帰ってきたダンス教師

ドイツ語題:Die Rückkehr des Tanzlehrers

原題:Danslärarens äterkomst

2000

 

<はじめに>

 

 マンケルの長編ミステリーの中で、今のところクルト・ヴァランダーが登場しない唯一の作品である。主人公はシュテファン・リントマン、三十七歳。スウェーデン中部のボラスに住む犯罪捜査課の警察官である。彼は医者からガンを宣告される。その治療に入る前の数週間に起こった出来事という設定である。

 なかなか、端整な小説と言うのが私の印象である。

 

 

<ストーリー>

プロローグ:

毎度お馴染みのパターン、時間的にも、空間的にも遠く隔たった事件が描かれる。一九四五年十二月。英国の死刑執行人、ダヴェンポートは、ドイツで捕らえられた戦争犯罪人を絞首刑にするために英国から空路ドイツに向かう。ドイツで彼は計十二人の人間に対し死刑を執行する。最後はレーマンという男。彼はユダヤ人を虐待した男である。彼には同じようにサディスティックな弟、ヴァルデマール・レーマンがいた。その弟は、追及を逃れて行方不明になっていた。

 

第一部:

人里離れた森の中で孤独に暮らす老人、ヘルベルト・モリン。七十六歳、元警察官。彼は、外界との接触を絶ち、昼間はジグゾーパズルで時間を過ごし、夜になるとダンス人形とタンゴを踊るという生活をしていた。一九九九年十月十九日未明、人形とタンゴを踊っていたモリンは何者かに銃撃を受ける。催涙弾により外へ燻し出された彼は、捕獲され、裸にされた後、死ぬまで鞭打たれる。

ボラスで働く警察官シュテファン・リントマン。三十七歳になるが、独身。父母と死別した後、独りで住んでいる。エレナというポーランド人の恋人がいる。シュテファンはある日、舌に異常を感じ、病院を訪れる。診断はガンであった。三週間後に、放射線治療を始めることが決まる。彼は、失意と困惑のうちに診察室を去る。

病院の食堂で、彼はそこに置いてあった新聞を何気なく開ける。新聞は、かつての同僚で、現在は定年退職してヘルイェダレンに住むヘルベルト・モリンが殺されたことが報じていた。それも残忍な方法で。シュテファンは、彼と一緒に働いていたモリンが、常に何かに怯えていた印象を新たにする。治療までの三週間をどのように過ごすか決めかねていた彼は、職場を離れ、モリンの死の背景を調査することを思い立つ。

スウェーデン中部、エスターズントの警察官、ジョゼッペ・ラルソンは殺されたモリンの家を捜査中。犯人はモリンを殺害した後、死体を引きずりまわしていた。床にはモリンの血でスタンプされた足跡がついていた。ジョゼッペは、その足跡を観察するうちに奇妙なことを発見する。血でつけられた足跡が、タンゴのステップになっているのだ。犯人は、モリンを殺した後、死体と一緒にタンゴを踊ったということなのだろうか。

ヘルイェダレンに着いたシュテファンは、ホテルに部屋を取った後、モリンの家を訪れる。その家の前で、モリンは隣人(と言っても何キロも先に住んでいるのであるが)アブラハム・アンダーソンと出会う。アンダーソンは、モリンは、訪れる人もない家に、孤独に暮らしていたと話す。家の近くにある湖の畔を歩いていたシュテファンは、そこに最近まで誰かがテントを張り生活していた痕跡を発見する。誰かがそこにいて、モリンの様子を窺っていたのだ。

シュテファンは、エスターズント警察署にジョゼッペ・ラルソンを訪れる。ジョゼッペは彼を歓迎し協力を約束するが、同僚の一部には、外部の人間に干渉されることを嫌がり、シュテファンの来訪を快く思わない人間もいた。

シュテファンはジョゼッペの配慮で捜査資料を読む。そして、その資料からモリンの過去を知る。モリンはかつて職業軍人であった。そして、退役した後、名前を変えていた。名前を変え、森の中の一軒家に住み、そして、何かに怯えていた。このことから、シュテファンはモリンが何者に狙われているのを自分でも知っていて、その何者かから自分の存在を隠そうとしていたことを確信する。それは誰なのだろうか。

モリンが家を買うときに仲介した不動産屋を訪れたシュテファンは、売買の際モリン自身は商談に姿を見せず、エルザ・ベルグレンと言う名の女性が代行したことを知る。シュテファンは彼女の家へ出向き、家の中を窺う。シュテファンは隣人の老人に呼び止められ、彼から話を聞く。七十歳を越えたエルザは、モリンと同じように独り暮らしで、来訪者もないという。

