「手」

原題(オランダ語):Handen (手)

スウェーデン語:Het Graf (墓)

ドイツ語題:Mord im Herbst (秋に起きた殺人)

2004年/2013年)

 

<はじめに>

 

 十作の「ヴァランダー」シリーズの他に、マンケルは実はもう一作「ヴァランダー」シリーズを出していた。二〇一三年に刊行された、スウェーデン語版の前書きで、マンケル自身が次のように述べている。

「この物語は何年も前に書かれたものである。当時オランダで、その月に刊行された特定の本を買うと、もう一冊の推理小説が只になるという企画があった。私にもそのための本を書いてみないかと誘われた。読者を増やすのにこれは良い考えだと思いそれに応じた。本は出版された。何年もしてから、ケネス・ブラナーが警視ヴァランダーを演じるテレビシリーズの脚本に、その話を使うことを、BBCが決めた。番組を見て、私はストーリーがまだ命を保っていることに気が付いた。時代的には、最後の『ヴァランダー』シリーズである『不安に駆られた男』の前に位置する。これで、『ヴァランダー』シリーズは打ち止めになる。」

このように、この物語は二〇〇四年、オランダで、オランダ語で出版されたものである。

 

<ストーリー>

 

 二〇〇二年十月、ヴァランダーはイスタド警察署で働き出した娘のリンダと一緒にアパートに住んでいる。リンダは、最近イスタドの警察に転勤してきたステファン・リントマンと付き合っている。父娘はアパートで、時には喧嘩をしながらも一緒に暮らしていた。ヴァランダーの夢は、郊外に一戸建てを買い、そこで犬を飼うということだった。土曜日の朝、久しぶりに自宅でノンビリしようと思っているヴァランダーに、同僚のマルティンソンから電話が架かる。彼の親戚の家が格安で売りに出ているという。ヴァランダーは、かつて父親が住んでいたレーデルップの村にある、その家を見に行く。

そこは古い農家であった。ヴァランダーがその家の庭を歩いていると、土の中から何か白いものが出ている。それは白骨化した人間の手であった。彼は警察の同僚に連絡。辺りが掘り起こされると、手だけではなく、女性の死体が見つかる。検視の結果、その女性の死体は他殺死体で、年齢は五十歳前後、地面に埋められてから五十年から七十年の年月が経っていることが明らかになる。

マルティンソンと、ステファン・リンドマンが、過去において行方不明になった女性を調べる。しかし、該当するような行方不明者に対する捜索願は出ていなかった。マルティンソンとヴァランダーは隣の家を訪れる。そこには、八十歳を超える老女が住んでいた。彼女は、隣家の歴代の住人を知っていたが、行方不明になった人物はいないという。

五十年から七十年前の犯罪ということは、仮に犯人が当時三十歳であったとしても、もう死亡している確率が多い。また、当時は第二次世界大戦前後の混乱の中にあり、大量の人々が戦災を逃れて、スウェーデンに避難していた時期だった。仮に、死体の身元を確認しても、その犯人の捜査は困難であることが予想された。

五十年前、その家にはルードヴィヒ・ハンソンという男の所有であった。彼の末娘がまだマルメーで存命ということで、ヴァランダーはリンダとその老女を訪れる。彼女は、母親と父親の折り合いが悪く、戦後間もなく、母親が子供たちを連れて家を出て、父親が独りで住んでいた時期があったと言う。しかし、彼女は、父親は穏やかな性格で、殺人を犯すような人物ではなかったと言い切る。

ヴァランダーは、解決の糸口をつかむために、再びその家を訪れる。庭で何か不自然さを感じたヴァランダーは、きれい幾何学模様に植えられている黒イチゴが、一部乱れていることを見つける。おそらく、誰かが黒イチゴの藪を一度抜き、それを慌てて埋め戻したと推理したヴァランダーは、鑑識にその場所を掘るように依頼する。果たして、そこから今度は頭蓋骨に傷のある、男の他殺死体が見つかった。これで被害者は二人になった。

