海岸沿いの遊歩道を散歩するY子さんと娘さん。この娘さんが13歳なんて信じられない。

 

日曜日の夜、最後の夜ということで、Y子さんとふたりで、海岸通りにある寿司屋に行った。「寿司はロサンゼルスに限る」って言ったら、「サンマは目黒に限る」って言うのと同じかな。しかし、ロサンゼルスで食べる寿司は美味い。ネタは日本で食べるのに及ばないだろうが、工夫がある。アボカドを使ったカリフォルニアロールは余りにも有名だが、その他にも、薄い昆布や、柚子や、生姜などを考えて使ってあり、食べていて楽しい。 

月曜日、ロンドンに戻る日の昼に、前夜の寿司に追い討ちをかけて、蟹を食べることにした。Y子さんの家の近くにある海岸の桟橋には、シーフードのレストランが十数軒あるが、その中に数軒韓国の店がある。その店の前には水槽があり、そこには活きた蟹がぎっしり重なり合っている。Y子さんは前からその蟹を食べてみたかった。でも、アメリカ人のご主人も、同僚も、子供さんも、活きている蟹を茹でて、そのまま出されるのには抵抗があるようで、Y子さんが誘っても、乗ってこない。それで、誰か一緒に蟹を食べる相手が現れるのを待っていたそうだ。

 その日も、一応誘ってはみたが、Y子さんのご主人も子供さんも、「蟹の釜茹で」を敬遠、僕とY子さんふたりだけで、英国への土産の買い物をした後、桟橋に出かけた。頭の真上から照りつける日差しは強いが、風が強く、暑さはそれほど感じない午後であった。

 一軒の韓国レストランに入る。と言っても、ファストフード風の簡単な造り。注文は、入り口に張ってある写真を見て決め、お金は最初に払う。店の前の水槽には、何十匹もの蟹が、積み重なってウヨウヨと泳いでいる。それを、気持ちが悪いと感じるか、美味しそうと感じるかが、蟹を楽しめるかどうか、運命の分かれ道なのであろう。

昼食時間が過ぎたせいか、あるいは平日のせいか、店は空いていた。客はほとんどが韓国人。それ以外はメキシコ人の若者が生牡蠣を食べながらメキシコのビールを飲んでいるだけ。韓国人、メキシコ人、それと日本人が、丸ごとの蟹や海老をグロテスクと感じないで、抵抗なく食べられる人種ということなのであろう。そう言えば、僕の英国人の友人に、魚を「お頭つき」で出されると、目玉が自分を睨んでいるようで怖いという奴がいた。小心者め。

Y子さんと僕は、蟹とミニ蛸、キムチ味の海鮮鍋を注文した。店に入り席に着く。コップも皿も、紙製である。隣の客、カトリックのシスターらしき韓国人女性が、やはり蟹を食べていた。蟹と一緒に、木槌が運ばれてきて、それで蟹の殻を叩き割り、中の身を食べるのである。汁が飛び散るので、客は紙で出来たエプロンを首からかけている。しかし、修道女が蟹の甲羅を叩き割っている光景は、何故か、抵抗がある。カトリックは「殺生」ってないのかな。

二十分ほどして、僕たちの蟹が運ばれてきた。茹でたての熱々である。僕が、まず、足を胴体から引きちぎり、二人で、木槌で殻を叩き割って食べ始めた。叩き割る際に、ピンクやミドリの汁が一メートル四方に飛び散る。二人ともTシャツだからいいけど、スーツなんか着ていたらえらい騒ぎである。そのうち、叩くときの手加減が分かり、それほど、汁は飛び散らなくなった。茹でたての蟹は美味い。「次から三杯酢を持って来よう。」とY子さん。食べ終わり、テーブルの上のあまりの汚さに、ふたりは溜息をついた。