「アテネの哲学者たち」

 

紀元前五世紀の中ごろ、アテネに民主主義の花が開き、アテネは文化の中心となる。西洋の学問の基本は全てその時期に生まれたと言ってよい。民主主義には教育が必要。市民に教育を与えるために、周辺の様々な場所から、ソフィスト、賢者と呼ばれる人々が集まった。

その時期のアテネで、ソクラテス(Socrates)、プラトン(Platon)、アリストテレス(Aristotle)により西洋哲学の基本が作られた。

 

ソクラテス

 

ソクラテス(紀元前470-399)は著述を全然残していない。その思想は彼の弟子、特にプラトンによって書き残されたものである。その意味では、その思想が使徒によって書かれた福音書のみによって知ることができるイエス・キリストと似ている。

ソクラテスはもっぱらアテネに住み、街頭で人々に論争を挑んだ。彼は市民に質問を投げかけ、その質問に答えさせることにより、人々の心の中から出てくる真理を見つけ出させようとした。しかし、彼のこのような態度は、当然のことながら、人々に煙たがられ、最後は人心を撹乱した罪で死刑の判決を受ける。ソクラテスは死刑の前、親しい人々の前で毒杯を仰ぎ、自ら命を絶つのである。

それまでのソフィストたちが、「人間の真理は社会情勢により移り変わる」と述べていたが、ソクラテスは人間の中にある、不変の「絶対的な真理」、「善悪の基準」を見つけ出そうとした。「真理とは何か」、と言う問いに対して、ある人は知ったかぶりをし、ある人はそのような質問を避けて通ろうとする。ソクラテスは自分たちがいかに無知であることを知ることが、真理の追究への第一歩であると説いた。しかし「無知」であることを暴かれた人々は、当然恥をかかされたことに怒り、ソクラテスを恨むのであるが。

ともかく、ソクラテスは「善悪は理性で判断できる」、その上で「正しい行いをする者だけが幸福を得られる」と説いた。

 

プラトン

 

アテネの第二の偉大な哲学者はプラトン(紀元前427- 347)である。彼はソクラテスの弟子で、ソクラテスの死後、「ソクラテスの弁明」を発表している他、ソクラテスの言動を綴った文書を発表している。彼はアテネに学校「アカデミア」を開いた。そして、その教育は、ソクラテスが行ったような対話、議論が中心に行われた。

プラトンの思想は、全ては移り変わるが、その中に不変の「フォルム」、「原型」を見つけ出すことができるというものである。つまり、「変わっていく物の中に変わらない物を見つける」ということである。例えば「馬」がいる。年齢も大きさも色も様々だが、我々はそれを「馬」だと認識でいる。それは我々が馬の「原型」を認識しているからであるとプラトンは考える。そして、彼はその「原型」を「イデア」と名付けた。

プラトンは五感で感じること出来る世界を「影絵」の世界に喩えている。人間は暗い洞窟に住んでいて、身体が壁に向かって固定されている。後ろには実物と光源があり、人間は常にその壁に映る影を見て生活している。もしそこで人間が振り向けば何が見えるだろう、まず光源の明るさに目が眩むであろう。しかし、それと同時に、いつも自分たちが見慣れている物より、遥かにはっきりした「原型」「イデア」の姿を見ることができるはずである。ただ普通の人間は振り向こうとしない。そして、ソクラテスのように無理矢理振り向かそうとした人間を恨み、殺してしまう。 

プラトンは国家が哲学者によって率いられるのが最良であると述べている。国家を身体に喩えるならば、「頭」=統治者、「胸」=監視者、軍隊、「下半身」=商工業者、納税者という図になり、「頭」は哲学者がやるのが一番良いという。そして、各々が自分の持ち場を果たすと共に、その教育は国家が行う。この思想は、後年、全体主義に利用されるのであるが。

 

アリストテレス

 

