「デイジー・シスターズ」

Daisy Sisters

1982年)

 

 

<はじめに>

 

二〇一五年十月五日、ヘニング・マンケルは六十七歳の若さで死去。ちょうどそのとき日本にいたが、日本ではニュースにさえならなかった。十日後に英国に戻り彼の死を知った。「汚れた天使の思い出」が最後の作品になったようである。さてこの「デイジー・シスターズ」は一九八二年の発表、マンケルの初期の作品である。彼が「ヴァランダー」シリーズの「顔のない殺人者」で大ブレークするのが一九九七年であるからその十五年前。彼の初期の作風を知る上で、貴重な作品であると言える。

 

<ストーリー>

 

イーヴォア・マリア・スコグルンドは三十八歳、クレーン車の運転手である。子供の欲しい彼女だが、また月経が始まったことにより、妊娠していないことを知る。彼女は、母親のエルナに思いを馳せる。エルナは、ノルウェーとの国境の近くで、イーヴォアを身籠ったのであった。

 

一九四一年、第二次世界大戦が始まって三年が経とうとしていた。エルナ・スコグルンドは初めてペンフレンドのヴィヴィ・カールソンと顔を合わせた。三年前、エルナは学校で、「ペンフレンド」を捜している女の子から手紙が届いているという教師の呼びかけに応じて、その女の子に手紙を書く。相手の少女ヴィヴィは、スウェーデン南部、スコーネ地方のランズクローナという町に住んでいた。エルナとヴィヴィは文通を始め、三年間の間に多くの手紙がふたりの間を行き交う。その間にふたりは学校を卒業し、エルナは地元の金持ちの家の家政婦として、ヴィヴィもホテルのメイドとして働き始める。彼らは会うことを考え始めるがチャンスに恵まれない。一九四一年の夏、農場を経営するエルナの伯父が、牧草の収穫のときに人手が必要なので、誰か助けに来てくれないかとエルナの両親に持ち掛ける。それを聞いたエルナは、ヴィヴィにも連絡し、七月の一週間、一緒に伯父の農場で働くことにする。ふたりは勤め先から二週間の休暇を取る。

途中の駅でふたりは初めて顔を合わせる。ふたりは意気投合し、自分達に対して「デイジー・シスターズ」という名前を考え付く。ふたりは自転車で移動し、農家で食料を調達し、小屋を見つけては寝袋で泊まった。ノルウェーとの国境で、ヴィヴィとエルナは若いふたりの国境警備兵に出会う。ヴィヴィは兵士に国境を見に連れてくれと頼む。兵士はふたりに国境を見せる。ふたりの兵士が翌日、小屋に泊まっていたヴィヴィとエルナを訪れて来る。兵士たちはふたりに酒を飲ませ、性行を迫って来る。ヴィヴィはそれを事もなげに受け入れるが、エルナは半ば強姦のような形で、ニルスという名前の兵士と関係を持つ。一週間、ヴィヴィとエルナは、エルナの伯父の農園で働き、それぞれの住む土地に戻っていく。

数週間後、エルナは月経が来ないことに気付く。彼女は妊娠していたのだ。エルナはヴィヴィに手紙で相談する。ヴィヴィは、近くの少し大きな町のゲブレなら、非合法の中絶手術をする医者がいるに違いない、そこで中絶するように勧める。エルナは一番上の兄の住むゲブレへ行き、そこで兄の知り合いの女性から、非合法の中絶手術をするという男を紹介される。その男を訪れると、百クローネを代金として要求してくる。勤め先の給金を前借して、再びその男を訪れたエルナは手術を受ける。しかし、それは失敗し、出血が止まらなくなった彼女は病院に運ばれ、そこで気を失う。二日後エルナが目を覚ますと母親が来ていた。母親は事情を知っていた。医者は、お腹の子供は無事だという。家に連れ戻されたエルナは、絶望して、塔の上から身を投げようとする。彼女は自分の名前と日付を塔の手すりにナイフで刻む。しかし、いよいよとうところで彼女は、思い直す。一九四二年三月、エルナは女の子を産み、その子をイーヴォアと名付ける。

 

一九五六年。ハルスベリの町に住むアンデルス・ユンソンは夜、自分の家の前に立つ、少年に気付く。アンデルスは、映画の撮影の際、照明に集まって来る虫を追い払う仕事をしていた。歳を取ってから、彼は死んだ姉から、ハルスベリにある小さな家と、かなりの額になる姉の遺産を相続する。彼はハルスベリに移り、姉の残した金で毎日酒浸りの生活をしていた。家の前に佇んでいた少年は、ラッセ・ニーマンという名前で、少年刑務所から脱走してきたという。アンデルスは、ラッセに宿と、食糧、衣服を提供する。彼の家の向かいに、エルナ・シェグレンという女性が、鉄道で働く夫のエリックと娘のイーヴォアと一緒に住んでいた。アンデルスは街の噂で、イーヴォアはエルナの子だが、エリックは実の父親でないことを知っていた。

