「セフレから来た唾棄すべき男」

原題:Den vedervärdige mannen från Säffle

ドイツ語題:Das Ekel aus Säffle

1971

 

<はじめに>

 

原題、ドイツ語題とも「セフレからきた忌まわしい男、吐き気を催す男」という題であるが、高見浩氏による日本語訳のタイトルが「唾棄すべき男」になっており、それが余りにもぴったりと当てはまる表現であるので、使わせていただくことにした。

 

<ストーリー>

 

一九七一年四月三日未明、ストックホルム。ひとりの男が、車でサバトベリ病院に向かう。その病院の一室、ストックホルム警察ニーマン警視が死の床にあった。男はニーマンを襲い、着装銃剣で彼の首と腹を切り裂き、その武器を中庭に残して現場を去る。

 

マルティン・ベックは十数年連れ添った妻と離婚し、アパートを借りて独り暮らしを始めていた。ある夜、ベックは、十九歳になる娘、イングリッドと深夜まで夕食をとっていた。娘と別れ、アパートに戻ったベックは、同僚のレンの電話を受ける。レンはベックに至急サバトベリ病院に来るようにと告げる。

当直のレンから連絡を受け、ベックをはじめ、コルベリ、ラルソンなど、ストックホルム警察殺人課の警部たちが次々と現場に駆けつける。そこは目を覆いたくなるような惨状であった。その残虐さとは別に、ベックはある危機感を覚える。彼には、その殺人が、これから起こるべき事件の序曲にすぎないという直感があった。

ベックは殺されたニーマンの自宅を訪れ、妻と息子に死を告げる。妻と息子の話によると、ニーマンは家庭では申し分のない夫であり父であった。ニーマンの妻は、前夜、警察の同僚フルトと名乗る男から電話があり、病気の同僚に花を贈りたいから病院の場所を教えてくれと尋ねられ、病院と病室の場所を教えたと告げる。

しかし、署に帰ってコルベリと話したベックは、ニーマンという男のもうひとつの面を知る。ニーマンは軍隊の将校上がりの人物であった。コルベリは軍隊時代、新兵の教育係としてのニーマンを知っていた。ニーマンはサディストであり、特に自分より弱い立場の者に対しては、極めて残虐な人物であった。コルベリもニーマンから軍隊時代にひどい仕打ちを受けていた。ニーマンは当時、「セフレから来た唾棄すべき男」と呼ばれ、軍隊内では忌み嫌われており、警察に入った後も、その行動は変っていないと、コルベリは述べる。

ベックはニーマンの努めていた警察署と、彼と一番接触のあったフルトという名の警察官を訪れる。そして、ニーマンが容疑者や浮浪者に残忍な仕打ちを加えながらも、それを部下と共に揉み消していたという疑いを強める。

ニーマンの警察官としての過去に、事件の解決の鍵があると確信したベックは、レンに、これまで警察のオンブズマン制度に対して寄せられたニーマンに対する苦情を調べてみるように命じる。一睡もしていないレンは、フラフラになりながらも、苦情を調べ上げる。ニーマンは度々容疑者に対して暴力を振るったという点で、苦情の対象になっていた。しかし、彼は、部下に自分に対して有利な証言をさせることで、それら全て揉み消していた。

レンの報告を受けたベックは、その苦情の中のひとつに興味をそそられる。それは、同僚の警察官からオンブズマンに宛てられたものであった。ベックはその背景を調べてみようと決心する。

 

<感想など>

 

この小説、推理小説として読むと失望する。犯人へのアプローチがストレートすぎるからである。一番最初に怪しいと思われた人物が、やっぱり犯人なのである。その割には、読んでいて飽きさせることがない。それは、この作品が社会小説の枠組みの中にあると言って過言でないほど、スウェーデンの当時の社会制度を問題にした作品であるからか。

ベック・シリーズにはいつも、捜査の上での壮大な無駄足と、無為に過ぎる時間が語られる。しかしこの作品にはそれがない。事件発生から二十四時間以内で全てが落着する。そういった意味でも、ストレートという印象を受けるのかも知れない。

 

どの推理小説も、ある程度、捜査する側に都合の良い偶然が重なって、事件が解決に向かっていく。その「都合の良い偶然」に対して、作者が、マルティン・ベックを通じて語らせているのが面白い。

警察の職務にとって最も大切な点は、現実主義、決められたことを遂行する能力、系統的な考え方である。多くの事件が偶然によって解決を見るということも確かだ。しかし「偶然」は「幸運」と取り違えてはいけない概念であることも正しい。犯罪の解明とは、「偶然」の網の目を出来る限り狭めていく作業なのだ。その際、天才的な閃きよりも、経験と勤勉が重要なのだ。良い記憶力と良識が、知的な考察力よりも価値のある才能なのだ。

つまり、偶然は数々起こる。その偶然を、いかの自分の味方につけるかが、ポイントであると言うのである。

 

捜査の進展において、ベックの洞察力も去ることながら、今回も、彼の同僚が大きな役割を果たす。

先ず、コルベリ。彼は、ベックに、「唾棄すべき男」ニーマンの本質を告げ、彼にひどい目に遭わされた者の怨恨が、動機であることを示唆する。

ベック:「彼は、たちの悪い警察官だったんだ。」

コルベリ:「違う。ニーマンは死ぬほどたちの悪い警察官だった。他人を考えられる限りの悪辣な方法でいじめる男だった。」

ベック:「そこまで言うのか。」

コルベリ:「そうだ。俺の言ってることが正しいと、あんたも認めることになる。」

死者を悪く言わない伝統を打ち破るコルベリの呵責のない言葉である。

次は、レンである。現場に駆けつけた彼は、前日からずっと働き詰めで、寝ることさえ許されていない。それでもベックやコルベリから言われる仕事をフラフラになりながらもこなしていく。彼の見つけた警察のオンブズマン制度に寄せられた苦情が、今回の事件を解く第二の鍵になる。しかし、レンではないが、苦情の手紙を何ページにも渡って読まされたのには私も参った。

そして、メランダー。この人物が居ればコンピューターは不要という記憶の天才である。今回も、犯人像を浮かび上がらせるのにそれは役に立つ。

マルティン・ベックシリーズとは言うものの、後半の作品はチームワークの物語であり、ベックはその指揮者としての役割を果たしているに過ぎない。と、書きたいが、今回、最後の最後に、ベックが再び行動の人になることを書いておこう。

 

20056月)