春に死す(Death in Springtime / Tod im Frűhling

 

 フィレンツェに雪が降った。それも三月に。人々は驚きの目で空を見上げる。そして、その朝、ふたりの女子学生が誘拐された。

 ふたりのうち、一人はすぐに解放される。ノルウェー人のカトリン・ニルセンは、フィレンツェから少し離れた山の中の村に置き去りにされ、地元の警察に保護される。彼女は、犯人から誘拐されたもうひとりのアメリカ人女子学生、デボラ・マックスウェルの父親に対して、十五億リラの身代金を要求する伝言を預かっていた。 

 フィレンツェのカラビニエリの署長、マエストランゲロは、検察官と地元の警察と共に捜査を開始する。チーズ作りを本業にし、「誘拐を副業」とすると言われている、サルディニア人の羊飼いの犯行であると、マエストランゲロは当たりをつける。

犯行に使われた車が、住人がいない別荘の近くで発見される。その別荘は、森番が管理し、別荘の土地は、若い牧夫が放牧に使っていた。解放されたノルウェー人の衣服からも羊の肉や血の跡が発見される。証拠は、全てが羊飼いを指している。警察は、あたりのサルディニア人牧夫たちの聞き込みをする。しかし、仲間や家族を守る彼らの口は堅く、これと言って成果は得られない。

 若い警官、バッキが解放されたカトリン・ニルセンから事情を聞くが、彼女は何かを隠しているようだ。証言に立ち会った、ガルナシアは本能的に「嘘」であると見抜く。

 また誘拐されたアメリカ人娘自体にも不自然な点が多い。親から毎月大量の仕送りを受けているのに、彼女のアパートには金が全く残っていない。彼女は毎月、大金を何に使っていたのだろうか。

 米国からカトリン・ニルセンの父親と継母が到着する。会社を経営し、金持ちの父親は、警察との協力を拒み、独自に犯人たちと連絡を取り、身代金を支払うことにより、娘を解放しようとする。マエストランゲロには父親も何かを警察に隠している気がしてならない。

 

 捜査の指揮をとるマエストランゲロは、どこかが身代金目当ての誘拐の「プロ」の犯行と異なることを直感する。その直感が正当化され、捜査に転機が訪れるのは、ふたりの協力者が現れたことによる。

 まず、ニルセン夫人が、警察に、犯行に使われた車が発見された近くの別荘を購入し、娘を住まわそうとしていたことを証言する。また、誘拐されたデボラが、麻薬で問題を起こし、学校を退学になった経験があることを明かす。

 カトリン・ニルセンも、デボラがコカインの中毒者であり、仕送りはほぼ麻薬に使っており、サルディニア人の麻薬売人と関係のあったことを証言する。

 別荘を巡る利権、麻薬という視点から、捜査は新たな展開を見せる。

 

 読んでいて、疑問が残る点が三つあった。

 第一に、本書は英語で一九八三年に出版され、ドイツ語訳ではナブの一連のシリーズでは一番最初のものとなっている。「メグレ警視」シリーズで有名なジョルジュ・シメノンが巻頭言を書いているくらいなので、やはり記念すべき第一作なのであろう。しかし、物語の中でガルナシアはチッポラという男の裁判に関わっている。チッポラは第三作の「英国人の死」の登場人物であり、設定としてはこの「春に死す」が「英国人の死」より後ということになる。つまり、事件の順番とその出版の順番が一致していないということである。

 第二に、この物語で、ガルナシアが登場するにはするが、殆ど重要な役目を果たさないと言う点である。この物語の主人公を敢えて絞るとすれば、署長のマエストランゲロであろう。少なくとも、ガルナシアは今回、事件を解決に導く、重要な役割を果たしていない。これはシリーズでは例外的である。

 第三は、「春に死す」という題名であるが、誘拐された女子学生はふたりとも、無事救出され、死んではいない。確かに関係者の何人かは事故死、不審死をするにはするが。

 

 トスカナ地方には誘拐が多い。後年の、「アルタ・モーダ」もやはり、誘拐をテーマにしている。そして、両者にサルディニア人の羊飼いが関与している。マエストランゲロが、ミラノ出身の検察官に、何故トスカナ地方に誘拐事件が多いかを説明している箇所がある。

「理由はふたつ。ひとつは、サルディニア人が観光開発とコスタ・スメラルダなどのせいで、それまで何百年も放牧に使ってきたサルディニアの土地を取り上げられ、それに変わる牧草地を探さなければならなかったこと。「人種差別」問題で、彼らはいい放牧地を取り上げられ、山地に追い込まれて行ったこと。それが、ちょうどトスカナ地方で農民が工場で働くために土地を捨てたときと重なったわけです。少しでも金のあるサルディニア人は、捨て値で農地を買い求め、羊のための放牧地を得ることができたのです。これらのサルディニア人は運がいい。・・・

でも、後から来たサルディニア人、これから来ようとしているサルディニア人が問題なのです。彼らは貧しく、トスカナの土地の値段も上がってしまいました。『よき時代』は終わたのです。」

そして、彼らが土地もなく、人種差別の中で手っ取り早く金を稼ぐ道。それが、身代金目当ての誘拐であり、その道のプロが生まれたということである。

 また、第二の理由として、トスカナ地方には、かつての農民が町に働きにでかけるために、土地を去った後に、放置された農家が散在しているという点である。つまり、誘拐した人質を監禁しておくための隠れ家には、ことかかないと言う点であると言う。

 誘拐のプロの手口については色々と紹介され、面白いものがあり、それに対する警察の捜査方法もなるほどと思うものがあるが、「アルタ・モーダ」の書評で書いているので、ここでは述べないことにする。

 

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