖されています。詳しくはシステムマネージャーにお問い合わせください。」

という自動返信メールだけであった。何回もメールを打ち、システムマネージャーからの自動返信を受け取るうちに、エミはひとつのことを考え付く。彼女は、

「アパートの電気が点けっぱなしになっている。」

というメールを打つ。そして、そのメールに対して、ついにレオからの返信が届く。

 レオはボストンで、パメラという女性と知り合ったこと、もうすぐオーストリアに戻ること、パメラもいずれ彼と一緒に暮らすためにオーストリアにやってくることを告げる。エミは夫のベルンハルトの仲を修復し、再び「幸せな」結婚生活を送り始めたとレオに告げる。

 レオがオーストリアに戻ってきた際、パメラというパートナーができた以上、悩みはまず彼女に相談するべきであり、エミはもう彼にはメールを書かないことを約束する。しかし、最後に、最後の最後に、ふたりの「尊厳に満ちた別れ」のために、一度だけ会ってくれるように頼む。レオもそれを承知し、ふたりは例の「メッセ・カフェ・フーバー」で出会う。それは二年越しの文通の後、彼らにとって最初の顔合わせであった。

 初めて会ったふたりは、想像していた相手と実際の相手のギャップに戸惑いながらも、お互いに好印象を受ける。レオは特に、これまで高飛車な喋り方(書き方?)をするエミが、実際控えめな、シャイな印象の女性であったことに驚く。会っている途中、倒れそうになったグラスを支えるため、ふたりがそのグラスに手を伸ばした。そのとき、偶然互いの手が触れ合う。エミの手と触れ合った手のひらのある部分を、その感触を、レオは大切にしておくと伝える。エミはそれを聞いて感激する。

 最初で最後の出会いのはずが、ふたりは二度目にまた会う約束をしてしまう。二度目のデートで、ふたりは完全にギャップを埋め、お互いを自然に感じることになる。ふたりは、自分たちが離れ難い関係であることを感じ始める。

 そんなある日、レオが重要な話があるので、是非会ってくれと言いだす。エミはその唐突さに不吉なものを感じる。彼女はメールに書くようにレオに言う。会ってから話すと言い張っていたレオだが、最後には折れ、エミにメールで用件を伝えることにする。

その内容とは、エミの夫ベルンハルトが、エミのメールを盗み読みしていたこと、そして、レオに対して、「一度だけ会って、セックスをしてもよいから、その後エミとは分かれるよう」に依頼していたことであった。エミは最初夫がそんなことをするはずがないと、レオの言うことを信じない。レオはベルンハルトから届いた長いメールをエミに転送する。

少なくとも、信頼と尊敬だけは持っていた夫が自分を欺いていたこと、また、レオと夫が自分に隠れて「密約」を結んでいたことに、エミは大きな衝撃を受ける。

 エミは深夜にレオのアパートを訪れる。そして、レオと肉体関係を持つ。しかし、その行動は、彼女をもっと絶望の淵に追い込んでしまう。エミは、「おしまい」という言葉を残し、メールから去る。

 

 数ヵ月後、エミはレオに数通のメールを送る。エミはカウンセリングを受けている。レオをついにそのメールに応える。そして、エミがベルンハルトと別居して、独りでアパートを借りて住んでいることを知る。

 レオは二週間後にパメラがボストンからオーストリアに越してくることを告げる。しかし、レオがパメラと暮らし始めることに何となく不安を感じていることを、エミは感じ取る。あと二週間、ふたりは秒読みをしながら、お互いの心理を分析しあうような、激しい内容のメールを交換する。ふたりは一日相手にする質問は一個だけというルールを設ける。エミはレオが自分のことをパメラに全く話していないことを不満に思う。パメラがオーストリアに着く前の晩、ふたりは最後に十分だけエミのアパートで会う。

 

 エミはベルンハルトとカナリア諸島で休暇を過ごす。レオはパメラと暮らし始める。ふたりはお互いを「文通相手の友人」と位置づけ、ふたりとも「無風状態」と名付ける、そんな生活を続けている。

そんなある日、レオはパメラがホームシックになったので、一度ボストンに戻ると告げる。しばらくして、ボストンからのメールが届く。そこには、パメラにエミのことを語ったと書いてあった。

「何でも最悪のタイミングでやる人だわ。」

エミはそう呟く。果たして、エミの予感は当たっていた・・・

 

<感想など>

 

 海岸に打ち寄せる波。いつも同じように打ち寄せているように見える。しかし、良く観察すると、一番目から六番目までの波は同じでも、七番目は、つまり七回に一回は、ちょっと変わった波が来るという。「パピヨン」という映画で、孤島の監獄に入れられた主人公が、波を見ながらそう語ったと書かれている。つまり、毎回同じようなパターンを辿る人生でも、七回に一度は予期せぬ転機が待っているということになる。

 エミは、夫ベルンハルトとふたり、休暇でカナリア諸島を訪れ、そこのホテルのバルコニーで打ち寄せる波を見ている。

「何故、わたしはこうしてあなたに書いているのだろう。それがしたいから。そして、黙って独りで『七番目の波』の来るのを待っていたくないから。ここで、避けることのできない『七番目の波』の話を聞いた。一番目から六番目の波は計算できて避けることができる。最初の波は、次々と、淡々とやってきて、驚きをもたらすことはない。継続性のある波。・・・しかし、七番目の波には注意しなくてはならない。計算することができない。単調な序章のあと、気づかれないように、先行する波たちに巧みに隠れている。そして、その波は何か砕く。七番目のその波だけが何か砕くことができる。」

 前作では、レオとエミのふたりは何度も会うことを画策するが、結局会うことはなかった。しかし、この本では、ふたりは最初にあっさりと会ってしまう。そして、計七回会うことになる。最後の七回目の会合で、何かが「砕かれる」ことをこのタイトルは暗示をしているのである。

 前回の「北風に耐えて」では、レオとエミのふたりは親しくなっても「あなた」(Sie)で呼び合っていた。しかし今回は最初から「きみ」「おまえ」(du)で呼び合っている。それが、自然に聞こえる。ふたりの関係が新たな段階を迎えたというべきであろうか。

 「北風に耐えて」で、ふたりは何度も会う約束をしながら、結局一度も直接会話を交わすことがない。さて会おうとすると、直前に決まって何かが起こる。それは恋愛小説によくある「すれちがい」のテクニックである。しかし、今回は早い段階から、ふたりは会ってしまう。この当たり、「同じテクニック二度使いませんよ」という作者の主張が感じられて面白い。しかし、ふたりが会ってどんな話をしようとも、それが直接語られることはない。その後、ふたりのメールによって、デートの様子が「反芻」あるいは「再現」されるのを待つしかない。

 はっきり言って、オーディオブックを聴いている間、筆者はレオとエミのふたりの世界に没入していた。ふたりとも、ドイツ語圏の人間であるから、理屈っぽい。

「どうして、こんな些細なことについて、一生懸命議論を戦わせるの。」

と思うこともあった。しかし、ふたりのメールは楽しめた。通勤の車の中で「北風」と「波」を二週間かかって聞き終えたわけであるが、筆者はその二週間、車の中で、笑い、考え、そして泣いた。

 

20098月) 

 

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