ティーンエージャーのイーヴォアは、ラッセと通りで会う。ある日、アンデルスが家に戻ると、ラッセとイーヴォアが締め切った部屋の中で話し込んでいた。そこに母親のエルナが血相を変えてアンデルスの家に飛び込んで来きて、娘を連れ戻そうとする。母親と娘は口論になる。娘は、

「あんたは十七歳の時、男と関係して自分を産んだくせに、なぜ自分が男の子と付き合うことを禁止するのか。」

と叫ぶ。アンデルスとラッセは、母と娘をなだめる。

間もなくラッセは去っていく。その後、イーヴォアとアンデルスの間には年齢の差を越えた奇妙な友情のようなものが生まれ、イーヴォアはしばしばアンデルスを訪れようになる。

新しい車を買ったエリックは、家族で旅行をしようと提案する。エリックは隣人のアンデルスも誘い、四人はエリックの運転する車で出発する。行先として、エルナはヴィヴィの住むスコーネを提案し、エリックもそれに従う。彼らは、マルメに住むヴィヴィと訪ねる。

ヴィヴィはこれまで、何度か大学で勉強しようとして、挫折を繰り返していた。彼女は、一度は大学で考古学を勉強することにしたが、大学に馴染めず中退。その後、政治的なことも含めて色々なことに手を染めたが、結局はマルメの町で事務員をしていた。男たちをマルメに残し、女性三人は、フェリーに乗り、対岸のコペンハーゲンに渡る。そこで、イーヴォアは初めて、母親とヴィヴィと出会い、友情について知る。イーヴォアは性格的に全く逆のエルナとイーヴォアが親友としてやってこられたのを不思議に思う。

休暇が終わり、ハルスベリの町に戻ったイーヴォアは、洋裁店で縫子の修行を始める。筋がよく努力家のイーヴォアは、店主のお気に入りとなる。

冬の日、アンデルスの家を再びラッセが訪れる。ラッセは、車を盗んで警察からの逃避行を続けていた。アンデルスは、イーヴォアにラッセが帰ったことを告げる。その日の夜、ラッセと共に、イーヴォアも行方不明になる。車で逃げる二人だが、途中で金が亡くなり、農家の住人を脅して金を盗ることラッセが考えつく。二人の老人が住む家に入ったふたりだが、ラッセはよろめいた老人を、自分に襲い掛かってきてものと錯覚して撃ち殺してしまう。更に逃亡するふたりだが、警察の非常線で捕らえられ、ラッセは逮捕され、イーヴォアは両親の家に戻される。

アンデルスはふたりを引き合わせたことで自責の念に囚われるが、イーヴォアの帰還を喜ぶ。アンデルスはそれから間もなく、イーヴォアに猫を託して死ぬ。

イーヴォアは、自分の家を出るために、ボロスの町の紡績工場に職を得る。そこで狭いアパートを借りて、苛酷な環境の中で仕事を始める。彼女は同僚のフィンランド人の女性リサを通じて、スポーツ店に勤めるというヤコブという男と知り合い、付き合い始める。イーヴォアはヤコブの子を孕み、ふたりは結婚する。

イーヴォアは男の子を産むが、ヤコブは色々な理由を付けてはしばしば外出し、イーヴォアの出産のときにも家にいなかった。イーヴォアはヤコブのシャツのポケットから、封を切ったコンドームを発見する。イーヴォアはヤコブにそれについて問いただす。ヤコブは他に愛人のいることを否定する。

子供がある程度手がかからなくなった時、イーヴォアは子供をヤコブの母親に預け、洋裁師としてパートタイムで働こうとし、働き口も見つける。ヤコブは、

「女性は家に居るものだ、俺の給料だけでは生きていけないのか。」

と怒り、大反対するが、イーヴォアはそれを押し切る。しかし、働き始める前日に、二人目の子供を腹に宿していることが分かり、結局働くことを断念する。

イーヴォアの祖父が危篤ということで、エルナとイーヴォアはエルナの故郷の町に向かう。その列車の中で、エルナ自身も妊娠していること、またヴィヴィの紹介で、エルナとエリックはスコーネ地方に移り、そこで働くことになると告げる。エルナの故郷で、彼女は娘に、塔の上から飛び降りようにしたとき、自分が橋の欄干に彫った名前と日付を見せる。

