「ヘラス・チャンネル」

ドイツ語題:Hellas Channel

1995

 

<はじめに>

 

 さすがにこの本の作家、ペトロス・マリカリスが、ヘニング・マンケルの「クルト・ヴァランダー」シリーズを意識していないとは言わせない。主人公は一匹狼的なたたき上げの警視。一人娘のいるよく似た彼の家庭環境。その他、数々の類似点が、単なる偶然であるとはとても思えない。また、舞台が観光地のアテネというのは、ヴェニスを舞台にしたドナ・レオンの「コミッサリオ・ブルネッティ」シリーズ等に似ている。

 

<ストーリー>

 

 この物語の主人公、「私」はコスタス・カリトス、アテネ警察の警視である。彼は一介の警察官から二十五年をかけて現在の位置に昇進した苦労人。現在は妻、アドリアニとふたりで暮らしている。ひとり娘のカタリーナは現在テサロニキの大学で法律を勉強中。教授に大学院への進学を勧められている。カリトスにとって、そんな娘は自慢の種である。しかし、薄給に加え、娘への仕送りで、暮らし向きは楽ではない。また、娘のボーイフレンドの、彼の目から見ると男らしさにかける性格も、不満の種である。ともかく、彼は娘がクリスマス休暇に帰省し、再会できるのを楽しみにしている。

 カリトスの変な趣味、それは「辞書」を読むことである。彼は何種類もの辞書を買い揃え、仕事を済ませ家に帰るやいなや、ベッドの上に腹ばいになりなり辞書を読み耽っている。そして、そんな楽しみを理解しない妻と、彼はいつも口論をしている。子供を送り出した、中年も後半にさしかかった夫婦の典型であろうか。けんかをした後数日間は、ふたりは口を利かない。そして、妻が肉詰めトマトを作り、夫がそれを食べることにより和解するという奇妙な儀式が、ふたりの間にはあった。

 彼は毎朝、職場で部下のタナシスとお互いに、「この役立たず」という無言の会話を交わす。その後、彼は、タナシスに毎朝クロワッサンとコーヒーを買いに行かせて、それを朝食にするのである。彼の上司ギカスは、FBIの研修に参加した後、すっかりそれにかぶれている。頭も良いのだが、それ以上に要領が良い男。難しい仕事は部下に任せ、美味しいところは自分の手柄にしてしまう上司である。

 

 季節が秋から冬へ向かうある日、粗末なアパートの一室で、アルバニア人の夫婦が、刃物で切りつけられ、殺されているのが発見される。カリトスは犯行現場に駆けつける。そこは、ゴキブリの這い回る、セメントの床の上にマットレスが敷かれただけの粗末な部屋であった。犯行の前後にアパートの周辺で目撃された別のアルバニア人の男が、容疑者として逮捕される。タナシスの尋問の結果、男は犯行を自白する。

 警察に戻ったカリトスを、テレビ局「ヘレス・チャンネル」の女性記者であるヤナ・カラヨルギが訪れる。彼女は、殺されたアルバニア人の夫婦には子供があったと、カリトスに告げる。カリトスはもう一度犯行現場のアパートを訪れるが、子供の気配は見つからない。代わりに、トイレの水槽の中から、五十万ドラクマの現金が見つかる。近所の人間の証言により、殺された夫婦が、月に何度か、数日に渡って家を空けていたこと、そのときマイクロバスが彼らを送迎していたことが分かる。

 カリトスは、カラヨルギが事件の背景について何かを知っていることを感じ取る。そして、部下のタナシスに、彼女に個人的に接近し、彼女の本意を探れと命じる。しかし、その日の夜、カラヨルギは、放送局の控え室で、何者かに証明スタンドの脚で胸を突き通され殺される。彼女に抵抗の跡がないことから、犯人は彼女の顔見知りと考えられた。殺害された彼女の様子は、深夜のニュースの時間に、「同時中継」でギリシア全土に放映され、大きなセンセーションを巻き起こす。

 その夜、カラヨルギは、「あるスキャンダルを暴く」スクープを放送しようとしていた。しかし、その具体的な内容が何であるのか、同僚の誰も知らされていなかった。彼女は、殺される直前、同僚のマルタ・コスタラコウに電話をし、これから自分が重要な放送をすること、また、自分に何かが起こったときには、コスタラコウにその仕事を続けてほしいという希望を伝えていた。そのスキャンダルに関係した人物が、口封じのためにカラヨルギを殺害したことは、容易に想像できた。