捜査が行き詰っているヴァランダーに電話をしてきた人物がある。それは、かつてイスタド方面を管轄していた、定年退職した警察官、シモン・ラーソンであった。彼は、五十年前、自分が警察で働き出した頃、ジプシーの夫婦が、馬車と馬を残して、行方不明なった事件があったことを告げる。ヴァランダーは、当時の新聞を調べてみる。事実、五十歳前後の夫婦が、姿を消していた。その孫がまだ近くに住んでいることを知ったヴァランダーは、その女性、カティア・ブロムベリに電話をする。逮捕歴があり、警察の常連である彼女がやって来る。彼女の話によると、彼女の祖父母の失踪は、借金から逃れるための偽装で、祖父母はほとぼりが冷めた頃、名前を変えて現れたという。これで捜査は振り出しに戻る。

捜査が進展を見せないある日、カティア・ブロムベリが再び電話をしてくる。彼女は、何故かルードヴィヒ・ハンソンから預かった日記を持っているという。ヴァランダーはその日記を見る。その結果、ルードヴィヒ・ハンソンは、戦時中エストニアからの難民の一家に、家の一部を貸していた。ヴァランダーはその一家について、イスタド市の住民票を調べる。その結果、その一家の両親はデンマークに転出し、息子はスウェーデンに帰化したことが分かる。

その息子は八十六歳と高齢だが、まだイスタド近郊の老人ホームで存命であった。ヴァランダーその息子を訪ね、両親の行方について訪ねる。彼は、両親がその後エストニアに帰って死亡したこと、その葬儀に出席したことを告げる。またしても、徒労?しかし、ヴァランダーはその息子の「早すぎる、正確すぎる」回答に、不自然さを感じる・・・

 

<感想など>

 

何故、マンケルはこの小説を、オランダで出版された後、すぐさまスウェーデンでも出版しなかったのか。確かに短いし、テレビドラマとしては適当な長さだが、一冊の本にするには力不足のような気がする。

マンケルは、時々主人公の生きている時代を遡って物語を発表する。「ピラミッド」という本があるが、これはヴァランダーがまだ駆け出しの頃の話を含んでいる。しかし、書かれたのは、一連のシリーズのはるかに後である。この小説は、ヴァランダーの「最終作」が発表されてから、それ以前のエピソードとして発表されたことになる。終わりだと思っていたら、「おまけ」、「アンコール」があった。それは読者にとっては嬉しいことだ。しかし、「おまけ」はしょせん「おまけ」なのかも。

五十年から、七十年前に起こった殺人事件の捜査。捜査する人間たちはまだ生まれていないし、多くの関係者はもう鬼籍に入っている。まだ生きている、わずかな人々を頼りに、捜査が続く。一度は徒労と思われた捜査活動が、実は後で実りをもたらすという筋立てである。

ステファン・リントマンが登場する。懐かしい名前である。彼は「帰って来たダンス教師」の主人公であった。彼はイスタド警察に転勤になり、リンダと付き合っているという設定になっている。

またしても「早すぎる」答えが、ヴァランダーの犯人発見のきっかけになっている。犯人は犯行を否定することを考える余り、常に想定された質問に対して、想定された答えを準備している。その準備が「早すぎた」回答となり、ヴァランダーのようなベテラン刑事には、嘘を見透かされてしまうのだ。これは、ヴァランダーが何度も使った「手」であるが、今回も登場した。

地中に埋められていた死体の、それも手だけが、何故地面に露出したのか、説明があるかと思ったら、結局なかった。

オランダ語、スウェーデン語、ドイツ語、英語と、発表されたときのタイトルがそれぞれ違う。最初に発表されたオランダ語で題、「手」を今回は採用した。アンコールに応えての小品としては、楽しめる作品であった。

 

20146月)

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