歌舞伎座

 

 翌朝、起きてカーテンを開けると、高層ビルが朝日に映えていた。風呂に入った後、九時半にホテルを出る。朝ホテルの部屋に届けられた新聞によると、今日は十一時より、歌舞伎座で「昼の部」の公演がある。昨夜のミサちゃんの助言を受けて、歌舞伎を一幕見た後、午後に京都に戻ろうというのがその日の計画であった。

 私は、落語、特に上方落語が大好きである。京都に着いた翌日、今は亡き桂文枝のCDを買った。私のお気に入りの「稽古屋」が入っている。女にもてたいがために稽古屋に行ったアホな男が、他人の稽古を無茶苦茶にしてしまう話。上方落語には「芝居噺」と言って、歌舞伎に題材を取ったものが多い。(浄瑠璃を題材にしたものも同じくらい多いが。)文枝はこの芝居噺が上手かった。ところが、その歌舞伎自体を私は見たことがなかった。ここで一度、実際に歌舞伎を見ておくと、今後の落語鑑賞の参考にもなるであろう。

 新橋駅から歩いて十五分ほどで歌舞伎座に着く。入り口の右側に「一幕見席」と書いた立て札と、八人くらいが掛けられるベンチがあり、そこには既に、十人ばかりの人が並んでいた。そこが格安当日券の列らしい。そこに並んで本を読んでいると、外国人のおばさんが現れ、私に英語で、

「ここの列、当日券ですよね。」

と尋ねてきた。そうだと答えておく。隣に並んでいた日本人の女性が、

「どうしてあの外人さん、あなたが英語を話せるって分かったのかしら。」

と言った。確かに不思議。すぐにその答えに気がついた。私はドイツ語の本を開いていたのであった。英語もドイツ語も横文字は同じようなものなのである。

 十時四十分に当日券の発売が始まった。一番上、天井桟敷の四階席ではあるが、最初の芝居と、次の舞踊を見て、九百円。これは安い。記念にプログラムを買ったら千二百円。こっちの方が高い。四階席の観客の三分の一は外国人。昨年大阪で相撲を見たときも、外人さんが多かったことを思い出した。

 果たして、歌舞伎は、面白かった。演題は「狐と笛吹き」。昭和になってから書かれた歌舞伎であるので、言葉が平易な現代語で、解説など読まなくても、筋が追える。命を助けられた狐が、死んだ奥さんの面影となって主人公を助けるというストーリー。「鶴の恩返し」と少し共通点がある。色彩も美しく、舞台装置もシンプルで好感が持てた。歌舞伎と言うと、とことん「古臭い」と思いこんでいたが、それは私の先入観にすぎなかった。そう言えば、読むと退屈なシェークスピアの戯曲も、舞台で見ると結構面白かった。舞踊「高尾」はよく分からなかった。雀右衛門さんという方が、花魁の衣装を着て舞うのであるが、動きに乏しく、遠くから見ると、何やらさっぱり分からない。

 この値段でこれだけ楽しめるのならば、また来てみたいと思う。しかし、英国にいる限り、そう済々は来られない。知らない人には是非紹介したいシステムである。良い経験ができたことを、ミサちゃんに感謝しつつ、私は東京駅から帰りの新幹線に乗った。

 

<戻る> <次へ>