「テロリスト」

原題:Terroristerna

ドイツ語題:Die Terroristen

1975

 

 

<はじめに>

 

 「マルティン・ベック」シリーズの最後を飾る作品。一番長い。ただ長いだけではなく、内容的にも重い。一言で言うならば「盛り沢山」な物語。色々なエピソードを通じて語られる様々な主張が、この作品の中に収められている。

 

 

<ストーリー>

 

 スウェーデン警視庁幹部は、秋にスウェーデンを訪問する米国上院議員の扱いに頭を痛めていた。タカ派の上院議員は、ヴェトナム戦争の推進者であった。それゆえに、スウェーデンでは反戦団体の大規模なデモが予想されていた。また、上院議員の政治的な立場ゆえに、彼がテロリストの標的となる可能性も高いと言えた。

そんな折、某国の大統領がスペインを訪れることになった。要人の警護には実績のあるスペイン警察からスウェーデン警視庁に対し、警備方法の視察に来ないかという誘いが来る。スウェーデン警察幹部たちは人選に苦慮するが、マルティン・ベックの提案で、(言わば嫌われ者を少しの間追い出す形で)グンヴァルド・ラルソンを、スペインに派遣することが決定される。

スペインに着いたラルソンの目の前で、大統領を乗せた車は道路に仕掛けられていた強力な爆弾で吹き飛ばされる。大統領をはじめ、多数の犠牲者が出る。ラルソンは難を逃れ、スウェーデンに帰国する。

 

 ストックホルムの法廷では、銀行強盗の容疑で、十八歳の未婚の母、レベッカ・ルンドの裁判が行われていた。検察側はストックホルムきってのやり手検事ブルドーザー・オルソンが、弁護側は老獪な弁護士ブラクセンが担当していた。老弁護士は、オルソンの鋭い追及を、ノラリクラリとかわし、最後に見事な反撃に出て、少女を無罪に導く。

 

 その数日後の深夜、ストックホルムの郊外。ある家のガレージの中に隠れている男がいた。男は翌朝、女性が出勤し、ひとりになった別の男を浴室で鉄棒を使って殴り殺し、逃亡する。殺された男は映画監督のヴァルター・ペトルス、愛人の家で一夜を過ごした後の出来事であった。ベックと殺人課の刑事たちは、捜査を開始する。ペトルスは安価なポルノ映画を作り、それを輸出して財をなしていた。そして、彼は、若い女性を映画出演や麻薬で釣り、弄んでいたことが明らかになる。ベックは、ペトルスの映画出演者の中に、かつて耳にした名前を見つける。

 

 米国上院議員の訪問が数週間後に近づき、スウェーデン警視庁は特別警備本部を作ることになる。その本部長にマルティン・ベックが任命される。上層部の圧力やや治安警察の横槍を受けながらも、スペインから帰国したグンヴァルド・ラルソンとともに、ベックは独自の警備計画を練る。

 

 予想通り、テロリストはスウェーデンに侵入していた。スペインでの大統領殺害に成功した国際テロ組織ULAGは、次の標的を、スウェーデンを訪問する米国上院議員に定め、四人の刺客をスウェーデンに送り込んでいた。南アメリカ人のラインハルト・ハイド、カイテンとカミカゼと名乗る二人の日本人、そしてもうひとりのフランス人であった。彼らは、強力な爆弾を上院議員が空港から市内に向かう道中に仕掛け、議員を車ごと吹き飛ばしてしまうという計画を練っていた。彼らは、警察に察知されることなく、準備を進めていた。

 

 ベック、ラルソン、スカッケ、レン、メランダーの特別警備本部は、テロリストの介在を予感し、警察上層部にさえも内密にある準備を進めていた。それは、周到なテロリストの計画に対し、カウンターアタックを仕掛けるものであった。

そして、同じ時期、スウェーデンの町の片隅では、四人のプロのテロリストとは別に、意外な人物が独自にテロの計画を進めていた。

 

 

<感想など>

 

 マルティン・ベック・シリーズの後半の作品の典型とも言えるが、一見互いに関係のない複数のストーリーが同時に展開する。

@       グンバルト・ラルソンのスペイン派遣と、テロとの遭遇

A       十八歳の少女、レベッカ・ルンドの裁判

B       映画監督、ヴァルター・ペトルスが愛人宅で撲殺された事件

C       スウェーデンに侵入し、暗殺の準備を進めるテロリストたち

D       テロリストの存在を知らないまま、警備の計画を練るベックとその同僚

これらの物語の糸が、後半まで、交わることなく並べられている。「映画監督の殺人事件が、どうして、本筋と関係があるの」と、普通の読者なら考えこんでしまう。しかし、一本一本の糸は順々に結ばれ、最後には一本に収束するのである。この技法、見事と言う他はない。

 

 また、これもこのシリーズ後半の作品の特徴と言えるのだが、強烈な社会批判に貫かれている。

 先ずは、レベッカ・ルンドの裁判の法廷シーン。銀行強盗の罪で現行犯逮捕された十八歳の少女。品の悪いネクタイをしているが、担当した事件を悉く有罪に持っていく、やり手の検察官ブルドーザー・オルソン。弁護を担当した人物の名前が覚えられず、的外れな発言を繰り返す国選弁護人のブラクセン。最終的には、ブラクセンは巧みな弁護で、少女の無罪と、彼自身が耄碌していないことを示すのであるが。

