「海溝」

原題:Djup

ドイツ語題:Tiefe

2004

 

<はじめに>

 

 マンケルでは珍しく、過去の時代を舞台にした物語。原題は英語で言うと「Deep」、「深み」と言う意味で、物語の中で非常に多義に使われている。ストーリーが海底測量の話であるので、「海の深み」つまり「海溝」というタイトルを選ばせていただいた。

 

<ストーリー>

 

一九一四年。第一次世界大戦開戦の前夜。スウェーデン海軍の海底測量技官、ラルス・トビアソン・スヴェルトマンは、スウェーデン南東沿岸の海底測量の使命を帯びて、ストックホルムから、軍艦スヴェアに乗り込んだ。次第に大型化しつつある艦艇を、無事通過させる水路をバルト海に発見することが、彼の目的である任務であった。彼は、その後、ブレンダと言う名の、小型船に乗り換え、「シェーレ」と呼ばれる、氷河の侵食によって出来た島の点在する地域へと向かう。

第一次世界大戦を目前に、バルト海にはロシアやドイツの軍艦が行きかう中で、測量作業は始まった。海底測量は、母船からボートを繰り出し、決められた地点で、ロットと呼ばれる錘を、海中へ沈めてその水深を測るという方法で行われていた。海中から、ドイツ兵士の水死体が発見されるという事件もあった。

ラルスはある日、誰も住む人のいないはずの小さな島から、かすかな光が発せられることに気付く。興味を覚えた彼は、その島に単身ボートで漕ぎ寄せる。そして、ハルスケールという名のその島に、ひとりの若い女性が住んでいることを目撃する。彼はその女性に心を奪われる。

嵐の前触れのある日、ラルスは島にボートで漕ぎつける。嵐がひどくなるのを待ち、偶然を装って、サラの小屋を訪れ、彼女の場所で夜を過ごす。サラは、夫とふたりで島に移り住み、魚を獲って暮らしていた。しかし、数年前、夫を漁の途中、事故で亡くして以来、ひとりで住んでいると語った。ラルスは自分も妻と娘を事故で亡くしたと、嘘をつく。

船の上では病人が出たり、ひとりの船員が極度のアル中で退船させられたり、小さな事件はあったものの、ラルスの率いる測量作業は概ね順調進む。ラルスは任務の終了が近づいたある日、再びサラを訪れる。彼女はラルスに自分を島から連れ出してくれるよう懇願する。ラルスは数日待つようにとサラに言い残し、船へ戻る。

彼はストックホルムに戻り、地上任務に配属される。おりしもクリスマス。妻のクリスティーナに対して、「愛している」と口では言うものの、心の中ではサラのことが忘れられない。彼は、自分の上司に対して、アル中の船員のサボタージュのため、前回の測量結果の一部が正しくないと進言する。実のところ、ラルスは、自分でデータの一部を書き換えていたのである。上司は、再測量のために、ラルスが単身現場へ向かうことを認める。

ラルスは、汽車と車を乗り継ぎ、氷結した海の上を三日間歩き、サラの住むハルスケールに到着する。サラの住む小屋を訪ねる。そこにはサラの他にもうひとりの男がいた。島に辿り着いた、ドイツ海軍の逃亡兵だと言う。嫉妬を覚えたラルスは、そのドイツ人を殺すことを決意する・・・

 

<感想など>

 

この物語を、楽しめるかどうかは、ひとえに「主人公ラルス・トビアソン・スヴェルトマンにどれだけ感情移入ができるか、どれだけ共感を覚えられるか」という点にかかっていると思う。

男の私の目から見ても、彼の妻クリスティーナに対する態度、自分の行為に対する自己正当化、それと最後の最後になってもまだ嘘をつき続ける態度には、不快感を覚えてしまう。

 

彼は、技術に対する信奉者であり、全てを数値で推し量ってしまう性格である。そして、彼の目は測量器のように正確である。新しい任務を帯びて彼はストックホルムの桟橋で、軍艦スベアに乗り込む。桟橋と船の間には板が渡されていた。

「彼は上陸用の板のちょうど真ん中にいた。彼はその全長を七メートルであると推測した。と言うことは、今桟橋から三メートル五十センチ離れ、船からも三メートル五十センチ離れている場所に自分はいるのだと。」(12ページ)

彼はこのように、無意識に自分の周りの全て事物との距離を測ろうとする。そして、その計測は驚くほど正確なのである。

しかし、彼は同時に、彼を巡る人々との内面的な距離をも推し量ろうとする。

「彼はこれまでやったことのない計測を手がけようとしていた。作り話を、壊すことなく、どれだけ真実から離していけるかという。」(295ページ)

そして、その結果は、彼が自負しているほど、正確ではなかった。そこから、ふたりの女性、クリスティーナとサラの悲劇が始まる。

 

島に住む女性、サラ・フリーデリカの魅力に取り付かれても、彼は一時の激情に流されることなく、常に沈着で、自分なりに最大限の計算尽くした行動を取る。そう言う意味で、この話を、頭の良い人間が「完全犯罪」を狙ったものの、思わぬところから破綻し、破滅する物語だと言うこともできる。

 

「妻と娘を亡くしたというのは嘘だったのね。」

とサラに言われたとき、

「あれは、最初の妻との話だったんだ。」

と言い訳をする。そこまで嘘がばれていても、なおかつ彼は自分の非を自分で認めようとしない。他人に対して、口が裂けても「ごめんなさい」を言わない、言えない人間なのである。

 

 彼の心の中には、嫉妬、不信、野心、憎悪、愛情などが人並みに、いや人並み以上に渦巻いている。

「自分の心の奥底にあるのは水平線に対する夢と憧れだと彼は思った。自分の必要なのは、水平線と、海溝であると。

それは彼自身を全ての他人にたいして閉ざしてしまう見えない封印をしているようなものだ。風のない海のように、表面は穏やかだ。しかし、その下では、彼がそれと戦わねばならないあらゆる力が待ち構えている。功名心、自己不信、怒れる父親と、泣くしかなかった母親への記憶。」(325ページ)

 

当時、海底測量は、海軍にとって、大変重大で機密を要する作業だったと書かれている。スウェーデンは中立を守ったものの、第一次世界大戦が始まり、バルト海では、ドイツとロシアの軍艦が戦いを繰り広げていた。そして、当時、艦艇は大型化し、喫水(つまり船が海中に沈んでいる部分)が深くなりつつあった。海戦が始まったとき、その海域での海底の地理を知り、大型の艦艇を動かせる道を知っていることは、戦術的に大きなアドバンテージとなる。従って、海底測量士のラルスも、良い待遇を受け、周囲の士官たちも、彼の職務に最大限協力したわけである。

 

どう考えても不自然だと思ったところ。サラは何年も独りで島に住んでいる。腹が減れば、漁に出て、魚を獲り、それを食糧にしていたという説明がなされている。海が凍結する冬の間も、氷に穴を開ければ、魚を獲れないことはないであろう。しかし、人間、魚だけを食べて、何年も生きていけるのだろうか。それとも、行商人が、定期的に島を訪れるのだろうか。

まあ、これはある意味では大人の「童話」である。童話に合理性を求めること自体、無理な話かも知れない。

 

20076月)

 

 

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