汚れた天使の思い出

原題:Minnet av en Smutsig Ängel

ドイツ語題:Erinnerung an einen schmutzigen Engel

2011;

<はじめに>

 

二〇一一年に出版された、マンケルの「アフリカ」シリーズの最新作である。今回も、「偶然の連続」の結果、アフリカのモザンビークで暮らすことになったスウェーデン人が描かれている。主人公のハナは、黒人の人権のために戦おうとするが、おりしも時は植民地全盛時代。植民地において、黒人は家畜並にしか扱われていない。「早すぎた試み」は成功するのだろうか。

 

<ストーリー>

 

二〇〇二年、元ホテル・アフリカ、燃やして暖を取るために木の壁をめくったひとりの男が、壁の中から一冊の革表紙の手帳を見つける。それはハナ・ルンドマルクという女性の書いた日記であった。そこには一九〇五年という文字が見えた。

 

一九〇四年、ハナ・ルンドマルクはスウェーデンからオーストラリアに向かう貨物船の上で、夫の遺体が海に沈められるのを見ていた。料理係のハナは、唯一の女性として船に乗り組んでいた。船長は死んだ男を水葬にする。ハナはその場所の水深を尋ねる。ひとりの船員が測定した結果、千九百三十五メートルであった。

ハナはスウェーデンの貧しい樵の娘として生まれた。父は早くに死亡。母のエリンと暮らしていた。ハナが十八歳になったとき、飢饉がスウェーデンを襲う。四人の子供たちを養いきれない母親は、一番年長のハナを親戚に預けようとする。ヨナタン・フォルスマンという裕福な商人に連れられて親戚の住むという町に来たハナ。しかし、目指す親戚は見つからない。フォルスマンはハナを召使として自分の家で働かせることにする。ハナはベルタという召使と一緒のベッドで寝泊りする。彼女は、フォルスマンの図書室で、捨てられたポルトガル語の辞書を見つけ、ポルトガル語を独習する。フォルスマンは彼女に、オーストラリアへ向かう船の料理人の仕事を紹介する。彼女はスヴァルトマン船長が率いる貨物船、「ロヴィーザ」に乗り込む。

船の中で、ハナは乗組員のひとりであるルンドマルクと懇意になり、彼の求婚を受け入れる。船がアルジェに着いたとき、ふたりはささやかな結婚式を挙げる。船はスエズ運河を通ってインド洋に出る。ルンドマルクは東アフリカの最初の寄港地で病を得て死亡する。

船が次の寄港地、ポルトガル領東アフリカのロレンソ・マルケス(現在のモザンビークのマプト)に着いたとき、ハナは密かに船を抜け出す。彼女は、死んだ夫の保険金として支払われた幾ばくかの金を持っていた。町の安ホテルに泊まった彼女は、股間から大量に出血をおこし、気を失う。気がついたとき、彼女はパライソという名前の売春宿の一室で寝ており、黒人売春婦のひとり、フェリーシアの看病を受けていた。その宿のオーナー、アッティミロ・ヴァスの計らいで、ハナはアナ・ドローレスという白人の看護婦の世話を受けることになる。ヴァスはカルロスというチンパンジーを飼っており、カルロスは給仕の服を着せられ、飲み物などを運んでいた。

数ヵ月後、回復したハナは、宿を訪れた白人客の一人に乱暴されそうになる。ヴァスは身体を張ってハナを助け、その男を宿の外に放り出す。ハナは街に散歩に出かける。教会で子供たちの合唱を聞き、ハナは望郷の念にかられる。彼女は、スウェーデンの船が入港したら、それに便乗して帰国しようと考える。彼女は望遠鏡を買い、毎日港に出て、スウェーデンの船を捜すが、故国からの船も、近隣国からの船をやって来ない。

ヴァスはハナに求婚する。彼女は最初それを拒絶しようと考える。しかし、チンパンジーのカルロスだけが相手の寂しそうなヴァスを見るにつけ、ハナはスウェーデンに帰るという決心を変え、ヴァスのプロポーズを受け入れ、彼の妻となる。ヴァスは豪華な屋敷をふたりのために用意する。そこでふたりはチンパンジーのカルロスと共に暮らすようになる。全ての家事は黒人の召使によって行われ、ハナは基本的に何もやることがない日々を過ごす。

