茶はいらんかね

 

ポルトガル航空の飛行機に乗り込み、先ずリスボンに向かう。満員のエアバス三二〇は、定時の六時半にヒースローを飛び立った。
 軽食が配られ、その後スチュワーデスがコーヒーと紅茶を勧めに回ってくる。紅茶のポットを持ったスチュワーデスは、
「チャ?、チャ?」
と聞いて回っている。ポルトガル語でも「茶」は「チャ」なのである。十数年前、仕事でポルトガルに行くときに初めてこのことを知り、いたく感激した。しかし、私は茶ではなく、ビールを頼む。
「セルベージャ・ポルファヴォール」
私がそう言うと、スミレが「またか」という顔でこちらを見ている。私は、自分にとって、その極めて高い必要性から、「ビールをお願いします」という語彙だけは欧州の主要国語で言えるのである。
英語「ビヤー・プリーズ」、
ドイツ語「ビアー、ビッテ」、
フランス語「ビエール・シルヴープレ」、
イタリア語「ビッラ、ペルファヴォーレ」、
スペイン語「セルベッサ、ポルファヴォール」、
しかし、挨拶もロクに出来ないのに、ビールだけは注文できるというのも、悲しい気がするが。ともかく、「サグレス」というポルトガルのビールは、よく冷えていて旨かった。以後七日間、私は毎日このビールを飲むことになる。
 機内で、妻が図書館から借りてきた旅行案内書を見て、島の地理を覚えようとする。向こうではレンタカーを借りることになるだろう。妻はきっと左ハンドル、右側通行の運転を嫌がるから、もっぱら私が運転することは目に見えている。運転手として、前もって道を覚えておくのも悪くはない。マデイラはずんぐりとしたサツマイモを横にしたような形の島で、それほど大きくはなさそう。ただ、道は曲がりくねっていて、どこへ行くのも、距離の割には時間がかかりそうである。
 午後九時にリスボンに着く。空気が英国よりもずっと柔らかい。時間が遅いため、ガランとしたターミナルビルで、マデイラ行きの飛行機を待った。マデイラ行きの飛行機は、十時二十五分にリスボンを発ち、マデイラに向かう。先ほどと同じような軽食が配られ、またビールを注文する。海の上を飛んでいるはずであるが、もちろん外は真っ暗、どこを飛んでいようが分かりようがない。少しウトウトしているうちに、零時五分、マデイラに着陸。飛行機を降り、歩いてターミナルビルに向かう。空気に湿気があるのが分かる。空港の滑走路のすぐ近くまで山が迫っている。急な斜面に点々とオレンジ色の灯りが見える。マデイラは山の多い島なのである。  

 

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