真夏の殺人

ドイツ語題: Mittsommermord 「真夏の殺人」

原題: Steget efter 「一歩遅れて」

1997

 

<はじめに>

 

ドイツ語訳のタイトルが、原題とは違っている。英語訳では原題に忠実に「One Step Behind」となっている。ただ、ストーリーを追う限り、「一歩遅れて」というタイトルがストーリーの何処に由来しているのか分からなかった。「真夏の殺人」の方が、端的に物語の内容を表しているように思える。

「謎解き」と言う意味では、マンケルの小説の中でも出色である。次々と起こる、残虐な殺人と、それを巡る一見不可解な事柄が、少しずつ少しずつ意味を持ち始め、最後に結びつく。

しかし、八人が殺されるというのは、ちょっと多すぎる感じがする。この数は一連のヴァランダー・シリーズの中でも新記録であろう。

 

<ストーリー>

 

プロローグ。一九九六年六月二十二日、イスタド郊外の自然保護地区。林の中で、三人の若者が、十八世紀、ロココ風の衣装を身に付けて、夏至を祝うパーティーを始める。林の中に、ひとりの男が彼らを待ち伏せていた。真夜中過ぎ、すっかりいい気分になって横たわる三人の若者を、男は次々に射殺する。

 

第一部:

その夏、ヴァランダーは疲労感、喉の渇きと頻尿に悩んでいた。

そんなヴァランダーを、訪れる女性がある。夏至の日から姿をくらましている三人の若者のひとり、アストリド・ヒルシュトレームの母親であった。母親は娘の名前の入った絵葉書をヨーロッパの各地から受け取っていた。しかし、母親は、その絵葉書は誰かが娘の筆跡を真似て書いたものであると主張する。ヴァランダーは彼女と話すうちに、三人の若者の身に何かがあったことを確信し、捜査を開始することを同僚に告げる。

医者を訪れたヴァランダーは糖尿病と診断され、衝撃を受ける。医者はヴァランダーの生活習慣、食生活を改善するよう勧告する。

翌朝、同僚のマルティンソンとシュヴェトベルクとの打ち合わせが予定されていた。しかし、普段は時間に正確なシュヴェトベルクが、約束の時間になっても現れない。マルティンソンとヴァランダーは彼の家に電話をかけるが、誰も電話に出ない。夜になり、胸騒ぎを抑えきれなくなったヴァランダーは、シュヴェトベルクのアパートを訪ねる。ドアを破って部屋の中に入ったヴァランダーは、シュヴェトベルクが射殺されているのを発見する。床には凶器のライフルが転がっていた。また、アパートは荒らされており、誰かが何かを捜しまわった形跡があった。

シュヴェトベルクは、四十歳を過ぎても独身、天体観測と、アメリカインディアンの研究が趣味と言う、寡黙な男であった。ヴァランダーはシュヴェトベルクの身寄りである二人を、彼の死を告げるために訪れる。そして、ふたりから意外な証言を得る。

ひとつは、助産婦イルヴァ・ブリンクの証言。シュヴェトベルクは、殺される直前に休暇を取っていた。しかし、その間も従姉妹のイルヴァには、仕事が忙しいと愚痴を言っていた。彼は休暇中にどんな「仕事」をしていたのかとヴァランダーは訝しく思う。

もうひとつは、従兄弟で大学教授のシュツレ・ビョルクルントの証言である。シュヴェトベルクは、従兄弟が旅行で不在中、彼の家の留守番を引き受けていた。そして、その際、「ルイーゼ」という女性と一緒に従兄弟の家に住んでいたという。(そしてその「ルイーゼ」は、何と、毎回違った色の髪の毛を残していた。)

寡黙な独身男のシュヴェトベルクが、同僚には知られていない、別の一面を持っていたことを、ヴァランダーは予感する。ヴァランダーはシュヴェトベルクのアパートを再度捜索し、隠し金庫の中から二枚の写真を発見する。一枚は女性のポートレートであった。それが「ルイーゼ」のものであろうとヴァランダーは推測するが、彼はその写真に何か不自然なものを感じる。もう一枚は仮装した若者たちの写真。そして、その中には、夏至のパーティー以来行方不明になっている、若者のひとりが写っていた。

ヴァランダーは二枚目の写真により、三人の若者の失踪と同僚の死に、何らかの接点があることを知る。シュヴェトベルクは三人の若者の失踪について何かを知っていた。そして、休暇中に、自分なりに三人の行方を捜査していたのではないか。そして、それを快く思わない誰かに殺されたのではないかと、ヴァランダーは想像する。

 

八月十日の真夜中。男は自然保護地区の地中に埋めておいた三人の若者の死体を掘り出す。そして、若者たちが殺された五十一日前と同じように、三人の死体を敷物の上に横たえ、食事、ワインなども並べておく。

