憂鬱な週末

 

 金曜日の朝、会社の同僚のMさんが見舞いに来てくれた。カジュアルな格好をしているので、「今日はお休み?」と尋ねると、「カジュアル・フライデー」とのこと。なるほど。

「お客さんには話をつけておくので、焦らないで、じっくり治してから復帰して下さい。」

Mさんは言う。会社からそう言ってもらえるのは有難い。

 

 昼過ぎに、医者と会い、今後の治療の方針を聞く。今日の午後、不整脈を治す薬を点滴で入れてみて、それが効かないときは、月曜日に電気ショック療法を試みる、とのことであった。取り敢えず、薬の効果に期待するしかない。効果は、二時間ほどで現れると言う。

 昼過ぎにその薬の注入が始まった。点滴の最中に、娘とのスミレと妻が見舞いにきてくれた。娘は、点滴から、何となく重病を想像しているようである。

「この薬が効いたら治るんだって。効くと良いね。」

と娘に言う。スミレは、

「パパのために、クロス・フィンガー。」

と言って、右手の人差し指と中指を交差させた。「成功を祈る、上手くいけばいいね」と言うサインだそうだ。私も真似をした。しかし、娘と私のクロス・フィンガーの甲斐もなく、薬は効かなかった。確かに薬は強力だった。血圧が極端に下がり、脈も一分間に四十まで落ち、検査に来た看護婦をあわてさせた。しかし、それだけ。不整脈はそのままであった。

 

 土曜日と日曜日は、医者も殆どいないので、治療は行われない。「待ち」の時間である。自分でも、容態が悪化しているのが分かる。静かにしていても、夜眠っていても、心臓の鼓動が乱れているのが分かる。不整脈が出るときの胸の違和感、不快感も四六時中になってきた。起き上がってトイレまで歩くだけで、脈拍が百五十を越え、何度かトイレに行くことを禁止される。

 夜眠れないので、昼間に少し眠ろうとするが眠れない。本を読もうとするが、集中力がない。妻に、簡単に読める本ということで、アガサ・クリスティーのエルキュール・ポアロシリーズを数冊持ってきてもらったが、十分ほど読んでは放り出し、眠ろうとするけど眠れないで、また手にとって十分ほど読むことに繰り返し。

 公私とも色々とやらねばならないことを抱えているが、ここではまず、それらに優先順位をつけて順番に片付けていくしかない。そして、優先順位ナンバーワンは、自分の身体を元に戻すことである。それに、やりたいことはまだ一杯ある。こんなところでくたばりたくはないという気持ちも強い。

 一番気がかりは、四月までに完全に治って、予定通り日本に帰れるかどうかと言うことであった。父は高齢で病気がち、私に会いたがっている。しかも、昨年の秋、一時帰国する予定が、都合でできなくなり、父はかなりがっかりしているはず。これでまた帰れなくなるともし父に伝えたときの父の落胆を想像すると、心が痛んだ。現実的にも、比喩的にも、心の痛む週末の二日間であった。

 

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