結婚はしたものの、インポテンツに悩むヴァスのために、ハナはアフリカの民間療法の薬を用意する。彼女は薬を夫に飲ませる。夫は翌朝死亡していた。彼女は、売春宿、豪邸を相続し、突然町でも有数の裕福な女性となる。彼女は売上金を納めるために金庫を開き、その中に革表紙の手帳を発見する。彼女はその手帳に、日記を付け始める。

ハナは売春婦の黒人女性を集め、自分は彼女たちの「傍」にいる存在であると告げる。しかし、黒人の女性たちは、ただ沈黙するばかりでハナの意図を理解してくれない。ハナは再びスウェーデンに戻ることを考え始める。

ハナは死んだ夫と交友のあったペトロ・ピメンタに相談に行く。ピメンタは商売で成功し、郊外の大きな屋敷に住み、ワニを飼育していた。ピメンタはイザベユという黒人女性と一緒に住んでいて、彼らにはふたりの子供があった。ピメンタは、もしハナがスウェーデンに戻るなら、屋敷と売春宿を買い取ってもいいと言う。ハナは、「売春婦の女性たちを一生面倒見るならば」という条件を付ける。しかし、ピメンタにはその意図や必要性が理解できない。

スヴァルトマン船長が客として宿を訪れる。ハナは死んだと思っていたスヴァルトマンは驚く。一度スウェーデンに帰国した彼は、フォルスマンにハナは死んだと伝えていた。それを聞いたフォルスマンは自責の念に駆られていたという。ハナはその夜、三通の手紙を書く。それらはフォルスマン、母、ベルタへ宛てたものだった。母への手紙には、

「私は生きている。」

とだけ書いた。翌朝ハナは写真館で写真を撮り、停泊中の「ロヴィーザ」に船長を訪ねる。ハナは手紙と写真を船長に渡し、スウェーデンに届けてくれるように依頼する。

ある朝、ハナは街から火の手が上がっているのに気づく。銃声も聞こえて来る。黒人が暴動を起こしているのであった。ハナは宿へ駆けつけようとするが、車が途中で暴徒に襲われる。そこにポルトガル兵が現れ、黒人たちを次々に射殺する。白人に娘を乱暴されたことに怒り、その白人に挑んだ父親が、白人に射殺されたことが暴動のきっかけてあったことをハナは知る。彼女は、殺された父親の娘に、見舞金を送る。

ハナは召使の娘である十四歳のジュリエッタが、売春宿で客を取りたいと言い出したことに衝撃を受ける。また、中年になり太りだした売春婦エスメラルダが、痩せるために寄生虫を呑み込んだことを知る。エスメラルダは痩せ始めるが、数日後に港で、水死体で発見される。エスメラルダの葬儀の後、ハナは若い司祭と話す。「人々に罪を犯させることにより金を儲けている」と話すハナに、司祭は、売春宿を畳むか売るかして、故国に帰ることを進める。

今後のことを相談するために、ハナは再びペトロ・ピメンタの屋敷を訪れる。しかし、そこでは修羅場が繰り広げられていた。ピメンタの妻が、ふたりの子供を連れてポルトガルから到着したのである。これまでピメンタは、コインブラに住む妻には、「危ないから」という理由で、アフリカに来るのを禁じていた。ピメンタが故国の妻と、現時妻の二股をかけていたことが分かったのだ。妻のテレサは激怒、現地妻のイザベユはナイフでピメンタを刺し殺してしまう。

ハナは逮捕されたイザベユを助けようとする。彼は弁護士に相談するが、黒人は裁判を受けることも、弁護士を雇うこともできないと言われる。このまま行くと、イザベユは死ぬまで幽閉されることになる。ハナは頻繁に獄中のイザベユを訪れる。ハナの行動は周囲の白人から反発を買う。従業員の黒人女性からも、白人の男たちがハナの宿をボイコットするため、収入が減った不満が出始める。ハナは、減った収入は自分が補填すると言う。しかし、同朋の身の上より、自分たち収入のことを考える黒人の女性に、深い失望を覚える。

彼女は、現地語が話せ、人権について詳しいインド人の弁護士を雇うために、南アフリカのヨハネスブルクへ向かう。パンドレ弁護士は、ロレンソ・マルケスを訪れることを約束する。帰国し、危険を感じ始めたハナは、オニールという白人の男を、宿の用心棒として雇う。

