「救世主」

原題:Frelseren

ドイツ語題:Der Erlöser

2005

 

 

<はじめに>

 

 ノルウェー人の作家であり歌手でもある(!)、ヨー・ネスベー(Jo Nesbø) によって書かれた、オスロを舞台にした物語。主人公は巨躯の「はみだし刑事」ハリー・ホーレ(Harry Hole)。厳寒の十二月、クロアチア人のプロの殺し屋スタンキッチ(Stankic)とハリーの間に、追いつ追われつの捕り物が展開される。五百ページを超える長編。読み応えは十分。

 

 

<ストーリー>

 

第一部

 

一九九一年夏。ノルウェー、エストゴルドの救世軍サマーキャンプ。十四歳の少女は夜中に外のトイレに立つ。そこで、待ち伏せしていた少年にナイフで脅され、レイプされる。少女はその年上の少年が誰であるのか知っていた。

 

十二年後、二〇〇三年の冬。パリ。クロアチアのザグレブから来た二十三歳の男は夫婦の住むアパートの玄関の呼び鈴を鳴らす。男は応対に出た夫をドアの隙間から射殺する。現場を去る男は呟く。次のオスロでの「仕事」が、自分の最後のものになると。

同じ頃、ノルウェーのオスロ。クリスマスを前に厳しい寒さが続いている。オスロ警察の警視ハリー・ホーレは、ひとりの青年の両親を訪ねる。青年は、コンテナ基地に積み上げられたコンテナのひとつの中で、死体で発見された。ハリーは両親に息子の死を告げる。青年は永らく麻薬中毒だった。ハリーはその青年の死に不審を抱き、深夜コンテナ基地に侵入する。そこで番犬に噛みつかれるが、ポケットにあったウィスキーを犬の目にかけて、危ういところで脱出する。ハリーは息子の父親に犬に噛まれた傷のあるのを発見。麻薬の禁断症状ために凶暴になった息子を、コンテナ基地で父親が殺したことを知る。

また同じ頃、救世軍のメンバーであるヨン・カールセン(Jon Karlsen)は、厳しい冬を迎え、アルコール中毒者、麻薬中毒者、ホームレス達のために走り回っていた。彼にはテア・ニールセン(Thea Nielsen)という恋人がいた。彼女も救世軍のメンバーである。テアはヨンとの関係を公にし、婚約発表をすることを望むが、ヨンはそれを思いとどまらせる。ヨンにはロベルトという弟がいた。同じくテアに好意を抱いているロベルトを、失望させたくないというのがヨンの挙げる理由だった。

オスロ警察ではトップの交代が行われた。これまで署長であったトム・ヴァーラース(TomWaalers)が武器密輸の罪で失脚したため、新署長グナー・ハーゲン(Gunnar Hagen)が、新たにハリーの上司となった。前署長の罪を暴いたのは、他ならぬ部下のハリーであった。同時にハリーの直属の上司で、良き指導者、理解者であったヴィアルネ・メラー(Bjarne Møller)もベルケンへ転出することになっていた。

ハリーは妻が息子を連れて出て行ったショックからアルコールに逃避したが、その頃にはアル中を何とか克服していた。ポケットにいつもウィスキーの小瓶を入れているのも、アル中を克服したことを、それの手を出さない自分に納得させるためであった。

パリで「仕事」を終えた男は、次の仕事のために、スーツケースの底に分解したピストルを入れ、ザグレブのホテル・インターナショナルを出発、飛行機でオスロに向かう。彼のコードネームは「小さな救世主」。ユーゴスラビア内戦の際に、少年であった彼は、クロアチア側の闘士として活躍した。「救世主」は彼のゲリラ活動の功績により付けられたニックネームであった。オスロに着いた男はホテルに投宿し、依頼された「仕事」の現場の下見をする。そこはオスロの繁華街のど真ん中である。彼は「仕事」の際、いつもクロアチア闘士のシンボルである「赤いスカーフ」を首に巻いていた。

翌日の夕刻、降りしきる雪の中、男はオスロのメインストリート、エゲルトルグ(Egertorg)で音楽を演奏する救世軍の一段に近づく。聴衆に紛れて男は楽団に近づき、募金のための鍋を持つ若いメンバーを射殺する。現場を去る男は呟く。これで最後の「仕事」が終わったと。男はレストランのトイレの石鹸水の中にピストルを隠し、空港に向かう。彼はその夜のザグレブ行きの便を予約していた。しかし、大雪のため、空港が閉鎖されてしまう。

 

第二部

 

