ドイツ語で読むシェークスピア

「ハムレット」

ジョン・エヴァレット・ミレー、「オフェーリア」

ロンドン、テートギャラリー

 

<はじめに>

 

 「ハムレットは『ソープオペラ』である。」とドイツ・アマゾンがその紹介に書いていた。読んでみて、その言葉に納得。愛、憎悪、復讐、嫉妬、それらが複雑に絡み合い、次から次へと新たな展開を見せていく。まさにそこは「ソープ」の世界。時間の無駄だから見ないでおこうと一度は思っても、筋の展開がどうも気になって、また見てしまう。それこそテレビ局の思う壷。そんな雰囲気のある作品。現代人が「ソープ」に「はまる」ような感じて、当時の人々はこのストーリーに「はまって」いたのではないだろうか。

 ドイツ語で読んだので、(ちょっとすねてみて)登場人物はドイツ語読みで表記する。

 

 

<ストーリー>

 

*第一幕*

 

 舞台はデンマーク。深夜、兵士が見張りに立っているところから舞台は始まる。兵士たちの前に、数ヶ月前に亡くなった先王、ハムレットの亡霊が、甲冑に身を固めて現われる。(BBCのテレビで見ると、完全武装の亡霊はちょっとガンダムか鉄人二十八号風。)亡霊は、何か言いたそう。しかし、何も語らずに、朝を告げる鶏の鳴き声と共に立ち去る。いきなり亡霊の出現、なかなかショッキングな幕開きである。  

デンマークでは、先代の国王が亡くなり、その弟が跡を継いでいた。弟クラウディウスは何と死んだ兄の妻であったゲルトルードを后として迎えていた。つまり、ゲルトルードは、夫の死後数ヶ月で、先夫の弟に乗り換えたことになる。

「これって偶然?それとも、前もって話が出来ていたの?」

誰もが勘ぐりたくなる話ではある。

先代のハムレット王とゲルトルードの間には、同じくハムレットと言う名の息子がいた。本好き、思索好きの神経質そうな若者であるが、実は剣の使い手でもある。父の死の知らせを受けて急遽留学先から帰国した王子ハムレットは、自分の母が、父の死後すぐに、叔父の妻になってしまったことに我慢がならない。基本的に、王子ハムレットは、父親を人格高潔な人物として尊敬していたが、以前から軽佻浮薄で策略家でもある叔父のことは軽蔑していた。母親が、そんなな男に簡単に乗り換えてしまったことが、ハムレットには耐えられないわけである。彼は、自分の母親の不義を嘆いてこう言う。

 

‘Schwachheit, dein Name ist Weib!’ 

「弱きもの、それは女!」 

 

亡霊を見た兵士たちは、ハムレットに、その場に来て、自分たちの見たものを本当に先王の亡霊であるか、確かめてくれるように頼む。実の息子が見れば、その真贋の見分けがつくと考えたのである。ハムレットはその夜、兵士たちと深夜、見張りに立つ。果たして、亡霊はハムレットの前にも現れた。亡霊はハムレットに付いてくるように命じ、ハムレットもそれに従う。

父の亡霊はハムレットに、ショッキングな事実を告げる。それは、自分は昼寝の最中に、弟によって毒殺されたのだと言うこと。その死は「毒蛇に咬まれて死んだ」と公表されていたのであったが。父の告白を聞いたハムレットは、叔父と母への復讐を誓う。

 

 

*第二幕*

 

 宮廷で宰相を務めるボロニウスには、美しい娘オフェーリアがいた。年の頃なら十七八。先代から仕える父のボロニウスは、なかなかの老獪な人物、狸親爺だが、彼女は可憐かつ清楚な女性であった。オフェーリアはハムレットを慕っている。ハムレットもオフェーリアを恋しているようであった。しかし、父のボロニウスはオフェーリアに対して、身分が違いすぎる恋を諦めるように諭す。従順なオフェーリアはそれに従う。彼女は、ハムレットからの誘いを、何かしらの理由をつけて断るようになる。

 父の敵である叔父と自分の母に対して復讐を誓ったハムレットのとった行動、それは狂気を装うことであった。彼は、だらしない服装をして、訳が分かるようで分からない言葉を発しながら、城内をうろつきまわる。突然のハムレットの狂気を心配した王は、ハムレットの幼馴染、ローゼンクランツとギュルデンシュテルンをデンマークに呼び寄せ、彼らにハムレットの狂気の真偽、またその原因を探らせようとする。

