ヴァランダー最初の事件

ドイツ語題 Wallanders erster Fall 「ヴァランダー最初の事件」

原題 Pyramiden 「ピラミッド」

1999

 

<はじめに>

 ヴァランダーが警察に勤務を始めてから、長編第一作「顔のない殺人者」の舞台となる一九九〇年までに起こった事件を扱った短編、中篇集である。クルト・ヴァランダーが主人公となるシリーズ長編の最終作「防火壁」が書かれた後に、時代を遡るように書かれている。

 後年に離婚するヴァランダーの妻、モナ、第一作の後にガンで亡くなる師のリュドベルク、同じく同僚で、第七作で事件に巻き込まれて殺されるシュヴェトベルクなども登場する。当然のことながら、皆若い。しかし、彼らの後年の運命を知ってしまっているがゆえに、読んでいて少し変な気分がした。

 どんな気分かと言うと・・・

 筆者の子供時代、大抵の映画館は「入れ替えなし」であった。休日の映画館は混んでいたので、前の回が終わる前に映画館に入って、席が空いたらすぐ座れるようにしたものである。そうすると、映画の最後だけを少し見てしまう。映画が始まるときに、既に最後のシーンを見て、結末が分かっているというのは、変な気分であった。

 この本を読んで、その時の、映画館での変な気分を何十年ぶりかに思い出した。

 

<ストーリー>

 

ヴァランダー最初の事件

 

 一九六九年、マルメーの警察に勤め始めたばかりの二十一歳のクルト・ヴァランダーは、防犯課に配属されており、反戦デモの警備などに借り出されていた。彼は捜査課への転任を望んでおり、近くヘンベルク警視の率いる捜査課に転籍することになっていた。

 ヴァランダーはモナと付き合い始めたが、すれ違いばかりで、彼女との仲はぎくしゃくしていた。彼の父は、これまで住んでいたマルメーの住居を引き払い、田舎に引越ししようとしていた。ヴァランダーと父親の関係は、ヴァランダーが警察官になるという決意を述べてから、冷え切ったままになっていた。

 ヴァランダーの住むアパートの隣の部屋に、ハレンと言う名の、元船乗りの孤独な老人が住んでいた。ある日の午後、非番で昼寝をしていたヴァランダーは、隣の部屋の奇妙な物音を聞く。開いているドアから隣の部屋に入ると、ハレン老人が頭を撃たれて死んでいた。倒れた彼の手元にはピストルが転がっていた。

 ヘンベルクと捜査班は、老人の死を自殺として片付けようとする。しかし、何者かが、事件の後、老人の部屋に深夜侵入して何かを探し回っていたこと、また、その後、何者かが老人の部屋へ放火をしようとしたこと、そして、老人の胃のなかからダイヤモンドが見つかったことから、事件の捜査はそのダイヤモンドを巡る他殺説に転じる。

 ヴァランダーは独自に老人の行動を追う。そして、老人が、近くのキオスクで、定期的に女性に電話をかけ、タクシーでその女性の家を訪れていたことを知る。タクシー運転手をしている友人の協力でその女性の家を突き止めたヴァランダーは、独りでその家を訪れる。そこでは、女性が首を絞められて殺されていた。

 ヴァランダーは、本来の職務から逸脱しているのを知りながら、独自に事件を調べ始める。

 

覆面をした男

 

 一九七五年。ヴァランダーは近々マルメー警察署からイスタドに移ることになっており、家族を既にイスタドに住まわせていた。結婚して六年が経ち、娘のリンダが産まれてはいたが、ヴァランダーと妻のモナ仲はうまくいかず、彼らは些細なことで口喧嘩を繰り返していた。

クリスマスイヴ、帰りがけにヴァランダーは上司のヘンベルクにあることを頼まれる。マルメーとイスタドの間にある村で食料品店を営む女性から、怪しい人物が付近をうろついているという通報があった。おそらく老女の思い過ごしであろうと思うが、見てきてくれないかというものであった。

