五人めの女

ドイツ語題:Die fünfte Frau

原題:Den femte kvinnan

 

 

<はじめに>

 

これから小説を読まれる方に悪い先入観を与えたくないので、書評にはあまり否定的なことは書かないようにしている。しかし、今回は書いてしまおう。確かに、よく考えてある筋立てである。しかし、「これじゃ、基本的な構成が、前作の『誤りの捜査方針』Die falsche Fährte と同じでないの」と私は言いたい。多分、この作品のほうを最初に読むと、面白いと感じ、感動したかも知れない。しかし、前作に引き続き読んだ筆者には、何となく「二番煎じ」という言葉が頭に付きまとった。

 

 

<ストーリー>

 

例によって、物語は、スウェーデンからもヨーロッパからも遠く離れた異国の地で始まる。前作はドミニカ共和国であったが、今回は火の国、アルジェリアである。

テロリストの告白。アルジェリア人の若者である。彼は外国人を排斥するイスラム教過激派に属する兄の影響を受けて自分もテロリストなった。彼らはキリスト教会を襲撃し、そこで四人の尼僧を殺害する。しかし、そこにもうひとりの外国人女性が宿泊していた。テロリストは彼女も一緒に殺してしまう。

アルジェリア政府は、テロ事件が国のマイナスイメージになることを恐れ、それを内密に処理しようとする。しかし、その捜査に当たった女性警察官フランソワーズは、政府の、事件を闇から闇に葬ろうとする姿勢に疑問を持つ。良心の呵責を感じた彼女は、殺された五人目の女性の身元を調べ、スウェーデンにいるその娘に手紙を書く。その手紙を受け取った女性は、これまで長く自らの中に暖めていた計画を実行する時が来たことを知る。

 

一九九四年九月。父親念願のイタリア旅行に同行したヴァランダーは、父親との関係修復の糸口をつかんだと感じる。しかし、ローマから帰ったヴァランダーを待ち受けていたのは、また残虐な事件と、困難な捜査だった。

夏の間に起こった十四歳の少年による連続殺人事件の余韻も冷めやらぬイスタドの町で、再び連続殺人事件が発生する。

第一の被害者はかつて自動車販売業を営み、現在は引退したホルガー・エリクソンである。彼は野鳥の観察を趣味とし、野鳥を題材にした詩を書き、それを出版していた。エリクソンは、深夜、渡り鳥を観察しようと自分の庭に出て死亡する。堀を渡る橋に何者かによる細工がしてあったのだ。堀へ落ちたエリクソンは、そこに仕掛けてあった尖った竹に串刺しになって死ぬ。

第二の被害者は花屋の主人のゲスタ・ルンフェルトである。蘭の研究家でもある彼は、蘭の観察のためケニアのナイロビに旅行しようとする。しかし出発の朝、何者かに自分の店に呼び出され、拉致さえる。主人が予定の日を過ぎてももどらないため、花屋の店員が警察に連絡、調べた結果、彼は予定された飛行機に乗っていないことが分かる。一週間後、痩せ衰えた姿で、森の木に縛りつけられ、絞殺されているルンフェルトが発見される。

第三の被害者は、大学の研究者であるオイゲン・ブロンベルクである。彼は夜の散歩の最中、何者かに車で連れ去られる。麻酔薬を嗅がされた後、生きたまま袋詰めにされ、海に投げ込まれる。翌日、彼は水死体で発見される。

どの殺人も周到に準備された計画によるものである。ヴァランダーは、三人を殺した者は同一人物であると考え、先ず三人の接点を見つけようと努力する。しかし、その接点は容易には見つからない。

ヴァランダーが被害者について調べていくうちに、三人が三人ともに、隠された側面を持つ人物であることが分かってくる。エリクソンの隠し金庫の中からは、人間の頭部のミイラと、アフリカで戦ったスウェーデン人の傭兵の日記が発見された。ルンフェルトは花屋の他に私立探偵をやっていた。ブロンベルクは女癖が悪く、妻以外の女性を妊娠させていた。しかし、何よりも、家族や知人の証言の中で浮かび上がる三人の共通点、それは三人がこれまで女性を虐待し続けてきたことであった。ヴァランダーは、三人の被害者の過去を暴くことにより、事件の核心に迫ろうとする。

捜査の最中、ヴァランダーは父を失う。イタリア旅行の後、やっと普通の親子の関係に戻れることを期待していたヴァランダーは、大きな衝撃を受ける。

ヴァランダーは、ふとしたことから、この残虐な犯行の中に、女性の関与を予感する。

イスタドの病院の産婦人科病棟に深夜、看護婦の格好をした女性が二度侵入する。ひとりの助産婦がその偽看護婦を見つけ呼び止めるが、女は助産婦を殴り倒して逃げる。ヴァランダーはその病棟に、殺されたブロンベルクの子供を孕んだ女性が入院していたことを知る。ヴァランダーはその偽看護婦こそ犯人であると確信する。

相次ぐ残虐な殺人事件の発生に、イスタドとその周囲の町々は騒然となる。あちらこちらで、人々が自衛団を結成して、自分たちの手で、村や町を守ろうと立ち上がる。ヴァランダーと警察は、犯人だけではなく、世論とも同時に戦っていかねばならない。

 

 

<感想など>

 