 ハリー・ホーレと警察オスロの彼のチームが殺人現場に急行する。殺された救世軍のメンバーは、ヨンの弟、ロベルト・カールセン(Robert Karlesen)であった。その日、地元の新聞社が救世軍の活動を取材し、沢山の写真を撮っていた。犯人がその写真に写っているのではと考えたハリーは、写真の分析を同僚の女性鑑識課員ベアーテ・レン(Beate Lønn)に依頼する。ベアーテは、前日取られた写真と、犯行直前に撮られた写真のどちらにも、顔ははっきりと分からないが、黄色い人造皮革のコートを着て、赤いスカーフをした男が写っているのを発見する。そのスカーフは奇妙な結び方をされていた。それは、三十年戦争以来、クロアチアの兵士のするものであった。ハリーはヨーロッパ警察機構「ユーロポール」のデータベースを検索する。その結果、未解決の殺人事件で「赤いスカーフ」の男が目撃されたものが他に四件あることを知る。

飛行機に乗れないため、オスロで一晩過ごすことになった男は、翌日のニュースを見て愕然とする。彼が射殺したのは、ロベルト・カールセン。しかし、彼が殺すように依頼を受けていたのは、兄のヨン・カールセンであった。彼は任務を遂行するために、オスロに残ることを決断する。彼は空港からオスロの町に戻る。そして、昨日隠した拳銃を取り返すために、レストランに向かう。しかし、石鹸水の中から拳銃を取り出すところを、トイレに入って来たウェイターのひとりに目撃されてしまう。彼は何とかその場を取り繕い、レストランを出る。彼は救世軍に電話をし、ヨンの住所を知り、そこへ向かう。

ハリーは殺されたロベルトの周辺を調べるために、兄のヨンの家を訪ねる。ハリーの訪問中、ドアのベルが鳴る。ドアを開けたヨンに対して、黄色い人造皮革のコートを着た男が拳銃を発射する。幸い銃弾はヨンに当たらなかった。警察はオスロ中のホテル、空港に警戒網を敷き、前日の乗客名簿とホテルの宿泊客名簿から割り出した、「クリストロ・スタンキッチ」と名乗るクロアチア人をノルウェー全土に指名手配する。ヨンは病院に運ばれ、そこには警官の見張りがつくことになる。電話局の調べでから、スタンキッチがザグレブの「ホテル・インターナショナル」に電話をかけていたことも判明する。

顔と名前が知れ渡ってしまい、男はホテルに泊まることもできない。おまけに、目印になるので、黄色いコートも捨ててしまった。厳寒のオスロでは野宿することもできない。男は、たまたま声をかけてきた、救世軍のホームレス収容所に泊まることにする。収容所の電話を使い、彼はザグレブの「ホテル・インターナショナル」に連絡を取ろうとする。しかし、その通話が警察の警戒網に引っかかり、ハリーとその同僚が収容所に駆けつける。現金を引き出すために外に出て、収容所に戻ろうとした男は警官のひとりに目撃される。ハリーは彼を追うが、肝心の所で、借り物の銃から弾丸が出ず、男を取り逃がす。

ラグンヒルド・ギルストルップ(Ragnhild Gilstrup)は魚の養殖業で財をなした父の金で、アメリカの大学に留学する。そこで同じくノルウェーから来た「金持ちのぼんぼん」であるマッズ(Mads Gilstrup)と知り合い結婚する。父アルベルト(Albert)と不動産業を営むマッズであるが、事業は上手くいかず、財産はどんどんと目減りして行く。起死回生を狙った父親とマッズは、救世軍の不動産に目をつける。父子とラグンヒルドは救世軍の本部を訪れ、最高責任者のダヴィッド・エックホフ(David Eckhoff)とその部下のヨンに会う。無能な夫に愛想をつかしていたラグンヒルドは、初恋の男に似たヨンを見て夢中になってしまい、夫に隠れてヨンと遭うようになる。一方、マッズと彼の父は、ヨンに賄賂を贈り、救世軍の不動産を自分達の手で自由に操ることを画策する。

マッズには救世軍に恨みがあった。彼が少年のとき、両親はそれまで自分達の所有していたエストゴルドの土地と建物を手放す。救世軍がそれを購入、サマーキャンプに使用を始める。マッズは、かつて自分の物であった土地に救世軍の若者達が走り回るのを、自分の過去が蹂躙されたような気持ちで見ていた。

ヨンが襲われたというニュースを聞いたラグンヒルドは、ヨンのアパートに向かう。自分がヨンと関係を示すような痕跡を消すためである。彼女は、ヨンのアパートの鍵を持っていた彼女は、中に入り、掃除をするとともに、彼女がヨンに書いた手紙を探す。しかし、彼女はアパートに忍び込んできた何者かに襲われ、眼球をくり貫かれ、ダストシュートに投げ込まれる。

