奇跡のカウンセリング

Die Wunderübung

(2014)

 

 

<はじめに>

 

マリッジカウンセリングを題材にしたコメディーであるが、もちろん、その手法が研究し尽くされており面白い。実は私もマリッジカウンセリングを受けたことがあるが、そのときのことを思い出して、結構似たことをどこでもやっているのだと思った。

 

<ストーリー>

 

ドーレック夫妻は、マリッジカウンセリングに来ている。妻のヨアナは四十歳前後、夫のファレンティンは少し年上である。ふたりはそれほど広くない部屋の中で、離れられるだけ離れて座っている。男性のカウンセラーは、四十歳から四十五歳。カウンセリングは沈黙から始まる。

「ボチボチ始めませんか。」

と、少ししびれを切らせた夫に対して、

「何か話したいことがあるから、カウンセリングに来られたのでしょう。」

とカウンセラーが水を向ける。妻が気の乗らない夫を無理矢理連れてきたということが分かる。

「このままお帰りになってもいいのですよ。」

とカウンセラーは言う。しかし、ふたりはカウンセリングを受けることにする。カウンセラーは、

「何をやれば良いのかを見つけることはお手伝いしますが、それをやるのはあくまであなた方の努力によるものなのです。」

という点を強調する。

 

「このカウンセリングが、もし、相手に何か成果をもたらすとすれば、それは何ですか。」

とカウンセラーは尋ねる。妻は、

「夫は自分のやっていることが全て正当化され、これまで通り生きられれば満足するでしょう。もちろん、家庭内のやっかい事は全て妻に任せて。」

と答える。

「私が膝をついて『愛しい妻よ、許してくれ』と言うことを妻は望んでいる。」

と夫は語る。

「『愛しい妻』だって。言ったこともないくせに。」

と妻が茶々を入れる。

「このカウンセリングがもし、自分自身に何か成果をもたらすとすれば、それは何ですか。」

という問いに対して、夫のファレンティンは「静けさ」と答え、妻もそれに同意する。かくして、「静けさを得るにはどうすればよいか」を当座の目標に、カウンセリングは始まる。

 

早速エクササイズをしようとするカウンセラーに対して、ファレンティンは、

「もっと自分達のことを知っていた方が良いんじゃないでしょうか。」

と提案する。カウンセラーは夫婦に、お互いを紹介させる。その結果、ヨアナとファレンティンは結婚後十七年が経ち、十五歳の娘と十三歳の息子がいること。娘のことで手を焼いていること。ヨアナは専業主婦で、ファレンティンは航空産業の技術開発のリーダーであることが分かる。

「責任のあるお仕事なんですね。」

というカウンセラーの言葉に、

「彼が『責任』を感じるのは仕事場だけなのよ。」

と妻は皮肉る。ともかく、ふたりとも、十七年前には、相手が魅力的な人間であったことは認める。

 

 最初のエクササイズが始まる。ふたりは近づいて座り、互いの掌を合わせて、一点を見つめるか目を閉じる。そして、ある朝起きたら、奇跡が起き、ふたりが理想の状態になっていたことを想像する。そのエクササイズの後、妻は、

「一瞬夫にポジティブな気持ちを持ったけど、それが何かを確認する前にそれは消えてしまった。」

と述べる。

その後、ふたりはお互いの過去を攻撃し合う。ファレンティンは数年前、ブリジットという女性と浮気をしていたことが明らかになる。

「確かに俺は悪いことをした。だから俺は浮気を止め、お前に何度も謝ったじゃないか。それをどうして今蒸し返すんだ。人間、一度くらいは過ちを起こすものだ。ここは過去の問題ではなく、現在自分たちが直面している問題について話す場だ。」

と言う。その後、

「お前だって、付き合っていた男がいたじゃないか。」

と夫は口に出してしまう。これが、火に油を注ぐ結果になってしまう。

「あれは、あんたと付き合う前の話よ。自分の『浮気』と一緒にしないでよ。」

激しい言い争い、罵り合いを続ける夫婦の間に、カウンセラーが、

「役割交換!」

と言って割って入る。

 

カウンセラーは、二人に普段の会話を夫は妻の役割を演じ、妻は夫の役割を演じて再現するようにと言う。ふたりは、「仕事を終えて遅く帰って来た夫を妻が迎える」というシチュエーションを再現する。

「お帰りなさい、また遅かったのね。」

「会議が長引いてね。夕食は何だい。」

「まだ作ってないわ。だって、子供たちのことで忙しかったんだもの。」

「そうかい、じゃあ俺はこれから中華料理でも食いに行ってくる。」

「じゃあ私たちはどうなるの。」

「お前、中華は嫌いなんだろう。」

そんな会話を繰り返すうちに、ふたりは疲れ果てる。ふたりとも余計に気が滅入った様子だ。

 

 夫は、

「何か悪いことは全て自分の責任にする。」

と妻を非難し、妻は、

「夫はやっかい事は自分に押し付け、自分は何の責任も負わない。」

と反論する。カウンセラーは妻に拳(こぶし)を作るようにと言う。

「この拳はあなたの心です。憤りや、悲しみが詰まっています。ご主人、この拳を開いてみてください。奥さん、ご主人から何らかのサインを感じたら、拳を開いてください。」

夫は力ずくで拳を開けようとするが、それができない。夫は諦めてこう言う。

「この拳は、ペンチでもなければ開かない。」

妻は怒って言う。

「この拳は私の心なのよ。あんたの心で開くものなのに、それをペンチだなんて。」

 

