ピアノレッスン

 

 日本へ発つ前夜、初めてのピアノのレッスンがあった。一月の末に心臓の調子がおかしくなり治療を受けた。その後、普通の生活に戻ることができたが、深酒と激しい運動を禁じられた。マラソンと酒がストレスの捌け口であった私、その両方ができなくなった。「おいらは人生の抜け殻だ」と、冗談で妻に言ったが、実は内心、これを機会に、今までやりたかったけれど、できなかったことをやろうと決心したのである。それはピアノ。

 これまで、時々自己流でピアノの鍵盤を叩いてみることはあっても、正式にピアノを習ったことはなかった。何事も、やるからには、専門家の指導を受けた方が良い、と言うと格好がいいが、定期的なレッスンがないと、毎日練習しないだろうと思った。末娘のスミレがちょうでヴァレンティンというドイツ人の先生についている。スミレをレッスンに送って行った際、何度か彼に会ったこともある。私はヴァレンティンに電話してみた。

私:「今晩は。モニカ(スミレの英語名)の父ですけど。」

先生:「はいはい、娘さんのレッスン予定の変更ですか。」

私:「いえ、そうじゃないんです。あの、大人もレッスンを受けていいんですか。」

先生:「はい、大人の生徒さんも何人かいらっしゃいますよ。」

私:「実は、私自身なんです。ピアノを習いたいんですが。」

先生:「ザッツ・ワンダフル。今まで、ピアノを弾いたことはありますか。」

私:「二十年以上前に、少し。」

先生:「何か、楽器を弾かれますか。楽譜を読めますか。」

私:「ハーモニカを少し。だから、少しは読めます。」

そんな会話の後、ヴァレンティンは、何でもいいから一曲、二週間後の「トライアウト」で弾いて欲しいと言った。その結果を見て、今後何を練習していくかを決めると言う。

 身の程知らずとはこのこと。私はいきなり、「結婚式に弾くピアノ曲集」からリチャード・クレイダーマンの「渚のアデリーヌ」を選んだ。そして、帰宅後、毎日三十分ばかり練習した。二週間で、「アデリーヌ」を百回は弾いたと思う。しかし、当然のことながら、進歩ははかばかしくない。二、三の特定のフレーズが、どうしても上手く弾けない。

 四月七日、金曜日の午後七時半、私はヴァレンティンの家へ行き、ドアのベルを押した。ヴァレンティンはちょうど庭仕事をしていた。手が汚いので洗ってくる間、レッスンルームに入って、練習していてくれとのこと。初めてのグランドピアノ。楽譜を乗せる台が、自分の家のピアノより高いところにあり、楽譜と手の両方を同時に見辛い。弾き始めると、ヴァレンティンが入ってきた。

「おや、なかなか上手いもんじゃないですか。」

緊張しながら、彼の前で最後まで弾いた。彼は姿勢、腕や指の動かし方を直してくれた。私の弾いた「アデリーヌ」はオリジナルバージョンではないとのこと。彼はオリジナルバージョンの楽譜を私にコピーしてくれた。私は、その楽譜を持って、翌朝日本へ発った。

 

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