「ミステリーの女王」

原題:The queen of crime

20091122日、「オブザーバー」紙、日曜版に掲載

 

インタヴューを受けた当時のマイ・シューヴァル。オブザーバー紙、ウェッブサイトより。

 

 英国「オブザーバー」紙に、マイ・シューヴァル(Maj Sjöwall)へのインタヴュー記事が掲載された。インタヴュアーはルイース・フランス(Louise France)という女性記者である。この記事が書かれたとき、シューヴァルは七十四歳であった。

 スウェーデン人のマイ・シューヴァルは、一九六〇年代、パートナーのペール・ヴァールー(Per Wahlöö)と一緒に、推理小説の古典と言われる「マルティン・ベック」シリーズ全十作を書いた。私はこのシリーズこそ、スウェーデンのみならず、ヨーロッパにおける警察小説、ミステリーの原点だと信じている。記事を書いたフランスも、

「彼等なしには、イアン・ランキンの『ジョン・リーバス』シリーズや、ヘニング・マンケルの『クルト・ヴァランダー』シリーズも生まれなかっただろう。」

と述べている。

 そのインタヴューの内容を紹介してみたい。

 

 「マルティン・ベック」シリーズは、夕食後、子供達が寝静まってから、食卓で、シューヴァルとヴァールーのカップルが、一章毎に交代で書いたという。シューヴァルは全く本を書いた経験がなく、ヴァールーも文筆業ではあるが、それまで推理小説など書いたことはなかった。

 彼等は最初から、十冊の本を書くことを決めていた。そして、毎年一冊のペースで十年に渡って書き続け、十冊目が完成すると同時に、ヴァールーは四十九歳で亡くなる。

 主人公は、ストックホルム警察、殺人課の刑事、マルティン・ベックである。彼はスーパーマンなどではなく、地味で、冴えない、ごく平均的な警察官として描かれている。そして、物語では、彼だけではなく、またごく普通の人間である彼の同僚が、地道な努力を重ね、力を合わせて事件を解決していく。その過程では、何も起こらないこともあれば、大きな無駄足もある。

 そんな主人公を通じて、シューヴァルとヴァールーは、一九六〇年代のスウェーデンの社会問題を掘り起こそうとしたという。ヴァールーはマルクス主義者であった。このシリーズはマルクス主義者の目から見た、当時の社会への問題提起であったのだ。

 彼等は、自分達の本が、それほど売れるとは期待していなかった。

「私は自分の書いた本が、生涯自分に付いてくるとは思いもしなかった。」

とシューヴァルは言う。しかし、結果的に世界中で一千万冊を越えるベストセラーとなる。しかし、不思議なことに、自分達が書いた本が売れたわりには、ふたりは金銭的には恵まれなかったという。

「金持ちになるより自由なままがよい。」

シューヴァルはインタヴューでそう述べている。

 

 インタヴューによると、シューヴァルとヴァールーがマルティン・ベックの人物像を考案したとき、どこにでもいる警察官の典型、プロトタイプを考えたという。「マルティン・ベック」シリーズと、その登場人物には、四十年後も人を引き付けて離さない「何か」があるのは確かだ。私も、このシリーズにのめりこんだ時期があった。

記事を書いたフランス自身が、「マルティン・ベック」との出会いを以下のように述べている。

「私は数年前、このシリーズに偶然出会った。当然のこととして、第一作の『ロゼアンナ』から読み始めたのだが、掛け金が外れたようになり、普段の生活を忘れ、上司に嘘をついて、ベッドの中で、一冊また一冊と読んでしまった。それは強烈なミントの入った食べ物を、次から次へと口に入れているような経験だった。私は、主人公のマルティン・ベックに恋をしてしまうのではないかと心配になったくらいだ。」

