「火の謎」

ドイツ語題:Das Rätsel des Feuers

原題:Eldens gåta(火のミステリー)

2001年)

 

 

<はじめに>

 

この本は、青少年向けに書かれたと思う。長くないし、読み易く、十四歳の少女ソフィアが語り手になって、彼女のみずみずしい視点で語られる。アフリカの現状を理解してもらうために、若い人には是非読んでほしい本である。

 

<ストーリー>

 

ソフィアは、今日は良いことが起こりそうな、今日は特別な日になりそうな、そんな予感を持って毎日目覚める。彼女は、まだ家人が眠っている早朝に、独りで起き出すのが好きだ。彼女が起き出してしばらくして、村人の飼う鶏が鳴き始める。

ソフィアは十四歳である。モザンビークの村で、母親のリュディア、四歳年上の姉ローザと、幼い二人の弟暮らしている。父親は数年前に盗賊団に襲われて死亡した。ソフィアは二年前、姉のマリアといるときに地雷を踏み、マリアはその場で死亡、ソフィアも両足を失っていた。ソフィアは数か月を病院で過ごした後、義足をつけて、杖をついて歩けるようになり、再び学校に通い始めた。リュディアはこれまで九人の子を設けながら、病気や事故で五人を失っていた。彼女は、狭い土地に野菜植え、それを売って生活の糧にしていたが、小さな小屋に住む一家の生活は、極めて貧しいものであった。ソフィアは中古のミシンを買って、それで村人たちの衣服を修繕することで家計を助けていた。

十七歳の姉ローザは、夜になると若者たちが集まる「ハッサンの店」へ出かけていき、そこで若い男性と遊んでいるようであった。母親のリュディアにはそのことが面白くなく、娘に何度も夜出歩かないように忠告していた。ソフィは、不自由な足で学校に通っていたが、天気の悪い日は、道がぬかるむため、学校に行くことはできなった。村人たちは貧しいながらも皆助け合って暮らしていた。

姉のローザは器量も良く、男出入りが激しかったが、ここ数カ月疲れやすいと言い出し、食も進まなくなり、畑仕事も辛そうに見えた。母親のリュディアは

「夜遊びのしすぎによる疲れだ。」

と言い張る。ある日、ローザとソフィアが畑仕事している、姉が鋤を落としうずくまる。ローザは姉を小屋に帰して休ませる。ローザは高熱を出していた。

ソフィアにはひとつの大きな危惧がった。ソフィアが両足を切断したとき、彼女は長期間入院していた。その病院には入れ代わり立ち代わり新しい患者が入院し、大勢の患者が死んでいった。ソフィアの横のベッドにデオリンダという、ローザと同じくらいの歳の若い女性が運ばれてきた。

「私はもうすぐ死ぬの。」

とデオリンダは事もなげに言った。彼女はボーイフレンドからエイズを移され、発病して病院に連れて来られたのであった。ソフィアは、そのデオリンダと姉のローザの症状が酷似しているのに気付く。

姉を家に送った後、ソフィアが再び畑に戻る。いつしか日は暮れ、満月が昇る。そのときソフィアは人の気配を感じる。そこにはひとりの若い男が立っていた。若い男はソフィアに道を聞いて去って行った。

 その夜、眠れないソフィアが外に出る。人の気配がする。月明りの中に佇むのは、夕方にソフィアに道を尋ねた男だった。ふたりは話を始める。ソフィアが名前を尋ねると、

「服は着替えるもの、名前をその時に合ったものを付ければよい。」

と青年は言う。ソフィアはその青年に、「セルジオ」という名前をつける。その日から、ソフィアはその青年の顔が忘れられなくなる。ソフィアは満月の夜に会った彼に「月男」というあだ名をつける。