 ボロニウスはハムレットの狂気が、自分がオフェーリアをハムレットから遠ざけたことによるもの、つまり「恋の病」であると確信する。そして、その旨を王に告げる。

 ボロニウス、ローゼンクランツとギュルデンシュテルンは、次々とハムレットに接触し、彼の狂気の原因、あるいはその真意を探ろうとするが、ハムレットは巧みに狂気を装い、彼らをはぐらかし、尻尾をつかませない。この辺り、狂人の戯言のようで、不思議に的を得ているハムレットの言葉は、面白い。

 ローゼンクランツとギュルデンシュテルンは、ハムレットを慰めるため、旅芸人の一団を、宮廷に呼び寄せる。ハムレットは、大いに喜び、その日の夜、王を始め、宮廷の皆の前で、芝居を演じてくれるように依頼する。ハムレットはその劇を利用して、叔父と母の悪事を明らかにしようと計画する。

 

 

*第三幕*

 

 ハムレットは、このまま生きながらえて、父の敵と暮らしていくのがよいか、剣をとって、その敵に立ち向かうのがよいか悩む。

 

‘Sein oder nicht sein, das ist die Frage.’

「永らえるべきか、死すべきか、それが問題だ。」

 

彼は、この有名な台詞を吐く。 

ボロニウスからハムレットの狂気の原因がオフェーリアへの恋であると聞かされた王であるが、それを疑う。王とボロニウスはオフェーリアをハムレットに偶然を装って出会わせ、その反応を隠れて探ろうとする。

 オフェーリアと会ったハムレットは、

 

Fort mit dir in ein Nonnenhaus, was, wolltest du eine Gebärerin von Sündern sein?’

「尼寺へ行け。何ゆえ罪深い者の母になろうとするのか。」

 

と彼女に迫る。男と一緒になることにより、望む、望まざるに関わらず愛憎で悩み、その悩みをまた次の世代に伝えるよりは、一層のこと、尼寺に隠遁してしまうのが、彼女にとって本当の幸せであると。

ハムレットの狂気が本当のものであるか疑いを持った王は、ハムレットを使節として英国に送り、その土地で殺してしまうことを企む。

 その夜、宮廷では旅芸人による芝居があった。ハムレットはその芝居を、叔父と母による先代の王の暗殺事件を暗示する筋書きに書き換えていた。それを見た王は大いに立腹してその場を立ち去る。

 王妃は、ハムレットを自室に呼び、王に対して侘びを入れるように説得する。しかし、ハムレットは、反対に、母親の不義と不忠をなじる。その様子を、カーテンの向こう側でボロニウスが立ち聞きしていた。何者かが立ち聞きしていることに気づいたハムレットは、その者をカーテン越しに剣で刺す。ハムレットは、刺し殺されたボロニウスの死体を引きずりながら姿をくらます。

 

 

*第四幕*

 

 ハムレットは戻ったが、ボロニウスの遺体は依然として見つからない。王は、民衆に人気のあるハムレットを恐れ、事件を闇に葬ろうと試みる。つまり、英国行きの企みを実行することにする。ハムレット、英国に遣わせ、従者には密かに、英国に着き次第ハムレットを殺すことを依頼した、親書を持たせる。ハムレットも英国行きを承諾し、船に乗り込む。

 父の死と、その犯人が愛するハムレットであるという事実を知り、オフェーリアは気が狂う。一方、ボロニウスの息子、オフェーリアの兄であるラエルテスが父の死を知り、急遽帰国する。彼は、父の遺体がいまだに見つからないという事実と、変わり果てたオフェーリアの様子に激怒し、王の元に駆けつける。王は、全ての原因がハムレットにあることを告げる。

 ハムレットたちを乗せて英国へ向かった船は途中で海賊船に襲われ、従者たちは殺され、ハムレットだけがデンマークに逃げ帰る。ハムレットが生きていることを知った王は、驚愕する。王は、父の復讐に燃えるラエルテスを利用し、彼とハムレットを決闘させることで、ハムレットを片付けようとする。決闘の際、ラエルテスの刀に毒を塗りこんでおくという手段をとることにより。

 花を摘みにいった、オフェーリアは、川に落ちて溺れ死ぬ。それを聞いた兄のラエルテスは、父の仇というだけではなく、妹を狂気と死に陥れた者として、ハムレットに一層の憎しみを募らせる。

 

 

*第五幕*

 