翌朝、三人の死体は散歩にきた老夫婦により発見される。事件は警察に通報され、ヴァランダーたちが駆け付ける。ヴァランダーと同僚の鑑識官ニュベルクは、死体はしばらくどこかに隠されていて、誰かが前夜再びそこに並べたと推理する。深夜、再び現場を訪れたヴァランダーは、犯人がすぐ傍にいると感じる。

夏至の仮装パーティーには、本来四人の参加者が予定されていた。そのうちの、イサ・エデングレンは当日に急病でパーティーには出席しなかった。その結果、彼女は難を免れたのである。ヴァランダーは彼女の住居を訪ねる。イサは庭に立てられた小屋で自殺を図っていた。ヴァランダーは、彼女を発見し、彼女は命を取り留める。しかし、再び意識を取り戻した彼女は、病院を抜け出し、姿をくらませる。

ヴァランダーは彼女を追う。彼は島にある両親の別荘にいるのではないかと推理し、郵便局のボートに便乗して、その島を訪れる。そして、その島にも、シュヴェドベルクは訪れていたことを知る。果たしてイサはその島にいた。しかし、ヴァランダーがイサを訪れた夜、彼女は島に忍び込んだ何者かによって射殺される。

五人目の犠牲者。

ヴァランダーは、犯人が、次の殺人を準備しているのではないかという不安に襲われる。

 

第二部:

ヴァランダーは、殺されたシュヴェトベルクが若者殺害の犯人を知っていて、休暇中にそれを調べていたこと、そして、犯人に肉薄しすぎたために殺されたことを確信する。しかも、その犯人はシュヴェトベルクの顔見知りであると推理する。ヴァランダーはシュヴェトベルクの交友関係を洗うが、寡黙な彼の友人は少ない。

ヴァランダーは、シュヴェトベルクの唯一の交友関係と思われる天体観測仲間のズンデリウスを訪問する。シュヴェトベルクが従兄弟の家で女性と同棲していたということに対して、ズンデリウスが怒りの表情を見せたことを、ヴァランダーは見逃さなかった。

ヴァランダーは、同僚の家に隠されていた写真の女「ルイーゼ」が鍵を握るものだと確信し、彼女の写真をマスコミに公開し、身元の確認を急ぐ。しかし、不思議なことに、ルイーゼの写真に対する反応は全く得られない。

八月十七日、土曜日の午後、教会での結婚式を終えたばかりの若いカップルが、記念写真を撮るために、写真家と三人で海岸を訪れる。砂浜でポーズと取る二人とカメラを向ける写真家。彼らに、それまで海で泳いでいた男がタオルを持って近づく。男は、タオルの下に隠し持ったピストルで、写真家とカップルを射殺して立ち去る。三人の死体は数分後に発見される。駆けつけたヴァランダーは、それが同一犯人の仕業であると確信する。

殺された三人の若者と、新婚の夫婦にはふたつの共通点があった。婚礼の衣装を含めて、彼らが仮装していたこと。また、若者も、新婚カップルも、彼らの計画を、家族にも知られないように秘密裏に進めていたことであった。

犯人は、祝い衣装を着た人間を憎んでいるのか。

三人の「夏至のパーティー」の場所は企画した四人の他は誰も知らないはずであった。新婚のカップルも、教会での結婚式と披露宴の間のわずかな時間をふたりだけで楽しむために、両親にさえ写真撮影の場所を明かしてはいなかった。しかし、犯人は、その場所と時間を事前に察知して待ち構えていた。「彼らの秘密の計画がどうして漏れたのか」「本来は誰も知りえない情報を知りえる人間は誰か」ヴァランダーの推理はその部分をえぐろうとする。ヴァランダーは、その秘密を解く鍵をどこかで仕入れたような気がするのだが、思い出せないことに焦りを感じる。

ヴァランダーは、第二の犯行現場での警察の捜索を、「ルイーゼ」が見ていたことを知る。いよいよ「ルイーゼ」が事件の核心にいることをヴァランダーは確信する。彼女がコペンハーゲンに現れたという知らせを、ヴァランダーはデンマークの警察から受ける。ヴァランダーはコペンハーゲンに急行して、バーで「ルイーゼ」の横に座り、彼女と接触しようとする。しかし、トイレに立った彼女は忽然とバーから姿を消してしまう。

イサを探すために島に渡った際、そのボートの運転手と交わした会話がヒントになり、ヴァランダーは終に、殺された人間たちの秘密を知りえる唯一の人間がいることに気づく。その人間とは・・・・

 

<感想など>

 

この物語を読んだ友人のひとりは「死臭のする物語」と評したが、それなりに面白く読めた。しかし、さすがに六百ページは長かった。また、殺される人間が八人と言うのも、ちょっと胸につかえた。

