白い雌ライオン

ドイツ語題: Die weiße Löwin

原題:Den vita lejoninnan

1993

 

<はじめに>

 

クルト・ヴァランダーシリーズの第三作。前回はヴァランダーが単身ラトヴィアに乗り込んで、「ランボー」「インディアナ・ジョーンズ」さながらに暴れまくると言う、かなり荒唐無稽な筋立てであったが、今回は筋にはかなり現実味が増している。しかし、南半球と北半球にまたがる舞台の広さと、登場人物の多さは、凄まじい。よくこんな筋が考えられたものだと感心する。マンケルの小説は、どれも、時間的、空間的に多面的であるが、この小説はまさにその極みであろう。筋が多岐に渡りすぎて、正直言って、粗筋を書くのが大変。

 

 

<ストーリー>

 

スウェーデンと南アフリカで、ストーリーが同時進行する。

 

プロローグは一九一八年の南アフリカ、ヨハネスブルク。三人のボーア人の若者が喫茶店に集まっている。ボーア人とは、オランダから移住した白人たち、しかし、後から移住してきた英国人との戦いに敗れて、英国人に対し服従を強いられている。三人の若者は、自分たちボーア人の権利を守るための結社を作る。それはフリーメーソンのような一種の秘密結社であった。決して社会の表面には出ないが、裏側での次第に勢力を増し、社会を影で支配するようになる。そして、それは南アフリカの人種差別政策の基盤組織となる。結社の存在は、白人社会の崩壊まで続く。

 

一九九二年の四月二十四日金曜日(マンケルの小説は、日時がいつもはっきりと記されている、おそらくその日の天気まで考慮されているのであろう)、スウェーデン南部のイスタドで夫と共に不動産業を営むルイーゼ・エカーブロムは、イスタド郊外の売り家を見に行く途中、道に迷ってしまう。彼女は、人里離れた場所にある一軒の家を見つけ、道を尋ねようとする。庭に入っていった彼女は、その家の中から現れた男に射殺される。

月曜日、イスタド警察署。ヴァランダーの機嫌は最悪であった。週末、彼の家に泥棒が入り、彼の大切にしていたステレオとオペラのレコードを盗まれてしまった。(警察官なのに泥棒に入られたという世間体の悪さもかなりのものであろう。)その上、八十歳を越える父が、家事を手伝いに来ている三十歳も年齢の離れた女性と結婚したいと言い出したことが原因である。その機嫌の悪い彼を、ルイーゼの夫、ロベルト・エカーブロムが訪れる。憔悴したロバートは、妻が金曜日から家に帰っていないことをヴァランダーに告げる。夫と小さなふたりの子供を残しての失踪、そこから犯罪の匂いを嗅ぎ取ったヴァランダーは、直ちに捜査を開始する。

ルイーゼが最後に訪れたと思われる場所を捜査中の警察官の前で、近くの家が爆発し、炎上する。そして、その家の庭からは、切り落とされた黒人の指が発見される。また、燃え落ちた家の中から、ロシア製の無線機と、南アフリカ製のピストルも発見された。更に数日後、ルイーゼの乗っていた車が近くの沼の中から発見され、彼女自身の遺体も、その近くの古井戸の底から発見される。

 

南アフリカ共和国。国際社会への復帰を国策と考えるデ・クラーク大統領は、永年囚われの身であった黒人指導者で後の大統領、ネルソン・マンデラを釈放、人種差別政策からの決別を推し進める。しかし、永い期間にわたり、人種差別政策により恩恵を受けていた白人の一部は、デ・クラーク大統領を許し難い裏切り者と考える。

ボーア人の血を受け継いだ政府情報局員ヤン・クラインも、その一人であった。クラインは、デ・クラーク大統領の民族融和政策を潰し、国を混乱に陥れるため、ネルソン・マンデラの暗殺を計画する。そして、その計画を同じく人種差別論者の白人を集めた委員会に提案する。計画は承認され、実行に移されることになる。実行の中心は立案者のヤン・クライン自身と、警察の上層部にいるフランツ・マランである。

