走っていたカイルと泳いでいたイルカ

 

海岸をサイクリング。椰子の木陰でちょっと一服。



 到着する直前、気温が二十一度と機内にアナウンスされた。前回、十一月に来た際には、気温が毎日三十度を越えていたので、今度はもっと暑いと半分期待して、半分心配していたのに。入国審査を終えて、外に出ると、涼しい空気が肌に触れた。Tシャツ一枚では少し寒いくらい。空も霞が掛って、この前のような、抜けるような青空ではない。
 十五分ほどして、迎えに来てくれたY子さんと一年半ぶりに再会する。彼女の銀色のBMWで、ロサンゼルスの南、トーランスという町にある彼女の家に向かう。Y子さんに聞いてみると、六月は海からの霧(マリーン・レイヤーと言うらしいが)が発生して、太陽を遮ることが多いので、結構涼しいということであった。ちょっと拍子抜け。
 Y子さんのアパートは、白い壁で、中庭に噴水があり、地中海風の建物。そこに、ご主人と娘さんと息子さん、犬一匹と猫二匹とで暮らしておられる。その夜は、八時間の時差のため、気を緩めると眠りそうになるのを、何とかぎりぎりまで持ちこたえて、十時に床に就いた。翌朝は五時に目が覚めた。六時半、Y子さん家族はまだ寝ておられるので、抜き足差し足で玄関から外に出て、海岸に向かって走り出した。
 ロサンゼルスというのは、不思議な都市である。大都会とリゾート地の雰囲気が渾然一体となっている。ごく普通の住宅地や工場地帯を抜けると、広い砂浜があり、そこで日光浴やサーフィンをしている人がいる。海辺には、土産物屋、シーフードのレストランなどがあり、何となく地中海の保養地っぽい雰囲気を醸しだしているのである。
 Y子さんの家から、坂道を降りると、そこは砂浜。シーフードレストランが並んだ桟橋がある。そこから遠くに見える半島にかけて、幅五十メートルくらいの砂浜が数キロに渡って続いており、波打ち際の反対側には自転車道がついている。僕は、桟橋から自転車道を砂浜に沿って走り出した。空は曇り空、涼しくて、走るには気持ちのいい天気である。
 間もなく、オレンジ色のランニングシャツを着た、三十歳くらいのお兄ちゃんに追いついた。何となく、ふたりで肩を並べて走ることになった。彼は、カイルという名前で、ヒューストンから出張に来ていて、近くのホテルに泊まっていると言った。僕は出張に行く時、いつもジョギングシューズを持って出かけ、出張先で走るのを常としているが、カイルも同じことをやっているわけだ。
 ジョギングという単調なスポーツは、話し相手がいると楽しい。僕とカイルはそれから三十分、色々な話をしながら走った。アメリカ人の若いお姉ちゃんたちが、タンクトップにショーツで走っている。その横を、韓国人の中年の夫婦が、腕をエッサエッサと振りながら歩いている。そして、海にはサーファーとイルカが。「これはまことにアメリカ西海岸的である」、と僕は呟いた。
 三十分ほどして、カイルが、「もうダメだ」と言って歩き出した。伴走者を失ったとたん、僕も急に苦しくなってしまった。何とか桟橋に帰り着き、砂浜を見ると、カイルのオレンジ色のシャツが小さな点になって見えた。海にはイルカがやっぱり黒い点になって見えた。