アリストテレス(紀元前384322)は、プラトンが六十一歳のとき、アカデミアにやってきた。彼は哲学者であると共に、自然の観察者、広義の生物学者であった。彼は自然の変移に興味を持ち、自然の中に入り、熱心に動植物を観察し、分類した。彼は自然科学の祖といわれ、現在でも彼の作った用語が自然科学には多数使われている。

アリストテレスは、師プラトンの唱えた「原型」(フォルム)、「イデア」(真実の世界)を踏襲した。しかし、彼は「イデア」は、多くの観察の後に、人間によって、経験的に作られると説いた。例えば、人間は数多くの馬を見る。その経験を通じて、人間の中に馬の「原型」が作られていくのだと。つまり、馬の「原型」は、数多くの馬を見た後、その特徴を集めて作られたものであると。彼は、ソクラテスやプラトンと違い、「考える」だけではだめ、「観察する」ことも大切であると述べた。

アリストテレスは物質は「形」と「素材」から出来ている、「素材」は「形」を求めていると述べる。例えばここに、大理石の塊があるとする。それから彫刻家が馬を彫り上げる。その様子を子供が見てこう言った。

「どうして石の中に馬が隠れているって分かったの。」

それは彫刻家がこれまでの観察から馬の「原型」を知っており、「素材」を「形」に変えることができたからである。では自然界では誰がその彫刻家の役割をするのだろう。

 彼は自然界の現象の中には「目的を持った原因」があると説いている。ガラスが割れた。「どうして?」

「ペーターが石をぶつけたから。」

しかし、アリストテレスの原因追及はここでは終わらない。

「どうしてペーターは石を投げたの?」

そこまでを追求する。彼は自然現象の中にもそれを見つけようとし、あらゆる自然現象にも目的があるとした。

「どうして雨は降るの。」

「水が蒸発して空気中の水蒸気となり、それがまた地上に降ってくるから。」

と言うのは直接的な原因である。

「動物や植物が水を必要とするから。」

それが彼の言う「目的を持った原因」である。

 アリストテレスはまた分類学の祖でもある。物質を「形」と「素材」に区別したように、彼は全ての物を「非生物」と「生物」に区分し、「生物」を「動物」と「植物」に区分し、「動物」を「人間」と「それ以外」に区分し・・・という具合に分類していった。

 同時に彼は論理学にいくつかのルールを定め、学問として高めた。例えば、

「ネズミの母親は子供に乳を与えるか?」

という問い。誰も、ネズミが子供を育てているのを見たことがないとしよう。

「哺乳類は自分の子供を母乳で育てる。」

「ネズミは哺乳類である。」

という知られた事実から、三段論法を使い、

「ネズミは子供を母乳で育てる。」

という結論を導くことができる。この三段論法もアリストテレスの定めた論理学のひとつのルールである。

 事物を分類して行くと、最後には「人間」と「動物」の区別に行き当たる。人間が他の動物とどこが違うのかという問いに対して、アリストテレス「人間は神から与えられた合理的に考える能力を持っていること」と述べている。ここで登場する「神」とは、「自然を最初に動かし始めた者」ということである。自然現象に何らかの目的があるとすれば、その目的を知って、最初にそれを起動させた者がいるはず、それをアリストテレスは「第一動者」すなわち「神」とした。

 またアリストテレスは人間の幸せとは、「与えられた可能性を全て開花させること」、「黄金の中庸、調和の取れた人生」であると述べている。また人間は「政治的な存在」であり、国家の政治においても「中庸」が大切であると主張している。アリストテレスによると、社会を具現した最高の形が国家であり、その国家は三つの形から成る。「君主制」、「貴族性」、「民主制」である。

 残念ながら、アリストテレスの女性観は、「女性には何かが欠けている」、「人間の本質は、男性によって子孫に受け継がれていく、女性はその手段にすぎない」というものであった。この女性を「不完全な者」と考えることは、中性キリスト教により踏襲されていく。

 

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