彼らの計画とは、プロの暗殺者を雇い、遠方からの狙撃によって、マンデラを暗殺することであった。まず南アフリカ国内で黒人の殺し屋を調達し、次に、その殺し屋をスウェーデンに送り、そこで元KGBのコノヴァレンコという男の下で訓練させる。その上で、暗殺者を南アフリカに連れ帰り、計画を実行しようという算段であった。コノヴァレンコは、同じくロシアからの脱出者であるリュコフとタニア夫婦の協力を得て、スウェーデンで南アフリカから送られてくる「殺し屋」の受け入れ準備を進める。

 

プロの殺し屋を自認するヴィクター・マバシャがその任務に選ばれ、スウェーデンに送られる。彼はイスタドの近くの人里離れた家に滞在し、元KGBで大酒飲みのロシア人、コノヴァレンコの指導の下、射撃訓練に励む。しかし、マバシャはあからさまに黒人を蔑む態度をとるコノヴァレンコに反感を覚える。ある日、コノヴァレンコが偶然通りかかった女性(ルイーゼなのであるが)をいとも簡単に射殺するのを見たマバシャは、コノヴァレンコの残忍さに堪忍袋の緒を切らせて、暗殺者としての役目を降りると宣言する。コノヴァレンコはそれを許さない。ふたりは格闘となり、その際、マバシャはコノヴァレンコに指を切られるが、マバシャはコノヴァレンコを意識不明になるまで叩きのめして、車でその家を出る。そして、スウェーデンの国内を、宛もなく逃亡することになる。

逃亡したマバシャをコノヴァレンコは追う。ストックホルムのリュコフの元に戻ったコノヴァレンコは、「裏」の社会でマバシャの首に賞金をかける。そして、その金を得るために銀行強盗を働く。銀行を襲った後、警察の追跡を逃れる際に、コノヴァレンコは追っ手の警官のひとりを射殺してしまう。

ヴァランダーの依頼で調査した結果、イスタド郊外でルイーゼを殺した弾丸と、ストックホルムで警官を射殺した弾丸は同じ銃から発射されたものであることが分かる。ヴァランダーはストックホルムの警察と協力して捜査をするために、ストックホルムへ向かう。

コノヴァレンコとリュコフは、マバシャの立ち回り先のディスコを催涙ガスで襲撃するが、すんでのところでマバシャを取り逃がす。その知らせを受けそのディスコを訪れたヴァランダーは、バーテンダーの証言で、コノヴァレンコという男が左手に指のない黒人を追っていたことを知る。

闇の世界に君臨するロシア人ということで、リュコフの名前を知ったヴァランダーは、単身リュコフの住居を訪ねる。彼は、リュコフと妻のタニアがコノヴァレンコと関わりの有ることを直感する。しかし、ヴァランダー訪問の翌日、ストックホルムの警察が、リュコフのアパートを捜索したとき、そこは既にもぬけの殻であった。

もう一度、事件のあったディスコを訪ねたヴァランダーは、外で待ち受けていた、マバシャに殴られ、隠れ家の墓地に連れ去られる。その墓地をコノヴァレンコが襲うが、ふたりとも、かろうじて脱出する。

ヴァランダーはイスタドへ戻る。しかし、彼を追って、マバシャとコノヴァレンコもイスタドに向かう。コノヴァレンコは田舎の刑事と侮っていたヴァランダーが意外に手強い相手であることを知り、自分の計画遂行のためには、まずヴァランダーを片付けなくてはならないと、決心していた。

 

南アフリカでは、マバシャの逃亡の知らせを受けたクラインが、マバシャに代わる第二の殺し屋の派遣を決定する。

保安警察のファン・ヘールデンが、クラインのネルソン・マンデラ暗殺計画を察知し、大統領のデ・クラークに報告する。しかし、そのファン・ヘールデンは、入院中にクラインに射殺されてしまう。

大統領のデ・クラークは、若い検事ゲオルク・シェーバースに、マンデラ暗殺計画の捜査を命じる。シェーパースは、マンデラ暗殺計画の実行者がクラインであることを知るが、隙のないクラインは容易に証拠を残さない。