翌日、驚いたことに、エルザ自身がシュテファンを家に呼び出す。自分は、モリンの古い友人であると告げる。しかし、彼女の振る舞いと話し振りに不審を直感したシュテファンは、その夜エルザの留守中、彼女の家に忍び込む。そして彼女の洋服箪笥の奥に仕舞われていたある物を発見する。それはナチス親衛隊の制服であった。

ホテルで、シュテファンの前に、モリンの娘と名乗るヴェロニカという女性が現れる。端整な容姿の彼女にシュテファンは好意を持つ。

その夜、アンダーソン老人を再び訪ねたシュテファンは、彼の不在に不審を抱く。彼は家の周囲を見回る。そして、森の中で、アンダーソンが木に縛り付けられ、射殺されているのを発見する。

 

第二部:

アーロン・ジルバーシュタインはアルゼンチンに住むユダヤ人である。彼は戦後ドイツから移住してきた。彼の父はベルリンに住むダンス教師であったが、第二次世界大戦中にナチスの将校に殺された。アーロンはずっとその父を殺した人物を捜し出し、敵を討つ機会を狙っていた。

彼は、最近になり、偶然出会った同じ境遇の男から、自分の父を殺したのがヘルベルト・モリンであることを知る。彼は偽名でアルゼンチンからスウェーデンに入国し、モリンを殺害する機会を窺う。そして、首尾よく復讐に成功し、アルゼンチンに戻るためにマルメーに戻る。マルメーに戻った夜、アーロンは、テレビのニュースで、彼が殺したモリンだけではなく、隣人のアンダーソンまでが殺害されていること、警察が同一人物の犯行として捜査していることを知る。少なくともアンダーソン殺しの汚名を晴らすべく、アーロンは再び犯行現場へと戻って行く。

再びモリンの家を訪れたシュテファンは、モリンの家の納屋の地下に隠された手紙、日記、写真を発見する。その日記を読むことにより、シュテファンはモリンの過去を知る。彼はナチスの信奉者であった。モリンは十九歳でナチスの志願兵としてドイツに渡り、SS、ナチス親衛隊として東部戦線でロシアと戦い、傷を負い、戦後スウェーデンに戻る。戦後もモリンはヒトラーの正当性を信じ続け、国家社会主義を一度は信じながら、戦後それを捨てた人々を憎んでいたのだった。

シュテファンとジョゼッペは再び、エルザ・ベルグレンを訪れる。彼女は、自分とモリンがナチスの信奉者であることを認める。警察の捜査班にも、事件はナチスに迫害された何者かによる復讐ではないかという新たな視点が加わる。

シュテファンはモリンの日記に記載されていたヴェターシュタットという弁護士をカルマーという町に訪ねる。年老いて死を目の前にしたヴェターシュタットは、海辺の別荘で一人の若者の世話を受けていた。ヴェターシュタットも自分がナチスであることを認める。深夜、シュテファンは、ヴェターシュタットのアパートに不法に侵入する。そこでスウェーデンのナチス組織の名簿を発見する。シュテファンはその中に、モリンやエルザ・ベルグレンだけではなく、亡くなった自分の父の名前を見つけ大きな衝撃を受ける。

犯行現場に戻ったアーロンは、ホテルの食堂で、シュテファンとジョゼッペの会話を立ち聞きすることにより、エルザ・ベルグレンが、今回の事件の鍵を握る人物であることを知る。彼は、ノルウェー国境の山岳地帯にある空の別荘を隠れ家として、真相をつきとめる機会を窺う。

証拠が明らかになるうちに、ジョゼッペとシュテファンは、モリンとアンダーソンを殺した犯人が果たして同一人物であるのか、疑いを持ち始める。

シュテファンは事件の捜査をジョゼッペに託して、自分はボラスに戻る。しかし、直後に、モリンの娘ヴェロニカから重大な話があるから戻ってくるように懇願され、再びヘルイェダレンに戻る。

 

第三部:

 

もうひとつの事件の真相を知りたいアーロンは、エルザを襲い、アンダーソンを殺したのは誰かと問う。しかし、答えが得られないままに、エルザの思わぬ反撃に遭い、途中通りかかったシュテファンの首を絞めて逃亡する。エルザの証言から、シュテファンは、ジョゼッペとホテルの食堂で話をしていたときに、横のテーブルに座っていた男こそが、エルザと自分を襲った犯人であると確信する。そして、その男が支払いに使ったクレジットカードから、その男がフェルナンド・ヘライラというアルゼンチン人であることを知る。それはアーロンの偽名であった。