犯人が最初から読者には分かっていて、その犯人と警察の接点が徐々に出来上がっていくという前三作とは異なり、今回は犯人とその犯行の描写は最小限に抑えられ、最後まで読み進まないと、犯人が誰であるのか読者にも分からない。その「謎解き」という意味で、私には面白かったということである。

 

今回もヴァランダーの周辺には色々と変化がある。最大のものは、彼が糖尿病と診断されることであろう。彼のこれまでの食生活を考えれば誰も驚かない帰結ではある。彼は同僚にそれを知られるのを嫌がる。「糖尿」と尋ねられて「血糖値が高いだけ」と言い直す心理が面白い。

もうひとつの変化は、これまで、ヴァランダーの捜査のよき理解者であった検察官、ペア・アキソンがNGO活動のためにスーダンに渡り、その後任として、若くて、功名心に燃えるツルンベルクが着任してきたことである。ヴァランダーは悉くこの若い検察官と対立し、彼にとってストレスの大きな種になる。

その他、ラトヴィアのバイバとは別れ、父親の後添いのゲルトルートはイスタドを去り、娘のリンダはストックホルムで一人暮らし、別れた妻のモナは再婚が決まるという設定である。

 

今回も、ヴァランダーの捜査の基本となるものはふたつ、何かがおかしいという「直感」を彼独自の粘りで掘り下げること、また、数年前に死んだ同僚でヴァランダーが師と仰ぐリュドベルクの言葉を思い出すことである。

ヴァランダーはシュヴェトベルクの家で「何か」がおかしいと感じ、「ルイーゼ」の写真を見て「何か」が不自然だと感じる。そして、その「何か」が何であるかを、ことあるごとに取り出し反芻する。

それで、彼はしばしば、以下のような状態に陥る。

 

「ヴァランダーは身体を起こして、机に腰をかけた。ひとりの鑑識課員が現れたが、彼は待つように合図をした。彼は考える必要があった。長い時間は要らない。少しの間、自分ひとりで考える時間が必要であった。全体の中の何かがおかしい。何かが、まったく間違っている。しかし、彼はそれが何かを言い当てることができなかった。」

74ページ)

 

また、誰かが傍に隠れている、誰かに見られているという直感も彼は大切にする。今回も、殺人現場である自然保護区、深夜、警察の現場検証を見守る「誰か」の存在を身近に感じ、彼はそこの警察犬を向かわせる。

しかし、彼の直感は単に山勘、霊感というものではなく、長年の経験、鋭い観察に裏付けられている。

そのひとつの例に、「早すぎる返事は嘘」という彼の経験則、あるいは定理がある。人間は、嘘をつく場合、それが良く考えられたものであればあるほど、それを嘘と悟られないために必要以上に心の準備をしようとする。それが、早すぎる返事となって現れるというのである。

 

「『これまで法律に触れるようなことをしたことがありますか。』

『いいえ。』

返事が早すぎるとヴァランダーは思った。早すぎる返事は正しくない。彼は、その部分を更に掘り下げることを決めた。

『質問には正直にお答えください。でないと、警察までご足労願うことになりますよ。』」

382ページ)

 

このような描写が、随所に現れる。

 また、何年も前に死んだ同僚のリュドベルクの言葉が、ヴァランダーの心の中に何度も現れる。例えば、以下のような。

 

「全ての副次的なことを漉し去れ。現場には必ず犯行の痕跡がある。それは影のように残されている。それを見つけなければならない。」

113ページ)

 

リュドベルクは、同時に良き相談相手でもあった。ヴァランダーはしばしば、誰かに話すことにより、自分の考えをまとめようとする。彼は、かつてはリュドベルクに期待していたその役割を若い女性の同僚、アン・ブリット・ヘグルントに期待する。

  今回の事件も含めて、ヴァランダーの扱う事件は、社会とその中に生きる人間の心理を反映して、どんどんと複雑なものになっていっている。マンケルが、それを「鍵」に例えているのが面白い。

 

「時々、彼は自分の持つ鍵束のことを考える。毎年毎年鍵が増え、新しい暗証番号が増えていく。そして、その全ての鍵と錠の間にヴァランダーがどうしても溶け込めことのできない社会が姿を現してくる。」

194ページ)

 

 同僚のマルティンソンの十一歳の息子ダヴィットが、将来、自分も警察官になりたいと言い出す。父のマルティンソンは、ヴァランダーに、警察官の仕事について、息子に説明をしてくれるように頼む。エピローグで、ダヴィットは幾つかの質問を用意して、ヴァランダーを訪れる。十一歳にして、彼はなかなか鋭い質問をヴァランダーに浴びせる。ヴァランダーはダヴィットの質問にできるだけ正直に答えようとする。その答えが、ヴァランダーの経験、悩み、自負、ひいては彼の存在のレジュメのような気がした。

 

20049月)