クラインは、役目から逃亡したマバシャに代わり、別の殺し屋を見つけ、彼をスウェーデンのコノヴァレンコの下に送り、射撃訓練を受けさせる。

隙のないクラインであるが、ひとつだけ弱みがあった。彼はかつて自分の屋敷で働いていた黒人の召使の娘ミランダに恋をして、頻繁に彼女の元に通い、子供まで設けていた。シェーパースは、その弱みを利用して、ミランダと仲間の黒人から、マンデラ暗殺事件の概要を知り得たのであった。しかし、何時、何処で、それが実行に移されるのか、それは依然として謎のままであった。

 

イスタドで、ヴァランダーはマバシャを匿う。しかし、先回りをした、コノヴァレンコとリュコフはヴァランダーの自宅を襲いマバシャを連れ去る。ヴァランダーは襲撃者を追う。霧の中での追跡の際、マバシャはコノヴァレンコに射殺され、ヴァランダーはリュコフを射殺する。警察が、通報で駆けつけた時には、殺された二人の遺体を残して、ヴァランダーもコノヴァレンコも忽然と消えていた。

コノヴァレンコは別の隠れ家で、新たに送られてきた殺し屋の訓練を始める。霧の中の追跡劇で、コノヴァレンコを逮捕することのできなかったヴァランダーは一計を案じる。自分が囮となり、コノヴァレンコを再び引きずり出そうと言うのである。彼は、警察の自分の同僚には一切告げることなく、古い友人で競争馬の調教師であるステン・ヴィデンの家に隠れながら、コノヴァレンコを燻り出す計画を立てる。しかし、実際は、その逆になる。コノヴァレンコは、ヴァランダーの父親の下にいた娘のリンダを誘拐に成功。ヴァランダーをおびき寄せようとする。自分の計画が娘まで巻き込んでしまったことに大きな衝撃を受けたヴァランダーは、コノヴァレンコのもとに向かう。

 

一方、南アフリカ。シェーパースはクラインを逮捕するものの、証拠不十分で釈放せざるを得ない。誰が、何処で、何時、マンデラを狙撃するのか分からないまま、時間が過ぎていくことに、シェーパースは強い焦りを覚えるのであった。

 

 

<感想など>

 

こうして、長々と粗筋を書いては見たものの、これを読んで、ストーリーの概要を把握していただける方がどれだけおられるであろうか。書いている筆者も、ちょっと無理があるなと思いつつ、それでも仕方なく書いた。なにしろ、登場人物が多い。スウェーデン側では、イスタドの警視ヴァランダー、殺し屋マバシャ、元KGBのコノヴァレンコ、協力者のタニア。南アフリカ側では、暗殺計画の首謀者ヤン・クライン、デ・クラーク大統領、側近のファン・ヘールデン、検察官のシェーパース、クラインの愛人ミランダ等が、部分的に物語の主人公の役割を演じていく。

その登場人物たちが、次々と立ち代わり現れ、その都度彼らの心理描写があり、彼らが、それぞれの視線、それぞれの思考形式で、物語の語り手を演じていく。最初はその登場人物と場面の変換がまだ少ないのであるが、後半は、極端な話、同じ章の中でも語り手が変わるので、ややこしい。ただ、ひとつの出来事が、複数の人物の観点から語られることにより、その出来事の全貌が徐々に明らかになるという盛り上がりを楽しめ、最後に辻褄が合い、全貌が完全に理解できた気分になる。それは一種の満足感。そういった意味では、事件の捜査官と同じ気分を読者も味わうことができるのである。マンケルもなかなか考えている。

とは言え、余りの登場人物と場面の多さに、読んでいてかなり疲れた。「多面的」というのが、マンケルの小説の最大の特徴と言えるが、その意味ではこの物語は頂点に立つものであろう。

 

「白い雌ライオン」というタイトルについて。物語の後半、南アフリカ側での主人公と言えるゲオルク・シェーパースが妻と共に、クリューガー国立公園へ行き、ナイトサファリを試みた際、月光の中に浮かび上がるライオンを見る。その「白い雌ライオン」の美しさに見とれていた彼らは、ライオンが自分たちに向かってきた時仰天して死さえ覚悟する。結局ライオンは彼らを襲うことがなく去っていくのであるが、シェーパースはそのライオンに、現在の南アフリカの置かれている状態を見るのである。

何故シェーパースがライオンの中に南アフリカを見るのか、説明はなかなか難しい。

「彼(シェーパース)は河床に横たわっていた雌ライオンを思い出した。ライオンが突然立ち上がり、彼らに向かってきたときのことを。猛獣は我々の中にいる、と彼は思った。彼は何が一番大切かを突然悟った。」(362頁)