ハナがヨハネスブルクで会ったインド人の弁護士がロレンソ・マルケスに到着する。これまでの要塞の指令官の代理となった若い士官、レムエル・ガリバー・サリヴァンは、医者と聖職者以外が囚人に接触することを禁じる。ハナは弁護士を医者と偽ってイザベユに面会させる。しかし、弁護士もイザベユを助けることはできない。彼は金にものを言わせて、司令官代理を買収するしかないと言う。ハナは日記を書き続ける。いつか、イザベユが読んでくれることを願って。

ハナを待っている黒人の男がいた。妹の身を案じて内陸の鉱山から帰って来た、イザベユの兄モーゼスだった。彼は、ハナに羽根が生えて、空を飛べるようになる薬を妹に渡すように頼む。ハナはそれをイザベユに渡すが、何も起こらない。それどころか、イザベユは何者かに切り付けられ、大怪我をする。

策が尽きたハナは、司令官代理を買収しようと決心する。ハナは有り金をサリヴァンの部屋に運び、イザベユを逃がすように懇願する。サリヴァンは金だけではなく、ハナが一晩彼の言いなりなることを、取引の条件に持ち出す・・・

 

<感想など>

 

偶然に望みもしなかった異国に辿り着き、不本意ながらそこに住み始め、結局永い年月その地に留まることになる。私はその手の話に弱い。ヨーロッパに暮らし始めてから、井上靖の「おろしや国酔夢譚」を読み、衝撃を受けて以来のことである。私自身が、そんな経験をしているため、このような話の展開には思わず、必要以上に感情移入をしてしまう。マンケルは二〇〇四年に発表された「豹の目」でも、そんな主人公を描いていた。ハナが船に乗ったのも、モザンビークで船を降りたのも、まったく偶然のなせる業。彼女自身が、そうしたいと望んだわけではない。しかし、人間はふとした偶然から、人生の大部分を、予期しない場所で予期しないことをして過ごしてしまうのである。

黒人に対する人種差別と戦う人の話でもある。この点でも、「豹の目」と似た展開になっている。自分の周囲にいる黒人を助けるために尽力したものの、その意図は黒人にも受け入れられず、結局徒労に終ってしまう。ハナがイザベユの釈放運動を始めたとき、売春宿で働く黒人の女性たちまでも、白人の客が減って自分たちの収入が減るとそれに反対する。

二度の結婚し、二度夫を失い、黒人のために戦うハナは、最後ずいぶんしっかりとし、その言動からは中年の女性を連想させるが、設定では彼女はせいぜい二十歳なのである。最後、ハナは突然跡形もなく姿を消す。若干不満とフラストレーションの残る結末である。しかし、彼女はまだ二十歳前。そう考えると、この結末にも何となく希望が持て、彼女の幸せな一生を祈ってしまう。

「汚れた天使」とは、ハナの父親が死ぬ前に彼女に残した言葉による。

「お前は天使だ。汚れているけれども、天使だ。」

ハナは背も低く、容姿は余り良くないとの設定。しかし、好奇心と正義感の強い女性として描かれている。

ハナの降りたポルトガル領東アフリカでは当然、ポルトガル語が話されている。「ハナがフォルスマンの図書室で捨てられていたポルトガル語の辞書を見つけて独習した」ということで、ハナは最初から少しはポルトガル語が話せる設定となっている。この辺りが、ちょっと話の展開に無理があるように感じた。ハナと売春婦の女たち、ハナとふたりの夫、結構複雑な会話が交わされているのだが、

「これ全部速習のポルトガル語でやったの。」

突っ込みたくなってしまう。

ハナが主人公とすれば、次の「重要人物」はチンパンジーのカルロスであろう。ヴァスに飼われていたカルロスは、ハナと共に、次に何が起こるかわからない「手探りの人生」を歩むことになる。

ハナは途中から名前を、アナ・ブランカに変えるが、ここでは、説明を簡単にするために、ハナで統一した。

機会があれば、東アフリカの国を訪れてみたい気もするが。距離、時間、体力、資金を考えると、無理のよう。本で間接的に経験しておくだけになるだろう。少し寂しいが。

 

20146月)

 

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