ハリーは、ロベルトが殺される数ヶ月前、クロアチア行きの航空券を予約し、日帰りでザグレブを往復したことを知る。ハリーはロベルトが、兄の殺害をプロの殺し屋に依頼するためにザグレブを訪れたのではないかと疑う。一方、ハリーはユーゴスラビア人の少女が、ロベルトのアパートを訪ねていたことも知る。

警察に追われる男は、レストランのウェイターに接近する。ウェイターは男が指名手配され、情報提供者には報奨金が出ることを既に知っており、男を自分のアパートに連れ帰り、男が寝ている隙に男に手錠をかけベッドに繋ぎ止める。同性愛者でありサディストであるウェイターは男を犯す。ウェイターが警察への電話中、男は手錠の鎖を切り、ウェイターを殴り倒す。そして、彼を脅して立ち去る。男は、知り合った麻薬中毒者の若者から、コンテナ基地のコンテナの中で寒さを凌ぐというアイデアを得る。彼は麻薬中毒者の若者とともに、コンテナ基地に入る。そこは数日前、ハリーが夜に侵入し、犬に噛まれた場所であった。そこで男は自分の着ていた青いジャンパーを、若者の着ていたものと交換する。

ハリーとベアーテは、ロベルトのところに顔を出していたユーゴスラビア人の少女の家を訪ねる。少女には明らかに暴行を受けたと思われる傷跡があった。しかし、彼女は、それは転んでできたものであると主張し、誰かから暴行されたという点を否定する。

 

第三部

 

 ハリーは秘かにザグレブに飛ぶ。彼はホテル・インターナショナルへ出向く。そのホテルの一部に、ユーゴ内戦で生まれた難民の溜り場があった。そのバーで、ハリーはバーテンダーに「小さな救世主」と連絡を取りたいと言う。バーテンダーは最初ハリーを無視するが、最後にはハリーの投宿するホテルの名前を聞く。ホテルに戻ったハリーに女性の声で電話が入る。ハリーは「小さな救世主」のエージェントと名乗る中年の女性と会う。その女性は、「小さな救世主」の母親であった。ハリーは自分が、オスロ警察の者であることを明かし、彼女の息子、「小さな救世主」、変名「スタンキッチ」をノルウェーから無事脱出させるという条件で、今回の依頼の内容を聞く。ヨン・カールセンを殺して欲しいという依頼は、ロバート・カールセンと思われる若い男により、莫大な報酬とともに、もたらされた。しかし、彼自身は本当の依頼者ではなく、誰かの代理で来ていたようだったと、母親は答える。

一方オスロでは、ヨンは警察官の護衛の下で窮屈な生活を強いられていた。彼は自分の家に荷物を取るために戻りたいと言う。ハリーの部下、ハルフォルセンがヨンの護衛として付いていく。しかし、ヨンの家の前で、ハルフォルセンは何者かに刺される。ヨンは拳銃で撃たれるが、今回も弾丸は逸れ、彼は家に飛び込み難を免れる。他の警察官が駆けつけると、そこには犯人のものと思われる嘔吐物が残っていた。鑑識のベアーテはその嘔吐物の中に「犬の肉」を発見する。その犬はコンテナ基地に飼われた犬と同種のものであった。

男はロベルトのアパートに忍び込み、そこで休息する。そのとき、たまたまそこを訪れた、マルティーネ・エックホフ(Martnie Eckhoff)と出くわす。彼女は、何故か、男に協力を約束する。彼女は、彼に宿と服を提供し、デンマークまで脱出する手立てを用意する。それだけではなく、ヨンの居場所を男に教え、ヨンの隠れ家に案内する。ヨンが隠れているのは、救世軍がサマーキャンプをするエストゴルドであった。

コンテナ基地で、「犯人」が発見されたという知らせを受け、グナー・ハーゲンの指示で、警察の特殊部隊が基地に突入する。特殊部隊は、銃で男を射殺。頭を撃たれた男の顔は、人相が残らないほど破壊された。警察は、これでヨンを付けねらう男を片付けたと考え、ヨンを警察の監視下より解放し、隠れ家のエストゴルドからオスロに戻す。マルティーネと男がエストゴルドに到着したとき、ヨンは警察により連れ去られた後であった。男にはそれ以外にも問題があった、彼はヨンの家の前で彼の拳銃を発射することより、六発の弾丸の全てを使い果たしていたのである。「任務」の遂行のため、彼には何とかして武器を手に入れる必要があった。

ザグレブから戻ったハリーの待っていた知らせはふたつ。ひとつは犯人射殺の知らせ、そして自分の部下、ハルフォルセンの死の知らせであった。

 

第四部

 

ハリーは数ヶ月前、武器所持のための免許更新を怠り、拳銃を持つことができなくなっていた。しかし、ハリーはそれを気にかけていなかった。新署長のハーゲンは、部下達に全員拳銃を持つことを義務付け、ハリーにも、新たに許可証を発行する。ハリーの留守中、アパートに侵入した男は、その許可証を発見し、ハリーを装い警察署の武器管理課から、武器を受け取る。