 放送局の内情を探ったカリトスは、ニュース番組の編集長である、ペトラトスに疑いの目を向ける。殺されたカラヨルギは、ペトラトスと愛人関係を結ぶことにより、放送局の上層部に取り入ることに成功していた。そして、それなりの地位を得た今、彼女は、ペトラトスを捨て、編集長の地位さえも脅かしていた。

カラヨルギのアパートを捜索したカリトスは、「このまま続けると、ただではおかない」という脅迫状を発見する。そこには「N」とだけ署名されていた。ペトラトスの下の名前はネストール。カリトスは、その脅迫状の主がペトラトスではないかと推測する。

テレビ局「ヘラス・チャンネル」はコラコグロウという男が、カラヨルギ殺害の犯人であるというキャンペーンを繰り広げる。コラコグロウはかつて税理士事務所を開いていた。しかし、カラヨルギにより、女児に対して性的虐待をしたと報道され、逮捕、起訴された。そして、有罪となり服役した後、つい最近釈放されたばかりだった。

ペトラトスを犯人だと推理し、彼を追及するカリトス。しかし、メディアの意見、それがすなわち世論である。カリトスは、内務大臣、放送局の局長から圧力を受ける。上司のギカスは、コラコグロウを表向きは容疑者として指名手配するが、その裏で、ペトラトスの身辺調査も行うようにと、カリトスに助言をする。

殆どのメディアが、コラコグロウを犯人と決めつける中で、記者ソティロポウロスの属するテレビ局だけは、コラコグロウが犯人であることに疑問を投げかける。彼は、コラコグロウの税理士事務所が、彼の逮捕後、被害者の少女に父親に買収されたこと等、不自然な点を並べ、コラコグロウは加害者でなく被害者であるとの報道をする。

殺されたカラヨルギに変わって、「ヘラス・チャンネル」の事件担当となったのは、マルタ・コスタラコウという女性記者だった。しかし、そのコスタラコウもアパートにおいて死体で発見される。匿名の女性からの通報で、警察が駆けつけると、彼女は針金のようなもので首を絞められ殺されていた。今回も、被害者は自ら犯人を家に入れており、顔見知りの犯行であることが予測された。

カリトスは、ペトラトスの車が、犯行の時間に近くに駐車してあったという証言を得る。また、彼のガレージの中で、犯行に使われたのと同じ種類の針金を見つける。カリトスはペトラトスが犯人であるという確信を強めていく。

しかし、その「確信」を一挙に崩す進展があった。カラヨルギの姪、アンナが警察にカリトスを訪れる。そして、叔母から預かったというファイルを渡す。実はこのアンナこそ、コスタラコウのアパートを訪れ、彼女が殺されているのを発見、匿名で警察に通報した女性であった。

ファイルの中身は、ピラリノスという男が経営する旅行会社と運送会社に関する情報であった。そこには、アルバニア、チェコ、ブルガリアなど、東ヨーロッパ諸国との間を行き来した、トラック、飛行機、乗客の情報が克明につづられていた。カラヨルギは、自分の死の直前まで、ピラリノスが経営する会社の、何か非合法な取引を調べていたようだった。それを発表しようとして、口封じのために殺されたのではないかと、カリトスは考え始める。だとすると、カラヨルギが肉薄していた、非合法な活動とは何なのか。カリトスはファイルを詳細に検討する。しかし、そこに書かれている事項の隠された意味を知ることができない。

カリトスは、情報提供者である、シシスに、ピラリノスとその会社に関する、隠れた情報を探ってくれるように依頼する。かつての共産党員であるシシスは、政府が共産党を迫害していた期間、逮捕され拷問を受けていた。そのとき、警察官であるカリトスが彼を陰で援助したのであった。

クリスマスの直前。娘のカタリーナから実家に戻らないという連絡を受け、カリトスと妻のアドリアニはショックを受ける。カリトスは妻に、独りでテサロニキに行き、娘とクリスマスを過ごすように勧める。

クリスマスを独りで過ごすカリトス。そこにシシスから電話が入る。シシスはカリトスを食事に招待するが、その前にひとりの男に引き合わせる。その男との出会いにより、捜査はまた別の方向に走り出す・・・

 

<感想など>

 

しかし、ギリシア人の名前と言うのは難しい。カリトス、ギカス、タナシスはオッケー、カラヨルギ、ペトラトスくらいも何とか覚えられる。しかし、コラコグロウ、コスタラコウ、ソティロポウロス、ディロポウロス、このくらいになると、覚えられないし、混同してしまって困った。巻末に登場人物一覧表がABC順で載っているが、これは有難かった。

