「警官殺し」

ドイツ語題:Der Polizistenmörder

原題:Polismördaren

1974

 

 

<はじめに>

 

 何とも感想の述べにくい小説である。この作家の特徴とも言えるのであるが、一見脈絡の無いエピソードが淡々と進んでいき、最後にそれまで互いに無関係を装っていたプロットが重なり合う。それは偶然によるものであるが、展開が余りにも淡々としているがゆえに、不思議にその「偶然」に不自然さを感じさせないのである。

 

 

<ストーリー>

 

 一九七三年十一月、ある日の午後、スコーネ地方の田舎町、仕事を終えた三十八歳の女性、シグブリット・モルドはバス停に立っている。彼女の前に男の乗った一台の車が停まる。彼女はその車に乗る。男は彼女を森の中に連れて行き、彼女を絞殺する。

 

 同じ頃、ストックホルム。マルティン・ベックと同僚のコルベリは、リンパンという男の住居を見張っていた。リンパンは宝石店を襲った事件の容疑者であった。警察は一度彼を逮捕したが、証拠不十分で、釈放していた。ベックとコルベリは男が盗品の処理のために、何らかの行動を起こすことを待っていたのであった。コルベリはピストルを携帯していない。彼はかつて、同僚を誤って射殺し、それ以来、武器を持ち歩かないようになっていた。

 

 数日後、ベックはスウェーデン南部、スコーネ地方、マルメー郊外のスツルップ空港に降り立つ。彼を出迎えたのは、その土地の警官ヘルゴット・ネイド。ベックは数週間前から行方不明になっているシグブリット・モルドの捜査のために、スコーネにやって来た。ベックには、失踪した女性が、もう生きてはいないという予感がしていた。

 殺された女性の隣に、数年前に運河を巡る観光船の中でアメリカ人の女性を殺害し、服役後釈放された、フォルケ・ベングトソンが住んでいた。魚と卵を商うベングトソンは、シグブリット・モルドをも顧客にしていた。シグブリットが最後に目撃された日に、ベングトソンが街で彼女に合っているところを目撃したと言う証人が現れた。

 シグブリットは数年前に船乗りの夫と離婚していた。ベックは別れた元夫をマルメーに訪れる。元夫のベルティル・モルドは、酒浸りで粗野な大男で、別れたシグブリットにまだ未練を持っていた。元夫が嫉妬にかられて彼女を殺害、というケースも考えられる。シグブリットの失踪した日、ベルティルはフェリーでコペンハーゲンに行ったと証言していたが、そのアリバイには怪しいものがあった。

 ベックに次いで、コルベリも捜査に協力するため、スコーネ地方に到着する。彼らは殺されたシグブリットの家を捜索する。そして、カレンダーの中に一週間に一度程度「K」と言う文字が書かれていることを発見する。彼女の残した手紙類の中に、「カイ」と名乗る男からの手紙が見つかる。グブリットとその男、カイは定期的に会っていたことが想像された。ベックは、フォルケ・ベングトソンやシグブリットの元夫は犯行とは無関係で、「カイ」と名乗る男こそが真犯人でないかと思い始める。

ハイキングをしていた一行により、森の中に埋められたシグブリットの死体が発見される。事件はマスコミの報道により世間の注目を浴びることになる。事件の解決を焦るベックの上司マルムは、フォルケ・ベングトソンの逮捕を命じる。コルベリがベングトソンに対し尋問を行うが、ベングトソンは犯行を否認する。警察側に決定的な証拠もなく、徒に日が過ぎていく。

 

十一月十八日の早朝、マルメーの近くで三人の警官がパトロールをしていた。彼らは、無線により逃亡中の車が傍を通ることを知り、それと思われる車を停める。車には二人の若者が乗っていた。若い警官がピストルを手に、若者に車から降りるようにと命じる。若者の一人が発砲、警察官三人は負傷する。ピストルを発射したひとりの若者は、警官の反撃により射殺され、もうひとりの若者は車で逃げ去る。撃たれた警官の一人は死亡。この「警官殺し」の事件は大きな話題となり、スウェーデン警視庁は、マルム自らが先頭に立ち、警察の威信をかけて、犯人の逮捕に臨むことになる。

車で逃げた若者はカスパーという名前であった。ストックホルムに住む彼は、旅先のマルメーでクリステンという若者と出会う。車を盗んだふたりは、飲み代を稼ぐために、こそ泥を繰り返す。その際に警察に停められたのであった。クリステンがピストルを携行しており、警官に発砲したことは、カスパーにとって予想外の出来事であった。彼は途中で別の車を盗み、ストックホルムに帰り着く。警察から指名手配され、行く宛のないカスパーは、知り合いのマガンという女性に偶然出会う。彼女はカスパーを、自分と男友達のアパートに連れ帰る。そのマガンの男友達とは、窃盗の罪で警察の監視を受けているリンパンであった。

 

ストックホルムに戻ったコルベリは、前々から考えていたことを実行に移す。それは「辞表」を書くことであった。辞表を書いているとき、彼はひとつのことを思いつく。彼の頭の中で、リンパンの窃盗、スコーネの女性殺人事件、マルメーの警官殺しが一緒になった。彼は自分の推理の正しさを証明するため、すぐに鑑識課とスコーネのベックに電話をいれる。

 

 

<感想など>

 

 一九七三年、今から三十年以上前のスウェーデンを舞台にしているが、物語は既に社会の強い閉塞感を伝えている。犯罪の増加、それも特に若年者の犯罪など。ベックの同僚、コルベリは特に強くそれを感じており、社会の悪い方向の変化に対し、警察機構がだんだんと無力になっていることに絶望を感じ始めている。