そこに描かれることは、警察のおざなりな捜査である。しかし、それ以上に、警察、金融、社会保障、果ては司法まで、現代社会のシステムは基本的に強者を守るためのものであり、弱者は何によっても守られないと言う点が強調される。裁判を傍聴していた、ベックの恋人レアの感想が、まさに作者の考えを代弁していると言える。

 レアは、裁判の休憩時間中にブラクセンと話した内容をベックに説明している。

「それで、ブラケットはそれに対して何て言ったの。」

「法治国家って言葉を振り回しちゃいけない、警察の高価な装備は政府と一握りの特権階級を守るためだけにあるんだって。」

90ページ)

 また、スウェーデンの社会民主党に対する批判も厳しい。

全ての後ろ盾として、社会民主党と名乗る正統が政権を握っていた。しかし、彼らは何年もに渡り、社会主義的ではなく、民主主義てきでもなかった。彼らがかつては少しはそうであったとしても、資本主義的な国家権力を一枚の薄い布え覆っていたとしても。

276ページ)

 

 ULAGと言う名前の国際テロ組織が登場する。北アイルランド、バスク地方、印パ国境など、局地的な問題をテロに訴える組織ではなく、国際的にテロをするために生まれた組織である。その意味では、現在存在すると言われている「アルカイダ」に似ている。作者が、三十年前に、そのような組織の発生を予言しているのが面白い。

 そして、マルティン・ベックとグンヴァルド・ラルソンが考案した「見えない敵」に対する奇想天外な対策、それがこの物語の最大の見所であろう。

 

 ベックの周りにも、いくつかの変化が現れている。現在、ベックはストックホルムの警視庁の中では、押しも押されもせぬ幹部である。警視総監でさえ、ベックの傑出した頭脳には一目置いている。

 しかし、ベック自体はいくつもの問題を抱えている。ひとつは、長年の仕事の上でのパートナー、コルベリが警察を去ったことである。これまでベックは、自分の考えをコルベリに話すことにより、より完璧に、より論理的にしていた。そのコルベリをなくして、ベックは自分の警備方針が、果たして隙のないものか、効果的なものかと悩む。最後にベックはコルベリの新しい職場、武器博物館へ出向き、彼の意見を求めるのである。

 また、恋人レア・ニールセンとの関係。今回、レアは単なる聞き役ではなく、事件の解決にかなり大きな役割を果たす。彼女は記憶力と、論理的な考えでは、ベック以上である。ベックは彼女との関係に対して、少し悩んでいる。ベックは男女関係に結構保守的な考えの持ち主なのである。

「どうして電話をくれなかったの。」

マルティン・ベックは答えなかった。

「お終いまで考え、その結末に満足できなかったからでしょ。」

「まあ、だいたいそんなところだ。」

「だいたい。」

「いや、まったくその通りだ。」

彼は認めた。

「私たちが一緒に住めないとか、結婚できないとか、子供を作れないとか、そんなくだらないこととか。そうしないと、全部がややこしくなって、友情が崩れ去るんじゃないかって。消耗して壊れてしまうんじゃないかって。」

「その通り、それに対してきみにどう反論できるか分かっているはずだ。」

88ページ)

結婚に至らない男女関係はやめたほうがよい、離婚を経験したベックでさえ、そんな考えを持っていたことが少し以外であった。この物語が書かれたのが、三十年前であることを考慮しても。

 

 シリーズは、夫ペア・ヴァールーの死によってこれが最終作となる。そのせいではないだろうが、ベックが警察官として成功した理由が要約されて書かれている。

これまで、このシリーズを続けて読んできて、ベックはどこが優れているのだろうと考えてきた。その答えが要約されていると感じた。その答えが述べられているようである。

マルティン・ベックは長い道を歩んできたが、三十年前、ヤコブ区で歩いてパトロールにあたっていたときから既に良い警察官であった。彼は人々と好んで話をしたし、問題をユーモアと知性で解決した。そして、他の同僚のように軍隊から転籍したのではないことを、自分に感謝せざるを得なかった。六年間のパトロールの間、特に苦い思い出がない。そして暴力に訴えなくてはならないような事件も数えるほどしかなかった。

(中略)

彼ももちろん他の者たちと同じように昇進することを望んでいた。しかし、その点で彼は決して妥協をしなかった。彼は机に座って仕事をするのを欲しないだけではなく、常に外部の人々と環境と接触することを望んでいた。事務所に閉じ込められ、書類と電話と、会議に忙殺されることに対する不安は確実に彼の昇進を遅いものにしていた。

277ページ)

ベックのなかに、作者の理想の警察官像を見るならば、机に座っていないで外に出て、常に民衆とコンタクトを持ち、その意見に耳を傾ける。そんな人間、どこかで見たような聞いたような、そうだ「遠山の金さん」。マルティン・ベックは近代スウェーデンの遠山金四郎なのかもしれない。

 

ともかく、この半年間、ベックとその同僚たちと「付き合う」ことができて、本当に楽しかったと思っている。その間にストックホルムを訪れ、背景に触れることもできた。また、先に読んだヘニング・マンケルの「クルト・ヴァランダー」シリーズに与えた多大な影響も感じられそれも良かったと思っている。

 

20059月)

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