イーヴォアはそれから七年間ヤコブと一緒に暮らす。ヤコブはその間に事業で成功を収める。周囲には常に女性関係を漂わせるヤコブに耐えられなくなったイーヴォアは、ふたりの子供とヤコブの家を出て、イェーテボリで暮らし始める。

一九七三年のクリスマス、ラッセ・ニーマンがイーヴォアのアパートに現れる。彼は、高級そうなスーツに身を包み、マデイラ島行の切符と金を持っていた。イーヴォアに一週間一緒にマデイラに行かないかと誘う。最初は断ったイーヴォアだが、結局翌朝ラッセと一緒にスウェーデンを発つ。ふたりは、別々の部屋を盗り、マデイラで休暇を過ごす。イーヴォアが他の男と話をしているのを見た酔ったラッセが、彼女を責め、半ば強姦するような形でふたりは関係を持つ。新年になりふたりがスウェーデンに帰ると、空港に警察官が待機していた。ラッセは銀行強盗の容疑者として逮捕される。

数週間後、イーヴォアは生理のないことに気付く。ラッセの子を宿していたのだった。彼女は病院で中絶手術の予約を取る。彼女はニュースで、ラッセが拘置所から脱走したことを知る。そして、彼女の予想通り、ラッセは彼女の元に現れた。イーヴォアが妊娠していることを告げると、ラッセは喜び、絶対に中絶しないで育ててくれと懇願する。ラッセはその後、車を盗み逃走するが、運転している車が木に激突して死亡する。イーヴォアはラッセの子供を産んで育てることを決意する・・・

 

<感想など>

 

ヘニング・マンケルがヴァランダーシリーズを書き始めたのが一九九〇年代、この小説は、一九八二年の作品。海外で出版されている本の中では、最も初期のものと言える。しかし、ドイツ語の翻訳が出たのは二〇〇九年。スウェーデンで出版された実に二十七年後、マンケルが名声を博した後、彼の初期の作品として見直されたということになる。しかし、この小説はマンケルの作品の中でも一二を争うものだと思う。これだけのレベルの作品が、二十数年間も、翻訳されずに埋もれていたことは全く信じられない。

望まぬ妊娠によって、人生が変わる女性がテーマになっている。

まず、エルナは十七歳の時、親友のヴィヴィとサイクリング旅行に言って、そこで兵士に強姦され(この辺り、兵士を誘ったのは女の子達だし、その前に酒も飲んでいるので、強姦とは言い切れないのだが)妊娠し、中絶手術に失敗し十八歳で母親になってしまう。幸いなことに、エルナは後年、子連れで、エリックと結婚、その後はまあまあ安定した生活を送る。

娘のイーヴォアは母親と対立、十八歳のとき自立を試み、ボロスの町の紡績工場で働き始める。そこで友人を通じてヤコブという男性と知り合う。妊娠していることが分かり結婚する。しかし、度々家を空け、出産のときにも立ち会わなかった夫が封を切ったばかりのコンドームを持っているのを発見する。不実な夫に悩みながら彼女は生きる。イーヴォアは一度、夫の反対を押し切って、自分で仕事を見つけようとする、しかし、二人目の子供を妊娠したことで、その望みも絶たれる。

思わぬ妊娠で、女性の一生が左右されるというパターンは、これまで数々の小説の中で書かれてきた。マンケルはそれを後悔し、不幸に陥る女性も描いていないし、それを肯定的に受け止める明るい女性も描いていない。その思い入れを断ち切った書き方が、一見あり得ない展開に現実味を与え、この小説の魅力となっている。

一九三八年、エルナとヴィヴィが文通を始めてから、一九八一年までのイーヴォアが再婚するまでの、四十三年間の、三世代に渡る家族の歴史が描かれている。主人公は、最初はエルナ、途中から娘のイーヴォアに代わる。五百五十ページに渡る大作である。変な例えだが、その壮大な構成は、ギリシア神話のオデッセイを読んでいる気分になる。マンケルの作品の中でも、一二を争う作品だと思う。しかし、この作品が発表された一九八二年にはそれほど話題にならなかった。また、その後も、余り取り上げられるチャンスに恵まれていなかった。その証拠に、マンケルのファンの多いドイツでも、その翻訳出版は二〇一一年まで待たねばならない。これは非常に不可解なことである。

最後に、私個人にも、何百万の読者にも、読み始めたらやめられない、眠れぬ夜を幾晩も与えてくれたマンケルに対し、深く感謝し、彼の冥福を祈りたい。

 

201510月)

 

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