それから、三十年。事態は好転しているのであろうか。マンケルの小説を読む限り、ヴァランダーの視点から、全く同じことが述べられているように思える。

 

脈絡の無い事件が、それぞれ一旦は袋小路に入り、最後に、それがお互いに関連を持ちながら解決される。それが、この作家の後年のストーリー展開の特徴になっているようである。

 

 ベックはストックホルムの喧騒から離れ、スコーネの小さな町、アンデルスレフに赴く。そこでは警察でさえ休日がある。警察署(駐在所と言ってよいか)の玄関にある張り紙。

<警察の営業時間>

月曜日から金曜日 八時から十二時、十三時から十四時半、

木曜日は十八時から十九時、

土曜日、休業

ベックは思う。

日曜日は触れていない。多分、犯罪は日曜日には起こらないのだろう。いや、日曜日に罪を犯すことは、ここでは禁じられているのだ。

そこに駐在するヘルゴット・ネイドも、ベックの常識からは考えられない警察官であった。やたらに笑う男。そして、これから狩に行くのではないかと疑うほどのラフな格好。しかし、ベックはネイドに好感を持っている。自分がそのような立場になりたいとは思わないが、田舎の警察のありかたを、ベックはそれなりに認めているようだ。

昇進を目指す若手、スカッケはスコーネに転勤になっている。田舎に飛ばされたことを恨んでいるのか、昇進のステップとして仕方がないとあきらめているのか。元上司のコルベリのぼろくそに言われながらも、頑張っている。

 

ベックは殺された女性の夫と話すためマルメーに行き、駅前のサヴォイホテルのバーへ入る。このホテルとバー、マンケルの小説にもしばしば登場する。筆者もそこで飲んだことがある。ともかく、筆者が一度訪れたことのある、スコーネ地方を舞台にしているので、風景の想像がつきやすいのはよかった。

スコーネ地方と言うのは、スウェーデンの中でも、気候も人も穏やかな土地なのであろう。凶悪犯罪を扱っているが、スコーネのシーンは何となくのどかである。容疑者を逮捕に行き、準備ができるのを待っている間、ネイドとベックはじゃんけんをはじめたのには笑ってしまった。(140ページ)

 

 冒頭にも書いたが、この小説を読んでいて驚くのは、一九七〇年代に、既にスウェーデンで、近代社会の「末期症状」が始まっていることである。マンケルの小説で、九十年代に、ヴァランダーはしばしば、時代は変った、昔とは違うと言うが、二十年前にも既に同じことが言われていたのである。

 警官殺しの疑いで、指名手配になり、逃亡するカスパーという青年に、当時の若者の感じる社会に対する閉塞感を語らせている。

 リンパンは人生を投げ出さないで、耐えることに成功した大人の人間だ。社会の全システムが、一握りの裕福な家系と、同じような嘘を機会あるごとに繰り返すことを得意とする、ほぼ同じ数の堕落した政治家たちに操られていることを知っていたにしても。

 世界の他の国では、当然のこととしてまじめに働くことと結びついている高揚や幸福という感覚が、三年に一度の選挙期間中、その欺瞞を誰もがすぐに感じ取れる、大げさな過剰な言葉ともに、数週間だけ話題に上るのだ。

 

 ベックとコルベリは、せっかく逮捕した容疑者が証拠不十分で無罪なることに、諦めに近い感覚を持っている。ベングトソンが犯人か否かで、ベック、コルベリ、ネイドが話し合うシーンである。話題は、ベングトソンのかつての犯行に及ぶ。(104ページ)

「あんたも俺も、判決を下した裁判官を含む他の何人もが、奴が犯人であることを確信していた。でも、我々には叩いても蹴っても崩れない証拠と言うものがなかった。これが一番大きな違いだろうね。」

「いくつあったけど、殺された女性のサングラスが奴の家で見つかったんだろう。」

「有能な弁護士なら、そんな証拠なんか、一息で吹き飛ばしてしまうさ。そして、まともな裁判官ならそんな訴えを棄却するだろうね。法治国家では・・・」

コルベリは黙った。

「トリニダート・トバコは多分その法治国家なんだろうな。」

とネイドが口を挟んだ。

「その通り。」

コルベリが疲れた口調で答えた。

「法治国家」、その言葉は余りにも使い古されていて、スウェーデンではもう誰も使おうとしないし、もし誰かが真剣な意味でその言葉を使ったら、周囲の笑い者になってしまうだろう。

 一九七〇年代に、既に「法治国家」という言葉が逆説的に使われ始めていたのである。 

 

 前作に登場した犯人がふたりも再登場をする。ひとりは第一作ロゼアンナで、アメリカ人の女性ロゼアンナを殺害したフォルケ・ベングトソン。彼は十年余の刑期を終え、出所後、スコーネに住んでいる。もうひとりは第二作「蒸発した男」の犯人オーケ・グナルソン。彼も刑期を終えた後、スコーネの新聞社に雇われて記者をしている。ベックが、刑期を終えた彼らと、ごく自然につきあう様子を見ることにより、「罪を憎んで、人を憎まず」というベックの感性を改めて知ることができる。

 長年の良きパートナー、コルベリは警察を辞める決心をする。何故かその時に、コルベリは犯行の鍵になるベージュのヴォルヴォを探し当てる。偶然なのかそれとも必然なのか。警察を辞める決心をしたとき、それまでで最大のひらめきを得る。作者にとっては、それはやはりストーリーの展開の上での必然なのであろう。

 

20055月)