「サヴォイ・ホテルの殺人」

原題:Polis, Polis, potatismos!「警察、警察、つぶしたジャガイモ」

ドイツ語題:Und die Großen lässt man laufen「そして、大物は泳がせる」

1970

 

<はじめに>

 

 翻訳された国によって、タイトルが随分異なる。それは、おそらく、スウェーデン語の原作タイトルが「警察、警察、つぶしたジャガイモ」などと言う、他国人には訳の分からないものであるから。各国語への翻訳者が苦労をしてタイトルを付け直したことが伺える。「マルティン・ベック」シリーズに「型」というものがあるなら、それを踏襲した、オーソドックスな展開をみせる。

 

<ストーリー>

 

 一九六九年七月、暑い夏、マルメー。場所は、駅前の高級ホテル「サヴォイ」。そのレストランでは、地元の名士であり、多くの企業を支配下に置くコンツェルンの会長であるヴィクトル・パルムグレンが系列会社の重役たちを集めて会食をしていた。スピーチをするパルムグレンの背後にひとりの男が近づく。男はジャケットの下から取り出したピストルでパルムグレンの頭部を撃ち、開いていた窓から逃亡する。

 

 マルメー警察のペール・モンソン警部が捜査を指揮することになる。警察が現場に駆けつけるのが遅れる。その結果、初動捜査が遅れ、犯人に十分な逃亡の時間を与えてしまう。目撃者の証言から、犯人の人相、服装が、駅や、港、空港に通知されるが、犯人がそれ以前にマルメーの町を脱出していることは十分に考えられた。

よく似た男が、対岸のコペンハーゲンから飛行機でストックホルムに向かったという情報が入る。モンソンはストックホルム警察にその人物を拘束するように依頼するが、手違いからそれもかなわない。また、事件の直後、犯人に良く似た男が、マルメーからコペンハーゲンに向かう高速船の甲板で、黒い箱を持って佇んでいたという情報が入る。しかし、その人物を特定するには至らない。

 

 殺されたパルムグレンがスウェーデン経済界において重要な位置を占める人物であっただけに、警察の上層部はこの事件を重要視し、ストックホルム警視庁殺人課のマルティン・ベックに対し、マルメーに赴き、捜査に協力するように命じる。ベックはマルメーに向かい、事件の起きたサヴォイ・ホテルに投宿、モンソンと共に捜査を始める。

 殺されたパルムグレンの人格やその事業内容がだんだんと明らかになる。パルムグレンを知る人間の多くが、彼が金のためなら何でもする男であったことを証言する。また、彼の会社が、アフリカの諸国に武器を輸出して巨利を得ているという噂もあった。殺人の動機として、彼の「ビジネス」の利権を巡るトラブルが考えられた。また、彼が政治的に影響力を持つ人物だけに、政治的な暗殺ということも。

 モンソンは、未亡人のシャルロッテ・パルムグレンを訪れる。彼女は、元モデルで夫より二十四歳も年下、事業家の夫の傍に侍る、接待用の人形のような立場であった。モンソンが隠れて見ていると、彼女は邸宅のプールサイドで全裸の日光浴をし、夫の部下であった若者、マッツ・リンダーと親密にしていた。後日、リンダーを訪れたモンソンに、リンダーはシャルロッテと性的関係があったことを認める。殺人の動機に、妻シャルロッテを巡る人間関係も付け加わる。

 

 殺人現場にいたパルムグレンの関連会社の重要人物たちの中に、ストックホルムの不動産会社を見るブロベリという男と、その秘書のヘレナ・ハンソンがいた。ベックはストックホルムの同僚に、ブロベリとヘレナ・ハンソンを洗うように依頼する。

ブロベリは偶然、グンヴァルド・ラルソンの姉の隣人であった。姉の証言により、ブロベリは家を売り、旅立つ支度をしていることが分かる。ハンソンは秘書ではなく、実は、娼婦であった。コルベリとオーサが彼女を訪れる。彼女も旅行の準備をしていた。

ラルソンはブロベリを待ち伏せ、拘束する。彼は大量の有価証券をトランクに入れ、偽造パスポートを使い、ハンソンと共にスイスへの逃亡を企てていた。ブロベリとハンソンは逮捕されるが、彼らはパルムグレン殺人事件との関与を否定する。警察も彼等が犯人であるという、決定的な証拠を挙げることができない。

 何本かの糸も途中で切れてしまい、マルメーの捜査本部には閉塞感が広がる。

 

 事件の解決のきっかけは意外なところからやってきた。対岸のコペンハーゲン近郊で、浜辺を散歩している家族がいた。その幼い男の子が砂浜に打ち寄せられた黒い箱をみつける。その中身とは・・・・

 

<感想など>

 