「彼等(シェーパースと警部ボルストラップ)はプレトリアの郊外にあるヤン・クラインの家に向かった。ボルストラップがハンドルを握り、シェーパースは後部座席に埋もれるように座っていた。突然、彼はユーディット(シェーパースの妻)と共に見た、白い雌ライオンを思い出さざるをえなくなった。あれはアフリカの象徴だ、と彼は思った。安らぐ猛獣。立ち上がり、全力で襲いかかる前の静けさ。それを傷付けることはできない、自分が襲われる前に先手を打って殺すことだけができる猛獣。」(471頁)

「突然、月光の中に川岸に横たわっていた白い雌ライオンが彼(シェーパース)の頭を再び訪れた。彼は、ユーディットにまた自然公園へ行くことを誘ってみようと思った。また、あの雌ライオンに会えるかも知れない。

そんな考えに耽りながら彼は車を降りた。

その時、これまで、隠れていた何かを見つけたような気がした。終に、彼は月光の中の雌ライオンが彼に何を言おうとしたか理解した。彼はボーア人、白人である前に、アフリカ人なのだと。」(539頁)

眠っているように見えるが、一旦本気になると、世界の誰も止めることができない。それが現在のアフリカなのかも知れない。潜在力を持った眠れる猛獣というわけか。ちょっと買いかぶりすぎのような気もするが、意外に真実なのかも知れない。

 

前回、「リガの犬たち」で、ヴァランダーは表向き休暇と称して、単身ラトヴィアに乗り込んだ。今回も、ヴァランダーは警察の仲間から離れ単独行をとる。前回のラトヴィア侵入は好意を持つバイパの依頼ということで納得もいくが、今回の群れを離れての単独行はかなり理解に苦しむ点がある。はっきり言って、この点はヴァランダーへの感情移入が困難である。ともかく、今回も例によって、幸運と、驚異的な粘りによって、ヴァランダーは事件を解決に持ち込むが、その代償は大きい。正当防衛とは言え、人を殺したことによって、彼は事件の後深いウツ状態に陥るのである。

 

マンデラ暗殺計画は、ダムを破壊し、洪水を起こす行為に喩えられる。その企みに最初に気づいたファン・ヘールデンは次のように述べる。

「ネルソン・マンデラの殺害は、この国に起こりえる最悪の事態である。その結末は恐るべきものである。現在成立しつつある白人と黒人の融和と言うきわめて壊れやすい試みは、一瞬にして跡形もなく崩壊するであろう。洪水に国を飲み込ませるために、ダムを破壊するようなものだ。」362

我々読者はネルソン・マンデラが暗殺されず、その後、黒人として初の南アフリカ大統領となったことを知っている。つまり、クラインの企みが失敗することを知っているのである。まさか、いくら何でも、マンケルが歴史まで捻じ曲げないことは、作者と読者の暗黙の了解で分かっている。しかし、それでいて、最後の最後まで、読者をハラハラして読ませる、その点のマンケルの筋立て、語り口は素晴らしい。私は敬意を表する。

 

父親の結婚。ヴァランダーがそれに反対するのは、新婦が三十歳年下であるという事ではないと思う。妻のモナがヴァランダーのもとを去り、娘のリンダもストックホルムで独り暮らしを始める。警察で唯一の相談相手だったリュドベルクも亡くなった。そんな中で、ヴァランダーの孤独を分かち合える人間、それは一見一番分かち合えない人間である父親であったのではなかろうか。その父が結婚をして、新婚生活を始めることに対し、ヴァランダーに嫉妬の気持ちがあったことは否定できないと思う。

 

しかし、何故、南アフリカの殺し屋の訓練の場所が、スウェーデンなのであろう。アフリカは広いから、わざわざ金と時間を使ってスウェーデンに連れて来る必然性があるのか。しかし、それを言い出したら、物語自体が成立しないから、やめておこう。ストーリー展開にとって都合の良い「偶然」について触れるのも。

 

最後に、この事件によってヴァランダーが受けた心の傷を考えると、彼の復帰には少々時間がかかる気がする。