 ヴァランダーはその食料品店へ入る。店の中では老女が殺されていた。何者かがヴァランダーを背後から殴り、彼を縛り上げる。その男は覆面をし、ピストルを持っていた。ヴァランダーは、モナが帰りの遅い夫に気づいて警察に連絡を取ってくれることを祈りつつ、その覆面男に説得を試みる。

 

海岸の男

 

 時代は更に進み一九八七年。ヴァランダーは妻のモナと別居を始めていた。

 ひとりの身なりのいい男が海岸の村からイスタドに向かうタクシーの中で息を引き取る。解剖の結果、その男の体内から、遅効性の毒薬が見つかった。男はタクシーに乗る前、何者かに毒を盛られていたのだ。

 ヴァランダーは殺された男の身元を調べる。彼はストックホルムから来た実業家であった。誰もが彼のことを優しい人物だと評する。

男の息子が、数年前ストックホルムの路上で何者かに殺され、その犯人が挙がらないまま、事件が迷宮入りしていたことに、ヴァランダーにはひっかかりを覚える。

 男は休暇を取り、イスタドを訪れ、毎日タクシーで海岸へ来ていた。ヴァランダーは男がそこで誰かと会っていたと確信して、海岸沿いの家々に聞き込みを始める。

 ヴァランダーは海岸で、犬を散歩させている退職した老医師に出会う。ヴァランダーは、医師に殺された男の身なりを伝え、見なかったかと尋ねる。老医師は否定をするが、ヴァランダーは彼の表情に、例によって「何か」おかしいものを感じる。

 

 

写真家の死

 

 一九九八年の深夜。イスタドで長年写真屋を開業するジモン・ランベルクがアトリエで何者かに撲殺される。彼は、客からも、知人からも、穏やかな人物だと評されていた。一方、彼は深夜アトリエで、政治家や有名人の顔写真を醜く変形させ、それを一冊のアルバムに残していた。そこにヴァランダーは怪物のように変形した自身の顔も発見する。

 事件の数日後、深夜、写真屋の店舗に誰かが入っていったという隣人の通報を受けたヴァランダーは、店の前で待ち伏せる。出てきた男をヴァランダーは追うが、逆に殴り倒される。翌朝、男が隠れていたと思われる場所から意外なものが発見される。それは教会で使われる讃美歌集であった。

 穏やかな人物として評される写真家のランベルクであるが、彼の妻の証言により、次第に彼の多重人格が明らかになってくる。彼は数年前にオーストリアにバス旅行に行き、その後性格が激変し、妻との関係も絶っていた。

 彼には、身体障害のある娘がいた。彼はその娘を施設に預けていた。ヴァランダーはその施設を訪れる。そして、その娘を定期的に訪れる謎の女性がいることを知る。その女性こそ事件の鍵を握るとヴァランダーは確信する。

 

 

ピラミッド

 

 密かに低空でスウェーデンに侵入、何かを投下して帰る小型飛行機がある。その飛行機は荷物の投下を終えた後、墜落して炎上、乗っていた二人の男は焼死体で見つかる。

ヴァランダーは、麻薬取引容疑でホルムという男を取り調べている。彼が、麻薬の密売人であることをヴァランダーは確信しているが、証拠不十分で釈放せざるを得ない。 

イスタド市内で手芸材料店を営む老姉妹の家が炎上する。姉妹は何者かにピストルで首を撃ち抜かれた後、店に放火されていた。世間に対しては、細々と店を営んでいるように見えた老姉妹であるが、実際には隠れた顔を持っていた。現場検証の際、ヴァランダーの同僚ニュベルクは、地下室から厳重な耐火金庫を発見する。中からは多額の現金が発見された。また、旅行会社の社員の証言から、老姉妹がスペインにある自らの豪邸を定期的に訪れていたことを知る。彼女たちは、どこからそれだけの金を得ていたのか。

ヴァランダーの父は、突然ピラミッドを見るためにエジプトに旅立つ。そこでピラミッドによじ登ろうとして警察に逮捕される。ヴァランダーは父親を救うためにカイロに向かう。カイロから帰ったヴァランダーを待ち受けていたのは、ホルムが何者かに首を撃たれて殺されていたという知らせであった。