アーロンは山岳地帯に逃れ、テントを張りそこに隠れる。彼が逃亡に使った車が山の麓で見つかったことから、警察は山中の捜索を試みる。しかし、霧と悪天候に阻まれて、警察はアーロンを見つけることができない。

ホテルに戻ったシュテファンはヴェロニカ・モリンと夕食を共にする。その後、ヴェロニカはシュテファンを自分の部屋に誘う。ヴェロニカはシュテファンを自分のベッドに寝かせるが、自分の身体には触れさせない。彼女の意図は何なのかとシュテファンは思い悩む。

モリンの家の掃除婦をしていた女性が、エルザがアンダーソンの家にも出入りしていたと証言する。ジョゼッペとシュテファンは、エルザがこの事件の鍵を握る人物であるという確信を強める。翌日、エルザは弁護士と警察に出頭し、アンダーソンを殺したのは自分であると告げる。警察は、彼女を拘置する。シュテファンは、七十歳を越えた老女が、アンダーソンを木に縛り付け、殺せるのかと訝しく思う。

アーロンは警察に発見されそうになり、車を盗んで逃亡する。しかし、そのアーロンを何者かが待ち伏せしていた。その男はアーロンの車に銃を撃ちかける。ヘライラと名乗るアルゼンチンから来た男(アーロン)、エルザ・ベルグレンの他に、もうひとり、事件に関与する人間がいるのだ。

シュテファンは、銃撃を受けたアーロンの車の傍に落ちていたある遺留品から、終にそれが誰であるかを知る。

 

<感想など>

 

ふたりの男が殺される。ひとりの男を殺した犯人とその動機は、かなり初期の段階で明らかになる。殺された男は元ナチスであり、その男に殺されたユダヤ人の息子の復讐劇であると。しかし、ふたりめの男、最初に殺された男の隣人を誰が殺害したのかは、最後まで明らかにされない。警察、シュテファン、そして第一の殺人犯人であるアーロンの三者がその謎に迫ろうとする。三者が三様の真相へのアプローチを行う。そして、事件を包む皮が一枚、また一枚と剥がれていく展開は、なかなか緊張感がある。その点、よく考えられた構成であると言える。

ガンを宣告され、数週間後に治療を受けることになったシュテファンは、何故、治療が始まるまでの、ひょっとしたら自分の最後の自由時間なるかもしれない貴重な時間を、モリンの死の調査のために費やす気になったのか。それも仕事ではなく、個人的に。これは、なかなか難しい問題である。私も、読んでいて何度か考え込んだ。シュテファン自身も、「何故俺はこんなところでこんなことをしているのか」と何度も自問している。

困難な病気、それから来る死と対峙しているとき、何かをしていないと、居ても立ってもいられないという気持ちはあるだろう。しかし、それだけではない。私は基本的に、シュテファンの人並み外れた好奇心によるものだと思うようになった。

実際に、彼の好奇心は留まるところを知らない。調査中に、彼は二度「犯罪」を起こす。一度は、エルザ・ベルグレンの家に侵入したとき。もうひとつは、ヴェターシュテットのアパートに侵入したときである。エルザの家で、彼はナチス突撃隊の制服を発見、ヴェターシュテットの家では、ナチス組織の名簿を発見する。(そこに、彼自身の父親の名前も発見するのであるが。)これは事件の展開の中で重要な発見なのだが、両方とも、非合法な手段で得られたものである。

マンケルはまたまた社会現象をストーリーに取り入れている。ネオナチズム。スキンヘッドのいかにも怪しそうな人たちだけに留まらず、最近では、オーストリアなので、明らかにかにネオズムと断言してよい、外国人排斥を唱える政党が躍進している。

しかし、マンケルの描くネオナチズムは、そんなものではない。もっと危険なものだ。人々の中にあるナチズムを信奉する心、陰で支持する者たちを、インターネット等の最新技術を駆使して、再び組織化しようとする動きである。最近、インターネットを使った児童ポルノや、自殺幇助が話題になっているが、そう言った意味では、最新の通信技術は、非合法な組織の温床になっていると言えるだろう。

主人公のリントマンが「霜の降りる前に」に登場する。また、ヴェターシュタットは「誤りの捜査方針」で殺された元法務大臣の兄弟である。登場人物や事象が、他の作品と微妙にかかわっているところが面白い。

結論として、私から他人にお薦めできる小説と言える。

 

200412)