ハリーは、救世軍の最高責任者、エックホフに会い、ヨンとロバートの家族の過去を知る。また、彼はエックホフの娘、マルティーネと懇意になり、十二年前にエストゴルドでレイプされた少女がマルティーネであり、その相手が誰であるかを知る。ザグレブでの「小さな救世主」の母の証言と、エックホフとマルティーネによって語られた過去のいきさつから、ハリーは事件の真相を知ることになる。また、彼は、コンテナ基地で殺された男が本当に「小さな救世主」なのかと言う点に疑問を持ち始める・・・

 

 

<感想など>

 

しかし、追う方も追われる方もタフである。ハリーも警官としてプロ根性があるが、「小さな救世主」スタンキッチも殺し屋としてのプロ根性がある。彼は、警察だけでなく冬のノルウェーの寒さと戦う。何度も窮地に追い込まれながら、その都度沈着さと行動力で、難関を克服し、何度も窮地を脱しながら、自分が殺すことを依頼された人物を執拗に追っていく。また「依頼された人物は殺すが、それ以外の人に対する殺生は極力避ける」という彼のポリシーもなかなか良い。

「小さな救世主」という名前は、ユーゴ内戦中、彼のゲリラ活動への貢献によってつけられたニックネームである。小さな身体からは思いも付かぬ、豪胆さと沈着さで、彼は何台ものセルビアの戦車に近づき、それを破壊した。それは今や伝説となっている。クロアチアはセルビアに敗れ、彼の同志の多くは殺される。彼の尊敬するリーダー、ボボも、「小さな救世主」の正体を隠し通したために、セルビア兵により殺された。

「小さな救世主」の狙うのが「救世軍」のメンバーであるのは皮肉である。救世軍の最高責任者、ダヴィッド・エックホフは、そのスピーチで次のように述べる。

「救世主はもう我々と共にいるかも知れない。この町に。」

このとき、皆がコンテナヤードで特殊部隊により射殺されたと思われていたスタンキッチは、麻薬中毒の青年を身代わりにし、実は生きていたのである。物語の中に、このような、なかなか良く考えられた皮肉な状況と、皮肉な会話が登場するのが面白い。

最初の殺人事件後、ハリーと彼のチームが犯人に迫るスピードは速い。写真、スカーフの結び方等から、人相、服装、クロアチアとの関係を見つけ、翌日には犯人が特定できてしまう。しかし、それからの追いつ追われつの捕り物が長い。延々と続く。

逃げる男スタンキッチにとっての敵は、警察だけではない。冬のノルウェーの寒さである。金もなく指名手配中の彼は、とにかく生き延びる場所を探さなければならない。しかし、この寒さと雪が、実は真犯人の描いた完全犯罪の構想を崩すのであるが。

スタンキッチの回想として、彼の生い立ち、ユーゴスラビア内戦と、その後、彼が「プロの殺し屋」になった経過が語られる。ユーゴ内戦では、「凄惨な殺戮が展開され、二十万人近い死者と、二百五十万を超える難民、避難民を出した。」と述べられている。内戦は一九九五年に和平合意がなされ終結、その結果ユーゴスラビアは、いくつかの国家に分割された。

面白かったのは、オスロには麻薬の取引が公認されている場所があるとのこと。「プラタ」という場所らしい。取り締まり、闇で儲ける人間を増やすよりは、公にしてしまおうという動きがヨーロッパの国のいくつかにはあると聞いていたが、ノルウェーもそのひとつらしい。

寒い国ではアル中が多いと聞く。ハリーもかつてはアルコール中毒であった。それを克服して今回は事件に臨むが、ザグレブのホテルで、「スタンキッチ」の母親の話を聴き、いたたまれなくなり、また飲み始めてしまう。飲み始めると止まらないのが、人の常である。ベルゲンに転勤したメラーもアルコール依存に陥る。

会話が多く、読み易い文章である。しかし、複雑なストーリーであることを考慮しても、五百ページは長い。段落ごとにシーンが変わる。読者の緊張感を持続させるためには必要かも知れないが、そのたびに「彼」、「彼女」が誰であるかが変わる。それを見つけ出し、話の糸を繋いで行くのには、結構疲れた。プロローグとエピローグを除けば、二〇〇三年の十二月十三日から、同月二十二日までのわずか十日間のことで、これだけの枚数が使われているのである。いかに記述が細かいか、これでも分かる。

最初にハリーのことを「はみだし警察官」と書いたが、物語の最後で彼の取った行動、解決策を見れば、その理由が分かると思う。

 

20095月)

 

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