落ちた飛行機、殺された老姉妹、同じく殺されたホルム、この三角形を繋ぐものは何かとヴァランダーは思い迷う。一見三角形に見えるピラミッドは実は四辺を持つということをヒントに、ヴァランダーは隠されたピラミッドの一辺に迫っていく。

 

 

 

<感想など>

 

 マンケルは本書の前書きで、八作のヴァランダーシリーズの長編について、「ヨーロッパの動揺を描いた小説」であると総括している。「九十年代、ヨーロッパの法治国家に何が起こったか」「法治国家の基盤が揺るぎ始めた今、民主主義はどのように生き延びていけばよいのか」、マンケルはそれについて書きたかったという。そう言えば、マンケルは、ヴァランダーをはじめとする、登場人物に「時代が変わった」「もう俺たちの時代じゃない」と繰り返し述べさせている。

 また、前書きの中で、マンケルは読者からの手紙について述べている。読者からの手紙の中で最も多かった質問は「ヴァランダーは、このシリーズの始まる前に、何をしていたのか」と言うものであったという。そして、その読者の疑問に答えるべく、時代を遡る形で、マンケルは作品を書き始めた。これはクルト・ヴァランダーシリーズの最後を飾る作品である。しかし、「換言すれば、この作品はエピローグではない、プロローグである。一番最後に書かれてはいるものの」と作者自身はこの作品を位置づけている。

 前書きの最後に、作者は嬉しいことを書いている。八作目の最後で、娘のリンダが、警察官になる決心をしたことについてである。ヴァランダーがリンダの決心を肯定的に受け止めたのは、

「多分、リンダの決心は、ヴァランダーのこれまでの警察官としての職業生活に対して贈られた一種の勲章であるから」

であるという。これには全く同感である。

 

 「最初にはただ霧があった。」

「ヴァランダー最初の事件」の書き出しである。「最初に光ありき」という聖書の創世記の書き出しや、「最初には言葉があった」ヨハネの福音書の書き出しを思い出させる。

 第一作で、ヴァランダーが駆け出しの警察官であった頃、ナイフで刺され、瀕死の重傷を負ったことが述べられているが、そのいきさつが明らかになる。

 駆け出しの警察官ヴァランダー生活は公私とも波乱含みである。警察官になると告げて以来冷え切った父親との関係、付き合い始めたもののモナとの間には誤解とすれ違いが続く。ヴェトナム戦争反対のデモの警備に借り出され、街ではデモに参加した少女にあからさまに非難を受ける。彼は制服を着る必要のない捜査課への転出を希望していた。

 しかし、読者は、父とのその関係はその後二十年以上続くことを知っている。モナとは結婚し、十数年後に離婚することも知っている。そして、ヴァランダーが、殺人課の警視として、輝かしいキャリアを積むことを知っている。しかし、読者は知っていて、ヴァランダー自身は知らないという、小説と主人公読者としては極めておかしな状況におかれているのである。

 「覆面の男」に登場するアフリカから逃げてきた若者は、「白い雌ライオン」の中に現れる南アフリカの青年マバシャを思い出させる。この若者のイメージを、後年のマバシャに使用したのでは、と一瞬考えてしまったが、すぐにその間違えに気がついた。この作品の方が後なのである。物語の時代と、書かれた時代が折り合わないというのは、本当にややこしい。

「ピラミッド」で、父はエジプトを訪れる。第六作の「五番目の女」で、ヴァランダーは父親の長年の夢を実現させ、ローマを訪れる。私は、その時が父親の始めての海外旅行かと思っていたのであるが、実は、父親は一九八九年に既にエジプトを訪れていたのであった。

 ヴァランダーは、八冊の長編で「単独で行動してはならない」という、捜査の鉄則を何回も破り、その結果、何度も窮地に陥る。彼の若い頃は、やっぱり同じであった。逸る心を抑えきれず、単独行動を取り、最後はナイフで胸を刺されて、瀕死の重傷を負う。しかし、後年も、彼はひとりでラトヴィアに乗り込むなど、相変わらず、同じ行動を取るのである。

 最初にも書いたが、年代順になっている小説は、その年代に沿って、読むのが自然だと思った。