 

推理小説にありがちな不自然さ、全ての出来事に意味を持たせ、それらが全て最後には収束するという点が薄いのは良い。捜査の途中、そう都合のよい情報ばかりが入ってくるわけではない。当然「ガセネタ」、「見当違い」というのもあるわけである。この小説には、そう言った、徒労の部分も書かれている。それが、物語に現実味を与えているように思う。

カリトスの捜査の方法、尋問の方法は、飴と鞭の使い分けの妙と言えようか。ブルドックを思わせる強引なまでの食い下がりと同時に、コラコグロウを逃がすなど(かつてシシスを助けたように)臨機応変のソフトな部分をも見せる。反面、尋問する相手を喜ばせておいて、油断したところにズバリと切り込む。この小説の中では、カリトスが他人にかけた「情け」が結果的に、彼にプラスとなって戻って来る展開が多いようだ。

しかし、他の小説とこれだけ類似点が多いと、ちょっとオリジナリティーという点で、疑問符がついてしまう。登場人物の設定は、先に書いたように、ヘニング・マンケルの「クルト・ヴァランダー」シリーズと類似点が多い。アテネという観光地が舞台になっているところは、ヴェニスを舞台にしたドナ・レオンの「コミッサリオ・ブルネッティ」シリーズや、フィレンツェを舞台にしたマグダレン・ナブの「ガルナシア」シリーズに似ている。しかし、二番煎じだと思いながらも、私は、コミカルな文体、巧みに散りばめられたジョークに誘われ、結構楽しんで読んでしまったが。

アルバニア人の夫婦が殺され、カラヨルギは彼らには子供があったと主張する。しかし、子供のいた痕跡は皆無。カリトス曰く、

「何と答えたらいいんだ。両親は多分、子供たちをアメリカの大学に留学させているんだとでも。」(158ページ)

悪い冗談。ゴキブリと一緒に生活しているアルバニア人の夫婦が、子供をアメリカに留学させられるはずはないのである。

 

アルバニア人がこの小説の中では「虫けら」のように書かれている。ギリシア人にとって、アルバニア人は、二級国民どころか、全く別の生物のように思われ、扱われているのだろうか。ここまでボロクソに書いて、人種差別つながらないのか心配になる。

この物語を理解する背景として、ギリシアと東欧にまつわる二十世紀に起こったふたつの歴史的な出来事を知る必要があると思う。ひとつはギリシアにおける軍事独裁政権の誕生と崩壊。もうひとつは東欧の社会主義政権の崩壊である。

一九六八年、軍部のクーデターにより、ギリシアに軍事独裁政権が誕生する。この政権は反対派に対して容赦の無い弾圧を加え、多数の人間が投獄、処刑され、亡命により国を去った。カリトスが警察に加わったのも、まさにこの時代である。当時は「拷問課」などという恐ろしい名前の部署が警察にあったことが、この物語にも書かれている。特に、共産主義者は過酷な弾圧を受けたらしい。カリトスと、情報提供者のシシスの、微妙な関係は、このような社会情勢を背景としている。ちなみに、一九七四年に、軍事独裁政権は崩壊。ギリシアは共和制に移行し、順調な経済発展を遂げた後、一九八〇年には欧州共同体に加盟している。

一九八〇年代の後半から、一九九〇年代の前半にかけて、東欧諸国の共産党政権は軒並み崩壊し、複数政党政治へと移行した。では、それまで、共産党の幹部として、君臨していた人物は、その後どうなったのであろうか。ルーマニアのチャウシェスクや、ユーゴのミロソビッチのように、失脚、処刑された者は実は少数。それまで蓄えたコネとカネを使って、ビジネスを始め、実業家に転身した者が多いという。ピラリノスとその「ビジネス」も、こう言った歴史的背景なしには語れないと思う。

 

作者のマルカリスであるが、一九三七年元旦、トルコ、イスタンブール生まれ。母親がギリシア人、長くトルコ国籍を持っていたという。オーストリア人の学校に通っており、ドイツ、オーストリアで学んだ経験もあり、ギリシア語、トルコ語、ドイツ語を話し、現在はアテネに在住とのこと。

四百六十ページの長編である。ドイツ語の題は「ヘラス・チャンネル」であるが、ギリシア語の原題は別にある。しかし、どのようなものなのか、私はギリシア語を介さないので不明である。マルカリスには後二冊、警視カリトスシリーズがある。いずれ読むだろうと思ってそれも購入したが、この本以上に長編。読破には、かなりの時間がかかりそうである。

 

20082月)

 

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