儀式の始まり

 

 午後八時頃、何の前触れもなく儀式が始まった。司会者がいるわけでもない。まず新郎だけ舞台に現れ、じゃあぼちぼち始めますかという感じで、僧侶たちがお経のようなものを唱え始め、それを合図にミュージシャンたちが楽器を手に取った。

 木で出来たラッパはトランペットとサキソフォーンの間のような乾いた音を立てる。演奏者は腹から搾り出すように、楽器をスイングさせて吹いている。ドラムは右と左で音が違う。右側は金属の指貫のようなものを付けた指で叩く。カタカタと音がする。左側は撥で叩く。ドンドンと音がする。ドンドン、タカタカ、タカタカ、ドンドンと左右で違うリズムを打ち鳴らすのは、かなり難しそうである。

 舞台の上の儀式は、Kと僧侶の間で何かをやったりとったり、Kは時々地面にひれ伏して、腕立て伏せのような動作をしている。それぞれの所作に意味があるのだろうが、その意味が分からない者にとっては、「何かやってるな」という感じ。また、舞台には介添え役といった人たちが常にうろうろしている。案内役件通訳のMさんはまだ独身で、結婚式の経験がないためか、儀式については全然詳しくない。

「まあ、花婿が、夫になる資格があるかどうかの資格審査みたいなもんだ。」

と一言説明しただけ。時々、英語の話せる世話好きおばさんが説明してくれるが、今度は詳しすぎて、固有名詞が多すぎて、やっぱりさっぱり分からない。

 一時間ほどして、花嫁が登場。Mさんの言う「資格審査」の儀式が始まった。その間にKとその家族は式場を離れて五十メートルほど離れた寺に行き、そこで別の僧侶からお払いを受けていた。そこで待っている間初めて蚊に刺された。熱帯であるのに蚊は少ない。夏は暑すぎて蚊も棲めないと聞いたことがある。

 儀式は三日間続く。しかし、最初から最後まで参加するのは、家族親戚の三十人足らずのみである。あとは友人や同僚、近所の人たちが、出たり入ったりしている。参加者が延べ五百人と言っても、一瞬に五百人が集まることはない。親戚はチェンナイ、バンガロールなどの同じ州から来た人たちが多いが、Kの伯父さんの一人は、デリーから二昼夜列車に揺られて来たと言っていた。

 三日間に及ぶ儀式は、花婿花嫁にとって大変な重労働であろう。儀式は時には早朝から始まり、時には深夜に及ぶ。また、ヒンドゥーの儀式はやたらと火と煙を使う。四十度を越える気温の中、火の前にいるというのは苦行である。Mさんが少し自嘲的に言った。

「見た通り、結婚式って本当に大変だろう。だから、もう誰も二度としたくないと思う。だから、インドでは離婚は少ないのだよ。」  

 一日目の儀式は二時間足らずで終了した。明日は午前五時から始まるという。参列者は食事を取りに二階へ向かう。私はMさんと式場の外でしばらく食堂が空くのを待っていた。Mさんが一人の女の子に、食堂が空いて来たかどうか見て来いと命じた。階段を駆け上がった少女は、また降りてきて「OK」のサインを出した。私とMさんは二階へ向かった。