 今回は、ストックホルムではなく、マルメーが主な舞台である。マルメーはスウェーデンの南端に位置し、鉄道はここで終点、コペンハーゲン行きのフェリーが出ている。現在は、マルメー・コペンハーゲン間に全長十六キロのオレスンド橋が完成しており、必ずしもフェリーを利用する必要がないが。ともかく、この小説の書かれた当時、マルメーとその駅は、スウェーデンの玄関口であった。

 私は、このマルメーの街で一日を過ごしたことがある。駅の前にはバス乗り場とタクシー乗り場があり、その前に運河と道路があり、駅の向かい側の角には「サヴォイ・ホテル」が建っている。駅の裏手はフェリーが発着する港になっている。空港でバスを待つ間、私は、この小説の犯行現場となった、ザヴォイ・ホテルの食堂でビールを飲んでいた。そのとき、まだこの小説は読んでいなかったので、そこにいたことは本当に偶然なのであるが。レストランでは、ウェートレスが礼儀正しかったことが印象的であった。と言うわけで、自分が一度訪れたことのある街、場所が描かれていることで、私としては、普段より興味深く読めた。

 実際、このホテルはヘニング・マンケルの「クルト・ヴァランダー」シリーズにもしばしば登場する。それほど大きくはないのだが、スウェーデンでは最も有名なホテルかも知れない。

 

 今回活躍するのは、マルメー警察の、ペール・モンソン警部である。彼は、これまでもストックホルムでのバス襲撃事件(「笑う警官」)の捜査などに借り出されたりして、シリーズに何度か登場している。爪楊枝を口の端にくわえたクールな男である。ジンとグレープトニックに氷を加えた「グライフェンベルガー」というものを愛飲している。月曜日から金曜日までは独身で暮らし、週末だけ妻と過ごす生活により、結婚生活を維持しているのだが、それにもそろそろ限界を感じ始めている。ベックとは馬が合う。

 

 物語の中で、いつもの登場人物の、警察官としての人生観というものが語られているのが面白い。

 まず、マルティン・ベック、彼の特徴は「政治嫌い」である。

 マルティン・ベックは政治を毛嫌いしていた。政治的な考えを持っていても、それを決して口には出さなかった。彼は、政治的な帰結をもたらすような事件を請け負わないように、普段から努めていた。政治的な犯罪性が話題に上ったときには、それに出来るだけ関わりあわないようにするのが常であった。(216ページ)

 次にコルベリの考え方。彼は、警察官である限り、まともな人生は歩めないと考えている。

 二十三年間に渡る毎日の同僚の警察官と付き合いは、もはや自分をまともな世間との付き合いを維持できない状態になるほど蝕んでいた。家族に囲まれていても、自分が職務から解放されていると、心から思えたことは一度もなかった。無意識の中に常に働いている何かがあった。彼は自分の家族を持つために長い時間待った。警察官という職業は、まともな人間のする仕事ではなく、自らそこに入ってしまえば、そこから自分を解き放つことのできない何かであった。来る日も来る日も、他の人間の殆ど異常な状況だけと付き合っていかねばならない職業は、自分自身の日々も最後には異常になってしまうということ以外に、行き着く先がないように思えた。(139ページ)

 グンヴァルド・ラルソンはとにかく、捕まえにくい犯人を逮捕する事に、本能的な喜びを持っている。

 しかし、今彼は自分とは基本的に関係のないことを引き受けた。ブロベリにまつわる話、間もなくそれを後悔し、間もなく動物的な喜びに発展する計画を。もし、ブロベリが犯罪者なら、(ラルソンにとってそれは確実なことなのであるが、)グンヴァルド・ラルソンがまさに鉄格子の中に放り込むことにより純粋な喜びの中のひとつを得られる犯罪者のタイプであった。搾取する者。利益を貪る者。これまで彼にとって残念なことに、そんなタイプの犯罪者がいて、彼らが世間を大手を振って歩き回っていることは誰もが知っていても、法治国家としての限界の中ではその尻尾を捕まえることできない輩であった。(162ページ) 

 

スウェーデン語のタイトルであるが「ジャガイモのピューレ」が何と関係があるのか。まず、考えられることは、パルムグレンが撃たれた後、テーブルの上のジャガイモのピューレの中に倒れこむ。次は、スウェーデンのオリジナルがないので、確かなことは言えないが、警察に対しての罵倒の言葉である。

ふたりのパトロールの警官が、至急アーランダ空港へ向かうように指示を受けるが、子供に関わっていて後れてしまう。その子供の言ったことがこの「ジャガイモ」ではないかと想像する。

 

 なかなか捜査が進展しないため、閉塞感が漲り、最後の数十ページでそれが解消されるというシリーズのひとつの「型」を踏襲している。しかし、ひとつの例外がマルティン・ベックのラブシーンである。彼は、ホテルの部屋を深夜訪ねてきた女性と関係を持つ。これまで、全裸の女性が前に立っても(「蒸発した男」参照)ビクつくことのなかったベックには珍しい展開であった。

 

20058月)