 船から下りて、城に向かうハムレットは、墓堀人夫が新仏のために穴を掘っているのに出くわす。間もなく、その穴に葬られる人物が運ばれてくる。ハムレットはそれがオフェーリアであることを知り大きな衝撃を受ける。彼は思わず、参列者の前に姿を現す。ラエルテスは、ハムレットにつかみかかる。二人はその場に居た者たちによって分けられる。

 ラエルテスとハムレットは、剣の試合で決着をつけることになる。ラエルテスは、王にそそのかされ、先に毒の塗った剣を使う。

試合開始。王は勝者を称える酒の杯の中に毒を入れて、それをハムレットに飲ませようとする。しかし、王妃がそれを誤って飲んでしまう。試合はハムレットの優勢のうちに進む。ラエルテスは一本終わって引き上げるハムレットに後ろから切りかかる。ハムレットは傷付き、ラエルテスを卑怯者と罵る。その混乱の中で、ふたりの剣が入れ替わる。

 王妃は息を引き取り、ハムレットは王を刺し殺す。毒が回ったハムレットも、自分の用意した毒剣で刺されたラエルテスも、共に倒れる。こうして、悪巧みをした者、それに対し復讐をしたもの、全てが倒れ、死に絶える。

 

 

 

<感想など>

 

 人物設定で、どうもしっくりこないところがいくつかあった。

 例えば、ボロニウスの息子、オフェーリアの兄、ラエルテスは、最初はしっかりした正義感の強い青年として登場する。少なくとも、そんな印象を受ける。しかし、最後、王の薦めにより、先に毒を塗った剣を使い、またハムレットに勝てないと分かると、試合の休憩時間に後ろから襲うなど、卑怯な行いをする。その行動のギャップを、どうにも埋め合わせができない。

 オフェーリアがハムレットを愛しているのは明白だが、ハムレットがどう思っているかがよく分からない。ハムレットがオフェーリアの埋葬の場に出くわしたとき、大きな衝撃を受け、我を忘れて姿を現してしまう。それで、やっぱり、ハムレットもオフェーリアを好きだったんだと、気が付く次第。劇の中で、狂気を振舞う彼は、常にオフェーリアにはすげない。それは演技だったのか。そうすると、俳優は演技の演技をするわけだ。

 

 なかなか含蓄のある文句、考えられるエピソードが、数々散りばめられていて、ストーリーとは別に、それらの文句、エピソードを追っていくのが楽しい。

 人生の教訓になるような言葉がいたるところにあり、一通り読むと、これらから生きていくうえでの教訓が一通り得られると言っても良い。

 そのひとつの例を紹介すると・・・

 

 まず、ハムレットが、父の死後、すぐにその弟と結婚した母を諌める場面。

 

Jenes Ungeheuer, die Gewohnheit, die jegliches Bewußtsein schlimmer Gepflogenheiten aufzehrt, ist doch darin ein Engel, daß sie auch zur Übung schöner und gutter Handlungen eine Kutte oder Diensttracht bietet, die sich leicht anzieht. Seid heute nacht enthaltsam, und das wird dann die folgende Enthaltung in gewisser Weise leichter machen, die daruffolgende noch leichter; denn die Gewöhnung kann fast das Gepräge unserer Natur verändern und mit wunderbarer Kraft den Teufel zähmen oder vertreiben.  

「『慣れ』は、人から罪の意識を奪っていく怪物ではあるが、同時に善い行いを身体に馴染んだ服のようにする天使のでもある。今晩、辛くても身を慎めば、次の夜はもっと楽になり、その次の夜はもっと楽に。それは「慣れ」がいつしか人の本性となり、そして不思議な力で悪魔を手なずけることも、追い出すこともできるのです。

 

 誘惑を断ち切り、善い行いを続けることにより、その善い行いがが、最後にはその人の本性になると言う。これは、なかなか的を得ているし、今後使っていきたい台詞である。

 

 ホロニウスはパリで暮らす息子のラウルテスがどのような暮らしをしているか、家来に探らせようとする。そして、家来に対して、次のような指示を与える。

 パリについたら、ラウルテスに会う前に、先ず彼を知っている人物を探して会うこと。そして、その人物の前で、ラウルテスの悪口を言うこと。

 