最初にも述べたが、筋立てが、前作の「誤りの捜査方針」と似ている。具体的には、筋立てに以下のような共通点がある。

一、                     連続殺人事件である。

二、                     犯人が誰であるか、読者には最初から分かっている。

三、                     普通の市民として生きている、意外な人物が犯人である。

四、                     殺された被害者は過去に罪を犯しているが、司法によって裁かれていない。

五、                     殺人の動機はそのような人間による私的の復讐である。

六、                     犯人の動きと、警察の動きが別々に描かれ、次第に接点が現れ、最後に収束する。

よく考えられた、大作と言ってもよい作品なので、「二番煎じ」というイメージを抱かれながら読まなくてはならないことが、少し残念ではある。

 

今回も、ヴァランダーの直感が、捜査の転機となっている。そのエピソードはなかなか見事である。

第二の被害者、ルンフェルトの旅行鞄が道端で発見され、警察署に運ばれる。そこで、ヴァランダーは、その旅行鞄を詰めたのが女性であると直感するのである。

『旅行鞄の蓋が開けられたとき、何かおかしいぞと思った。と言うのも、男と女は違った風に荷物を詰めると思うんだ。俺の勘では、この鞄を詰めたのはおそらく女だ。』(325ページ)

ヴァランダーは、同僚の女性警官アン・ブリット・ヘグルンドと、もうひとりの男性警官に試しに荷物を詰めさえてみる。そして、自分の直感の正しいことを確認するのである。

次のエピソードは、殺されたオイゲン・ブロンベルクにより妊娠させられたた女性、カタリーナ・タクセルをヴァランダーが訪れるシーンである。このストーリーのクライマックスと言ってよい。

「『オイゲンを殺した人物が、早く捕まるといいですね。』とタクセルはヴァランダーに別れ際に告げた。」(396ページ)

そのとき、彼女は男、女という表現を避け、中立な「人物」(Person)という言葉を使う。ヴァランダーはそれにより、彼女が犯人を知っており、それが「男」あるいは「犯人」という男性名詞では表現できない、つまり女性であると知るのである。(名詞に性のあるスウェーデン語やドイツ語では、同じ犯人でも「男」と「女」で違う名詞を使わなければいけない。)

他の同僚が見逃してしまうような点からも、重要なヒントを見つけ出す。これこそ、ヴァランダーの真骨頂である。ただこれらは、捜査の指針にはなるが、証拠にはならない。ヴァランダーは今回も、自分の捜査方針が正しいものであるかどうかを、思い悩む。

 

「五人めの女」という題である。もちろん、修道院がテロリストに襲撃されたとき、四人の尼僧が殺され、五人目の被害者がスウェーデン人であり、それが事件の遠因になることによる。しかし、同時に、事件に関与する五人目の女性が犯人であることを暗示している。第一にエリクソンと関係があった思われるポーランド人のハーベマン。第二にルンフェルトによって虐待され殺されたと思われるその妻。第三にブロンベルクによって妊娠させられたタクセル、そして、そのタクセルと一緒に列車で働いた第四の女性。そして、その第四の女性が暗示した「第五の女性」、彼女が実は犯人なのであるが。

 

ヴァランダーと父親の関係は、彼が警察官になると父に告げた日から、ギクシャクしたものになっていた。ということはもう二十年以上ギクシャクしたままなのである。前作では、父がアルツナイマー病を患い、自分の人生の終焉を予感していることが語られる。死ぬまで一度イタリアを旅行したいという父の願いを聞き入れ、ヴァランダーは父とローマに向かう。そこで、父との関係の修復の糸口を見つけたヴァランダーは、これから、再び自分と父が普通の親子として生きてけると確信し、それをうれしく思う。

しかし、その父が突然死ぬ。ヴァランダーは何もなかったような態度で捜査を続けるが、内心、心の中では大きな空白が広がっている。捜査が行き詰ったときなど、父の墓の前に立つヴァランダーの姿には涙を誘われる。

 

「傭兵」というモティーブが現れる。一見、最後まで本筋には関係がないようであるが、実は、犯人の動機を暗示している。「傭兵」、つまり金で雇われて戦争に出かける、つまり金で人殺しをする連中である。犯人を逮捕した後、ヴァランダーは次のように回想する。

「事件が『傭兵』と関係しているというのは、あながち間違えではなかった。犯人が女性であり、金をもらっているのではないことを除けば。」(535ページ)

他人のために戦った人間という意味で、犯人を傭兵と呼んでよい。

 

「自衛団」の動き。警察は自衛団の結成に厳しい態度を取る。道に迷った男を泥棒と間違え袋叩きにした「自衛団」のメンバーに対して、警察は厳罰で臨む。しかし、その結果、警察への反発が強まり、ヴァランダーの同僚で、家族思いで有名なマルティンソンの娘が同級生に乱暴される。「ストーリー」にも書いたが、ヴァランダーが戦う相手は犯人だけではない。相次ぐ事件のため警察を信用しなくなった民衆をも相手にしなくてはならない。

厳しく対処しようとすればするほど、警察に対する不信と反感が高まるのである。警察にできること、それは只ひとつ、連続殺人犯人の一時間でも早い逮捕しかない。そのプレッシャーとも、ヴァランダーは戦う。

 

最後に、一言でいうならば、時間的にも、空間的にも盛りだくさんのエピソードが交錯する、「多面的」な小説であると言える。