 何故、マルティン・ベックがこれほど多くの人に愛されるのだろうか。それは、彼が血の通った普通の人間であるからだと私は思う。そして、当時はそれが新しかったのだ。

 それまでの推理小説の探偵は、コナン・ドイルのシャーロック・ホームズにしても、アガサ・クリスティーのポアロにしても、滅多に失敗をしないし、彼等の行動は、全てが事件を解決するための伏線であった。無駄足がない。また、その周囲の登場人物も、物語を前へ進めるためだけに存在していた。シムノンの「メグレ警部」シリーズあたりから、登場人物がだんだんと「普通の人間」、「悩める人間」になりはじめるが、まだまだ十分とは言えない。「悩める人間」が「試行錯誤を繰り返しながら」事件を解決していくという、現代の推理小説の定番は、この「マルティン・ベック」によって開かれたと私は思う。

 フランスも書いているが、ヘニング・マンケルの描く、悩める中年男クルト・ヴァランダーは、マルティン・ベックの血を引いていると思われる。マルティン・ベック以降、推理小説の探偵は、慧眼のスーパーマンでなくなったのである。その意味では、歴史的な作品群であると言える。

 

シューヴァルはインタヴューの中で彼女の私生活についても語っている。

シューヴァルはホテルのマネージャーをしており、ストックホルムのホテルに住み込んでいた。スイートルームを借り切る金持ちの客から、地下の厨房でジャガイモを剥く従業員まで、ホテルはありとあらゆる階級が存在する場所である。シューヴァルはそれを見ながら育った。ティーンエージャーのとき、彼女は積極的にパブやレストランなど大人の世界に入り込んだという。

シューヴァルとヴァールーが出会ったのは一九六二年のことだった。ジャーナリストとしての道を歩み始めたシューヴァルは当時二十七歳。ヴァールーはシューヴァルより九歳年上で、既婚、娘がひとりいた。彼は、新聞記者で共産党員であった。彼等はジャーナリストがたむろする一軒のバーで出会い、意気投合する。そしてヴァールーは妻と幼い娘を捨ててシューヴァルの元に移った。

一緒に住むようになったふたりは、推理小説を書くことを計画する。彼等は推理小説の執筆を「書斎から表通りに引きずり出した」ジョルジュ・シムノンやダシール・ハメットの影響を受け、社会問題を取り扱った作品を書こうとする。

「私達は『左翼的な』視点から見た社会を描こうと思ったの。ペールは政治的な本を書いたんですが、三百冊しか売れなかったんですよ。人々が推理小説なら読むことを発見し、『福祉国家』スウェーデンの表向きのイメージの裏に存在する、貧困、犯罪、暴力など別の層があることを読者に訴えることを目的に書き始めたの。私達は、スウェーデンが資本主義的な、冷たい、非人間的な方向に向かっていること、そこでは富める者は益々富み、貧しい者は益々貧しくなることを訴えたかったんです。」

とシューヴァルはふたりの動機を説明する。

 かくしてふたりは小説を書き始めた。それはふたりきりの「プロジェクト」であった。最初から十冊と限定していた。最初の本は、スウェーデンの運河を船で旅をする途中で殺された米国人の女性を描いた「ロゼアンナ」。今ではそうでもないが、当時は「余りにもリリスティック過ぎる」という批判を浴びた。しかし、彼等は児童虐待、殺人狂、セックス産業、自殺と言ったテーマを扱っていく。彼等の本は彼等自身の予想を超えてベストセラーとなる。しかし、不思議なことに、本が売れたことは彼等にそれほど金をもたらさず、彼等はずっと印税だけで生活できなかったという。

 当初の計画通り、十冊の本を発表する上での大きな障害が現れる。それはヴァールーが病を得たことである。彼等は何とか十冊目の本「テロリスト」を一九七五年の五月に書き上げる。ヴァールーはその出版を待たず、同年の七月に亡くなる。インタヴュアーのフランスは、シューヴァルに尋ねている。

「あなた達が予想し、怖れていた社会は実際に来ましたか。」

「全てが予想したより早くやってきました。市場が支配し、人々が『人間』ではなく『消費者』として理解される社会が。」 

とシューヴァルは答える。

「では、あなた達の『プロジェクト』は失敗に終わったんですか。」

とフランスが更に聞くと、シューヴァルは笑いながら答えている。

「はい、失敗しました。でも大事なことは、私達の本の読者が既に私達と同じように考えるようになってくれることです。そのままでは何も変わらない。自分達で変えるようにしなければ。」

 

20129月)

 

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