「蒸発した男」

原題:Mannen som gick upp rök

ドイツ語題:Der Mann, der sich Luft auflöste

1996

 

 

<はじめに>

 

 マルティン・ベックシリーズの第二作。ベックは「蒸発した男」捜すために、単身ハンガリーのブダペストへ赴く。そう言えば、ヘニング・マンケルのクルト・ヴァランダーシリーズでも、第二作「リガの犬たち」で、ヴァランダーは単身ラトヴィアの首都リガに乗り込んだ。これって、偶然なの?

 

<ストーリー>

 

 一九六三年の夏、ベックは家族と休暇を過ごすために、ストックホルム近郊の島に渡る。しかし、休暇の第一日目、ベックは警察署長のハマーに呼び戻される。ハマーは、ベックに外務省に行き、そこで、ある高官の指示に従うようにと言う。

 外務省。その高官がベックに、ハンガリーのブダペストで消息を絶ったスウェーデン人のジャーナリスト、アルフ・マトソンの捜索を依頼する。東欧をテーマにしたルポルタージュを得意とするマトソンは、取材先のブダペストで、一週間前に姿を消していた。そして、外務省はマトソンが東側のスパイではないかと疑っていた。記者の失踪が表沙汰により、両国の関係が悪化するのを恐れた外務省は、ベックに、ブダペストに飛び、消えたマトソンを捜し出すように要請する。ベックは休暇を中断して、ハンガリーに渡ることを決意する。

 出発前、ベックはマトソンの妻と友人に会い、マトソンがどのような人物であったかを探る。マトソンは大酒飲みであったが、仕事はきちんとこなしていた。しかし、今回は、会社に原稿も送らず、連絡もしていない。

 

 ブダペストに着いたベックは、マトソンが失踪する前、最後に滞在したホテルの同じ部屋に投宿する。マトソンは、ホテルの部屋に、荷物やパスポートを残したまま、姿をくらましていた。

 マトソンはブダペスト到着の夜、別の安宿に泊まっていた。翌日、別のホテルに移った直後に行方不明になっていた。ベックはその安宿を訪れ、従業員と話すが、何の成果も得られない。ベックの同僚、コルベリは、マトソンがアリ・ベークというハンガリー人女性の水泳選手と、過去に接触していたことを調べ上げ、ベックにそれを伝える。ベックはアリ・ベークの住所を見つけて、彼女の住むペンションを訪れる。彼女はドイツ人の男と一緒にいた。彼女はマトソンとは会ったこともないとベックに告げる。

 ベックは、自分が誰かに尾行、監視されていることを知る。警察が自分を尾行していると思ったベックは、ハンガリー警察の警部スツルカと知り合いになり、その件を問いただすが、スツルカは知らないと言う。折からブダペストは猛暑。翌日、スツルカがベックをプールに誘い、二人は温泉につかりながら、マトソンに関する情報を交換する。マトソンは完全に合法にハンガリーに入国していた。また、パスポートなしには、国外に出ることは不可能と思われた。

 プールからの帰り道、ベックはアリ・ベークと再開する。ベックとアリは一緒にドナウ河観光の船に乗り、食事を共にすることになる。アリは、自分もプールの帰りだと言うが、ベックは彼女の手提げ袋の中の水着が濡れていないことを不思議に思う。深夜、ベックがホテルの部屋に戻ると、先ほどホテルの前で別れたはずのアリが忍んでくる。彼女は、服を脱ぎ、裸でベックを挑発するが、ベックは取り合わず、彼女をタクシーに乗せて帰す。

 

翌日、暑さのために寝付けないベックは、ホテルを出て、深夜ドナウ河の畔を散歩する。突然ふたりの男がベックを襲うが、スツルカの部下である警官によってベックは救出され、ふたりの男は逮捕される。男のひとりは、ベックがアリのペンションで見かけたドイツ人の男であった。スツルカの捜査の結果、彼らの車の中から大量の大麻が発見される。男たちの自白により、彼らが旅行添乗員の身分を利用して麻薬をトルコから密輸入していたこと、アリもその協力者であること、そして、マトソンがその麻薬を大量に買い付けていたことが明らかになる。マトソンが度々東欧を訪れていたのは、麻薬の密輸のためであった。

 麻薬密輸の一味は、今回、マトソンは約束の場所と時間に現れず、マトソンには会っていないと証言する。ハンガリー警察も本格的な捜査を始めるが、マトソンの行方を見つけることができない。

ベックはスウェーデンに帰国する。彼は、マトソンの残した荷物を詳細に分析する事により、マトソン失踪のトリックを発見する・・・

 

  

<感想など>

 

 ひとりの人間が、何の足跡も残さず、忽然と消えてしまう、そのトリックは、かなり意外で面白い。謎解きとして、よく考えられた筋書きである。しかし、そこに至るまでの道程は長い。ベックはブダペストを単身で訪れたものの、勝手も分からず、なかなか手掛かりがつかめないまま無為に数日を過ごす。その部分が長いのである。しかし、その間、ぶらぶらしているだけのように思えるが、実はそのときの見聞が、後の捜査と推理に役立ったりしているのであるが。

 第一作「ロゼアンナ」ご同じように、ゆっくりとした序盤、中盤があり、後半、ページにして残り四分の一くらいから、話が別の方向に急展開して結末を迎える。シューヴァル/ヴァールーの作品は、後半に一工夫があるので、読んでいて楽しい。

 第一作では、事件の解決が第三者の情報提供によるところが多かったが、今回は、ベックの分析力の勝利であると言える。彼は、マトソンの残した荷物のリストを作り、それを詳細に分析する事により、事件の隠されたトリックを発見するのである。

 

 ベックの人間性が現れる場面がある。素っ裸の若い女性が自分の寝室立っている場面である。女はベックを挑発しているのだ。しかし、ベックは父親の如く振る舞い、彼女を諭し、タクシーに乗せる。ジェームス・ボンドならは平気でそんな女と関係を持つところだが、ベックは職業意識に徹しているのである。

 今回、ベックは、自分の休暇を犠牲にして、単身ブダペストに飛ぶが、なかなかこれと言った成果が上げられない。彼は、自分が何も見つけずに帰国する事を覚悟する。

「最悪な点は、自分が何らかの見通しを持って活動しているのではないことを、彼自身、はっきりと分かっていることであった。警察官としての性格だけが(あるいはそれを別に何と呼んでも良いのだが)彼を動かしているだけであった。それはコルベリが自分の時間を犠牲にしてまで仕事に打ち込んでいる衝動と同じものであった。どのような事件も全て引き受け、それを解決するのに全力を尽くしてしまうというのは、警察官の一種の職業病なのだと彼は思った。(73ページ)」

休暇が権利として確立しているヨーロッパで、休暇を一日目で中断して、仕事に戻る、これは警察官の職業病としてしか、説明がつかないと思う。

 ベックがこの事件を早く解決して、元の休暇に戻れたかどうか、これは、読んでのお楽しみということにしておく。

 

 しかし、第一作のロゼアンナ・マクグローにしろ、今回のアリ・ベークにしろ、登場する女性が、どうして皆セックス好きなのであろうと考えてしまった。

 

20053月)

 

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