Nun, Mann, folgende ist meine Absicht, und ich glaube, es ist effective Finte: Wenn Ihr meinem Sohne diese kleinen Flecken beilegt, als wäre er ein Ding, das sich im Gebrauch sozusagen etwas eingeschmutzt hat, hört Ihr, so wird Euer Gegenüber im Gespräche, derjenige, den Ihr aushorchen wollt, falls er den Jüngling, über den Ihr redet, sich der vorgenannten Laster jemals schuldig machen sah, Euch in diesem Sinne beipflichten, verlaßt Euch drauf: “Guter Mann” (oder so), oder “Freunde”, oder “Mein Herr”, je nach der ihm und seinem Lande eignen Ausdrucksweise und Form der Titulierung…

…Seht Ihr nun, Euer Lügenköder fängt diesen Wahrheitskarpfen, und auf diese Weise finden wie Leute von Versand und Weitblick mit Hakenlaufen und mit schräger Wurfrichtung auf Umwegen die rechten Wege; so sollt Ihr’s nach meiner vorigen Unterweisung und Beratung bei meinem Sohn. Ihr versteht mich doch, nicht wahr?     

「私の真意は次のようなものだ。自分では結構効果的な策略だと思っている。まず、私の息子のちょっとした難癖をつけてみる。謂わば、息子がちょっとした素行不良者であるかのように。そうすると、もしお前が話を聞こうとする相手が『話題の若者』を前に見たことがあったならば、お前の話に乗ってきて、きっとこう言うに違いない。「その方」、「友人」あるいは「その旦那」のことは知っていると。地方によって、呼び方は色々あるが。・・・

・・これでわかっただろう。つまり嘘の針で、真実の鯉を釣り上げるのだ。知恵と遠謀を持つ者は、こんな風に回り道をして、搦め手から攻めて、真実を見つけ出すものなのだ。息子についても、私の言った通りにやれば良いのだ。分かったか。」

 

引用が長くなったが、つまり、ある人物の本当の評判を聞きたければ、その人物を知っている人物の前で、ちょっとした悪口を言ってみることが有効だと言うこと。そうすれば、相手がそれに乗ってきて、自分の知りたい人物についての、良い評判、悪い評判を、洗いざらい話してくれることになる。一度、実際に使ってみたいテクニックである。

 

 この物語で、一番気に入ったのが、オフェーリアの墓を掘る、墓堀人夫の台詞である。ふたりの男がぶつくさ言いながら穴を掘っている。土の中から、先に埋められた者たちの骨が出てくる。頭蓋骨をボールのようにポイポイと無造作に放り出しながら言う台詞が振るっている。

 

Hier ist noch einer. Warum sollte das nicht der Schädel eines Advocaten sein? Wo sind jetzt seine Quidditäten und Quillitäten, seine Fälle, Besitztitel und Schliche? Warum duldet er’s nun, daß jener verrückte Kerl ihn mit einer dreckingen Schaufel auf Birne haut, und sagt ihm nichts von seiner Anklage wegen tätlichen Angriffs?

「またひとつ出てきた。これは弁護士の頭蓋骨かも知れないぞ。お得意の屁理屈やごまかしはどこへ行ったのだ。訴訟や、所有権や、トリックは?どうして、こんな気狂いみたいな輩に、泥だらけのシャベルで頭を叩かれて、黙っているんだい。どうして、傷害罪で訴えるなんてことを言い出さないんだい?」

 

どんなに立派な人物も、金持ちも、死んでしまったら、ただに汚いシャレコウベに過ぎないのだ。貧乏人が金持ちに対して吐ける、唯一の正論。

「金は持って死ねへんねんで。死んだら誰も一緒や。」

これは大阪弁で言わないと、ぴったりこない言葉である。

Quidditäten und Quillitätenを「屁理屈やごまかし」と訳したが、こんな言葉、ドイツ語にはない。英語の原文を見ると、quiddities and quillitiesとなっている。さすがに、この言葉はドイツ語に訳しようがなく、英語をそのままドイツ語風に受け入れたというわけだ。

 

テートギャラリーを初めて訪れたとき、花の浮いた水の中で死んでいる若い女性の絵がひときわ印象に残った。「オフェーリア」という題であった。ハムレットを題材にしたその絵を、この本を読んでいて、改めて思い出した。ハムレットへの愛、父の死、そしてその下手人が他ならぬハムレットであるという極限状態で、終に気の狂ったオフェーリア。彼女は、花摘みに出かけて、足を滑らせ、溺死する。その困惑の表情が、実に上手く描かれていると、改めて感心した次第。

 

シェークスピアを読む。面白いけれど、正直疲れる作業である。少しここらで軽い小説でも読んで頭を休め、回復したのち、次の作品を読もうと思う。

 

 

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