 ローザは一旦良くなった気配を見せるが、しばらくすると前にも増して病状が進む。母親のリュディアはローザに医者に行くことを勧めるが、ローザは、

「少し休めば良くなる。」

と言って、医者に行くことを拒否する。

 ソフィアは「月男」に会いたくて仕方がない。彼女は、かつて母親が、満月の夜に青い布を表に掲げておくと、会いたい相手が現れると言っていたことを思い出す。ソフィアは青い布を持っていなかった、隣人のテンバから修繕のために預かった青いシャツの一部を切り取り、ソフィアは満月の夜の度にそれを表に出しておく。しかし、一カ月経っても、二ヶ月経っても、彼女が「月男」と名付けた青年が現れることはなかった。

 ソフィア一家は常に金に困っていた。学校に払う金がない、明日から食べる米やトウモロコシがない、何度もそんな状態になった。そのようなとき、隣人のテンバがソフィアに服の繕いを頼んで助けてくれることもあった。なけなしの金をはたいてやっと買った、鍋が盗まれたとき、リュディアは大の男と喧嘩をして取り返した。

 痩せ衰えてきたローザは、ようやく医者にかかることを承知する。ソフィアが医者に付き添う。最初に血液を採られたローザは、数日後にその結果を聞きにいく。その時にもソフィアが付き合った。結果はエイズであった。医者は、ローザの病気は治らない、出来ることはその苦しみを少しでも和らげることだと述べる。

 ソフィアの家族をもうひとつの苦難が襲いつつあった。村人たちが耕す土地に、ある日、黒塗りの大きな車がやってくる。首都から来たという男が、

「この土地は俺が買った。お前たちは出て行け。」

と言う。もし、この土地を失うと、ソフィア一家や、他の家族は、わずかな生活の糧さえ失ってしまう・・・

 

<感想など>

 

この物語が十代の読者を対象としていることは確かである。地雷に触れて両足を失くしたソフィアという少女を主人公に、彼女の目から見た、アフリカの生活が語られる。貧困、エイズ、内戦の傷跡、隣人愛、忍び寄る近代化、その他に若い人たちの娯楽がどのようなものか、それらが描かれる。西欧に住むティーンエージャーにとって、アフリカでの生活など想像もつかないものであるから、この本は、アフリカの若者の生活を知る上でのテキストとなるだろう。地理の先生が、

「来週からアフリカの勉強をしますから、この本を読んでおいてくださいね。」

という状況が想像できる。おそらく、この本を読んだ西欧の子供たちは、アフリカの村での生活について知って、驚くことになるだろう。特に、子供たちに対して避けて通られやすい、エイズに対して、この物語が真っ向から取り組んでいるのは評価に値する。

しかし、余り暗い印象ばかりでは、読んでいる方も、どんどん落ち込んでいくので、やはりその中に「希望」、「明るい話題」を持ち込まねばならない。明るい話題の少ない物語なのだが、ソフィアが「月男」と名付けた青年に出会い恋をすること、十四歳のソフィア自身が、様々な苦難に遭遇することを通じて、自分でも信じられないくらい短期間に成長し、母親や姉をしのぐ大人になっていくことがプラスの要素なのではないかと思う。

例によって、マンケルが永年関わった、東アフリカのモザンビークが舞台になっている。しかし、国の名前が出て来ることはない。モザンビークというと、避けて通れないことが、長い内戦である。この物語でも、ソフィアの父親は内戦の際国中を荒らし回った盗賊団に殺され、ソフィアの姉のマリアは地雷を踏んで死亡、ソフィア自身も地雷に吹き飛ばされ、両足を太ももから下失ったという設定になっている。

マンケルの「アフリカ・シリーズ」は、別のテーマを持ったストーリーがあって、その背景として、アフリカの貧困、エイズ、内戦などが語られることが多いのであるが、この物語は、それら自身をテーマとしている。また、登場人物が全員黒人で、白人がひとりも出て来ないという意味でも、他の「アフリカ・シリーズ」の作品と一線を画している。アフリカを知る上で、他の人に、特に若い人に推薦したい本である。

 

201511月)

 

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