マーシャル自身の件(The Marshal’s Own Case

女王の死(Tod einer Queen

 

 プロローグと言うか、本筋とは関係のなさそうないくつかののエピソードから物語は始まる。

 最初のシーンは、ガルナシア家の買い物。新学期を前に、ガルナシア一家、夫婦とふたりの息子の学用品を揃えるため、デパートにいる。高価な学用品を次々買っていく家族もあれば、それを恨めしそうに見ている貧しい家庭の子供もいる。

次は、ひとりの身なりのいい中年女性が警察署のガルナシアを訪れる。行方不明になった息子を捜してくれと言う。二週間前から行方不明の息子の捜索願である。ところが、息子の歳は四十五歳、これまでも数日に渡りたびたび家を空けていたという。ガルナシアは息子がどこかで女としけこんでいるのだと判断し、彼女を適当な理由をつけ追い返す。

更に、迷子の少女のエピソード。若い部下が連れてきた、泣き喚く少女をガルナシアは自分の部屋に連れて帰る。若い警官が手を焼いた少女も、ガルナシアには一目を置き静かになる。妻のテレサも一緒に少女の世話をする。間もなく、母親が迎えに来て、これは一件落着。

故郷のシチリア島の友人からの電話。フィレンツェに働きに出た息子が行方不明のため、消息を捜して欲しいと言う。ガルナシアはその息子が住んでいるという住所を訪れる。

オムニバス風に話が展開するが、どのエピソードも「親と子」に関係がある。

 

今回の事件の発端は、ごみ捨て場で発見された女性のバラバラ死体である。死体は頭、胴、手足が切断され、ごみ袋やトランクに入れられて捨てられていた。検死した医者からの連絡が入る。死体の膨らんだ胸の中身はシリコンだった。つまり、死体は男性のものであったのだ。

Transvestite」本来は異性装嗜好者の意味であるが、女性がジャケットを着てズボンを履いている今の世の中、「女装趣味の男性」と訳せばよいであろう。日本では「おかま」と称されるものか。単なるホモセクシュアルとは違う。女性になりたいという欲望を持つ男性なのである。被害者はその女装趣味者と予測された。

署長より捜査を任されたガルナシアは、おかま、売春婦に強い、フェリーニという同僚とチームを組む。彼らふたりは、深夜街角や公園に立つ女装の売春男、つまり男娼に対して、最近姿が見えなくなった仲間がいないかどうか聞き込みを始める。確かに、二人の男娼が最近通りに現れていない。一人はルルという若い男、(と言うか女)。スペインへ更なる女性化のための手術に出かけてと言う。もうひとりはカーラという少し年配の「おかま」であった。

ガルナシアはカーラを訪れる。風邪で寝ている彼(というか彼女)は、一枚の写真をガルナシアに見せる。カーラとルル、それにナニーという客の三人の写真である。もちろん全員女装している。ガルナシアは彼の目から見てもルルが可憐であることに驚く。しかしルルのわがままで強欲な性格、自分の美貌を武器にし、ときには客を強請るほどの強引な商売のやりかたにより、ルルは仲間たちから嫌われていた。その写真を見て、ガルナシアは殺されたのがルルであることを知る。

ガルナシアとフィリーニは深夜の聞き込みの途中に、彼らの姿を見て逃亡したペッピーナと言う名の男娼を逮捕する。彼の指紋が殺されたルルのアパートから発見され、彼もルルの殺された夜、ルルのアパートに立ち寄ったことを認める。署長も、検事も、ペッピーナを犯人として起訴することで、捜査の幕を引こうとする。しかし、ペッピーナは、ルルのアパートにはナニーと呼ばれる客に連れていかれたと主張し、ルルを殺したことを否認する。

 

このバラバラ殺人事件と並行して、ガルナシア自身と彼の家族の問題も描かれる。学校の面談で、彼とテレサは長男トトの担任から、トトが最近不良グループと付き合っていることを伝えられる。彼とテレサは、悪い友達との交友を絶つためと、トトを放課後外に出さないようにする。しかし、数日後、ガルナシアは最悪の電話を受ける。それはデパートからであった。トトがデパートで万引きをしようとして捕まったと言う・・・

 

この物語ではガルナシアの特徴が余ることなく描かれている。無口な彼であるが、捜査が核心に近づくとますます無口になる。周囲の人間は彼が、何を考え、何に向かって進んでいるのか、全く分からなくなる。上司の署長は、ガルナシアのその性癖をよく理解している。

「署長は、一瞬言葉をのんで、考え込んでいるガルナシアの顔を眺めた。この男が何を企てようとしているのか誰も分からない。尋ねたとしても、時間の無駄である。署長は長年の経験からそれを知っていた。ガルナシアの頭は素晴らしく明晰というわけでもなく、上手に自分の考えを他人に伝えらる人間でもない。彼がいつも正しい方向へ考えをめぐらせることは誰もが知っているし、事件が核心に近づけば近づくほど彼がますます寡黙になることも、誰もが知っていた。」

 次の彼の特徴は、人付き合いの丁寧さであろう。社会の裏側で生きる男娼たちを、同僚のフィリーニも含め、殆ど人間扱いしない中、ガルナシアだけは、彼らをあくまで人間として扱おうとする。最初、街にいる男娼数人を事情聴取のために、深夜警察署に連行する。そのときのひとりが

「尼さんが殺されたら、あんたたちは修道院に夜中の三時に土足で踏み込んで、残りの尼さんを警察に連行するかい。」

と警察を非難する。その言葉にひっかかったガルナシアは、最後まで、男娼たちと人間としての対等の会話をしようとする。そして、その結果、彼らから貴重な情報を得ることは言うまでもない。

 もうひとつ、ガルナシアの性格を表すエピソードがネコを助ける場面である。事件の解決に行き詰まり、息子の教育に対しても挫折感を味わって彼であるが、そんなときこそ、何でもいいから他人に役立つことをすることにより、自分の存在感を確かめたいと彼は思う。そして、彼は老婆と協力して、閉まったシャッターと、ショウウィンドウの間に閉じ込められた、一匹のネコを助ける。そしてそのネコが、息子との絆を取り戻すきっかけとなるのである。

 

 ガルナシアの私生活にかなりの重点を置いた作品である。同時に、数々の一見関係のないエピソードを次々と登場させ、最後にはそれをまとめてしまう手法を駆使している。よく考えた構成であるが、ちょっと構成が巧みすぎて「出来すぎ」の感も拭えない作品である。