 カウンセラーは、ふたりの初めて出会ったときのことを尋ねる。ふたりはエジプトで休暇を過ごしているとき、スキューバダイビングのクラスで出会ったと言う。ふたりは、ダイビングのパートナーとして一緒に海に潜った。

「ウェットスーツを着ているあんなセクシーな男性には初めて出会ったわ。」

「当時はおまえの全てが素晴らしかった。」

とふたりは、昔の思い出にふける。ふたりの間に何か暖かい空気が流れる。しかし、それは一瞬だけだった。

「しかし、あれは水の中だけだったのかも知れない。」

「水から上がって来ない方がよかったのよ。」

ふたりはまた激しい口論を始める。疲れ果てたカウンセラーは、ふたりの間に再び割って入り、

「十五分間休憩します。休憩中は別々にいてください。」

と、一時休戦を宣言する。

 

 休憩の後、夫婦は一層離れて座っている。アイフォーンを持ったカウンセラーが現れる。声の調子が変わっている。

「どうかしたんですか。顔色が余りよくないですよ。頭でも痛いんですか。」

と尋ねる夫に対して、

「何でもありません。さあ、続きをやりましょう。」

とカウンセラーは答える。しかし、カウンセラーはどこが上の空のところがある。再び大丈夫かと尋ねられたカウンセラーは、

「ちょっと、個人的なトラブルがあったんですが、大したことはありません。大丈夫です。」

と言う。

「どうしも上手く行かないなら、どうして別れないんですか。」

とカウンセラーは突然切り出す。ふたりは驚く。

「そんな極端なことまでは考えていません。だからカウンセリングに来たんじゃないですか。」

ふたりは声を揃えて叫ぶ。

「さっきまではポジティブなあなたが、どうして急にそんなネガティブなことを言いだすんですか。」

とふたりはカウンセラーに詰め寄る。

「実はアニカが、妻のアニカが・・・」

カウンセラーは、休憩時間の間、妻が自分の元を去るというメッセージを、携帯に送ってきたと言う。

「あなたに別の女が出来たの、それとも、彼女に別の男が出来たの?」

と言う問いに対して、カウンセラーは、

「これはあくまで自分たちだけの問題なんです。」

と否定する。

 ヨアナはカウンセラーに携帯に残されたメッセージを読むように言う。カウンセラー渋々読み始める。

「あなたは素晴らしい人、完璧な人。それだけにあなたとは摩擦がない。摩擦がないと熱が起こらない。その寒さに私は耐えられない・・・」

彼はそこで泣き崩れる。そこに携帯が鳴る。発信者は「アニカ」と表示されている。カウンセラーの妻である。ヨアナとファレンティンは自分たちの立場も忘れて、カウンセラー夫婦の危機を何とか救おうとし始める・・・

 

<感想など>

 

カウンセリングの内容や、エクササイズの内容を見て、マリッジカウンセリングの「勘どころ」というのが分かったような気がした。それは二点あり、

  いかに相手の身になって考えられるか

  いかに初心に帰れるか

と言うことだと思う。

この物語でカウンセラーは、先ず「夫がこのカウンセリングから期待しているであろうこと」を妻に語らせる。夫にはその逆をやらせる。また、夫の紹介を妻にやらせ、妻の紹介を夫にやらせる。良いこと、悪いことの両方を語らせる。また、口論(お互いのののしりあい)が激高してきたときには、役割をチェンジして、その続きをやらせる。例えば、「仕事から帰ってきたのに夕食が準備されていない」状況において、ふたりの間で普段交わされている会話を、役割を交換してやらせるのである。これらは、全て「相手の身になって考える」という練習であろう。お互いの立場になって考えるというのが、夫婦の間だけではなく、同僚や友人、親戚の間でも、上手くやっていく上で、一番大切なことなのだろう。

また、

「ご主人の良い所は。」

という質問になかなか答えられない妻は、

「十七年前ならいっぱい言えたんだけど。」

と言う。

「じゃあ、十七年前に戻ったつもりで話してください。」

とカウンセラーが言う。また、カウンセラーは、ふたりが初めて出会った事情、そのときの気持ちを尋ねる。結婚した当時、もちろんふたりは好き合っていたわけであるから、そのときの気分を思い出させるというのは、理にかなっている。これもマリッジカウンセリングの常道だと思う。

 

 このカウンセラー、休憩の後、人が変わったように、ポジティブからネガティブになってしまう。ヨアナ、ファレンティンが心配を始める。カウンセラーは、妻から別れ話を持ち出されたと白状する。ヨアナ、ファレンティンは久々に「協力」して、カウンセラーへの説得を試みる。しかし、休憩時間に「妻からの別れ話」のメールが入るなんて、タイミングが良すぎるではないか。読者の殆どが、これは「芝居」、「エクササイズの一種」と疑い始める。果たして「作戦」なのか「偶然」なのか、それがストーリーの最大の興味となる。

 オーディオブックで聴いたが、九十九パーセント、会話だけで構成されたている。そもそも、これは喜劇の脚本なのである。従って、「読む」よりは「聴く」方が「正しい」受容の仕方であると言える。オーディオブックでは、グラッタウアーの前作に引き続いて、アンドレア・ザヴァツキーと彼女の夫のクリスティアン・ベルケルが「夫婦」を演じている。何時もながら、アンドレア・ザヴァツキーの話術には魅了される。

 

20147月)

 

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