熱い石の階段

 

 スリランガムの町は、人口二、三千人くらいだろうか。レンガを積んだ屋根の低い平屋が、未舗装の道の両側に建て込んでいる。家はどれも小さく、言っては悪いが、掘っ立て小屋に毛の生えた程度である。その中で、Kの家は比較的大きい。道路に面して土間があり、その奥に大理石を敷いた居間、その奥がまた土間で台所になっていた。玄関にはバナナの皮で庇が作ってあった。

 家に着いた私は、Kと再会した。彼の顔を見て、本当にここまでやって来たという実感が込み上げてきて、涙が出そうになった。その後、お祖父さん、お祖母さん、お母さん、叔父さん、叔母さん、たくさんの従兄弟に引き合わされた。婚礼のために、親戚一同が集まっており、家の中には二十人以上の人がいた。間もなく、車で私を終点の駅まで「捜索」に出かけていたKのお兄さんのMさんも戻って来た。

 お母さんと、数人の女性が、入り口と居間に、手に握った白と赤の粉をパラパラと振りまいて模様を描いている。おめでたい時の風習とのことである、

 婚礼は三日間続くが、最初の日は夕方からとのこと。ホテルで少し休んで、時間があれば少し観光をすればと、お兄さんのMさんが提案してくれた。Mさんに車で送ってもらい、ホテルに入った。お兄さんは会社の経営者で裕福らしく、車はヒュンダイであるが新車、自分では運転せず、お抱え運転手がついている。

 昼頃、Mさんがホテルに迎えに来てくれた。昼食の後、車でツリチーの町に向かう。気温はそろそろ四十度に近いが、チェンナイよりは湿気が少なく、日陰にいるとまだ凌げる。

辺りは熱帯樹の繁った平らな場所であるが、ツリチーの町の真中には高さ百メートルくらいの岩山がそびえており、その岩山の上にヒンドゥーの寺院が建っている。その岩山が「ロック・フォート」と呼ばれており、昨夜乗ったツリチー行きの急行列車の名前はここからきている。巡礼者のたくさん訪れる場所らしい。私たちはそこに登ることにした。

 どこから登るのかと思っていると、車が洞穴の前に停まった。Mさんが私に靴を脱ぐように言い、私たちは裸足で外に出た。何と、岩がくり抜いてあり、階段のついたトンネルが通じているのである。トンネルを百メートルくらい登ると、最後の五十メートルくらいは外に階段がついている。一歩踏み出して私は思わず飛び上がった。「熱い!」四十度の気温の中、真上からの太陽に照らされた石の階段は、卵を落とせばすぐにジューっと目玉焼きができると思われるほど熱かった。

 Mさんが「走れ!」と叫ぶ。走っている途中に何度も「熱すぎる、もうだめだ」と思うが、今となっては引き返すこともできない。一番上の寺院に駆け込んだときには、めまいと、吐き気がした。四十度の気温の中での全力疾走は避けたほうがいいと思った。ショックだったのは、下から老婆が石の階段を上がってくるのを見たときである。私が立っていられなかった高熱の石段を、一歩ずつゆっくりと上がってくる。「面の皮の厚い」人間にはこれまで何度か出会ったことがあるが、インド人は「足の皮の厚い」人たちなのであった。