「バロック」

 

ルネッサンスの人間賛美から一歩下がり、「今を生きよ」、「人間は移ろい易い」、「人間はいつか死ぬ」、バロックの背景にはそんな考えがあった。おりしも、絶対君主の時代、彼らは享楽的な生活と、劇場を好んだ。フランスかぶれのスウェーデン王、グスタフ三世は、劇場での仮面舞踏会の最中、暗殺されている。

「人生は劇場である。」これはシェークスピアの「お気に召すまま」の有名な台詞である。また、「人生は夢である」という考え方も蔓延した。「胡蝶の夢」、蝶になる夢を見た人が、自分は本来人間で蝶になる夢を見たのか、本来は蝶で、人間になる夢を見ているのか分からない、そんな寓話がもてはやされた。

全ての現象は確固たる物質からなるという、「マテリアリズム」(唯物論)が広まる。トマス・ホッブス(Thomas Hobbes 15881679は「人間の精神でさえ小さな粒子によって作られている」と述べた。ニュートン以来の物質主義は更に発展を見せ、自然は「メカニズム」によって成立している、つまり動物も人間も全て「メカニズム」、「機械」であると考える人も増えた。そして、同時に「運命決定論」、全ては地図に書かれていて、人間はそれを変えることができないと考えられた。

ロシアで無心論者の宇宙飛行士とキリスト教徒の脳外科医が話したという冗談がある。

宇宙飛行士「宇宙を飛んだけれど、『神』を見かけませんでした。」

脳外科医「脳を手術したけど、『思考』を見かけませんでした。」

ホッブスの述べたように、人間の「思考」、「精神」小さな物質の単位に分けることができるのだろうか。それとも物質は分けられても、精神は分けられないのであろうか。その「肉体」と「精神」の関係を解き明かそうとしたのが、デカルトとスピノザである。

 

デカルト

 

ルネ・デカルト(René Descartes 15961650は、「正しい認識は、理性によってのみ可能」であるとした。若い頃きっかけを求めあちこちを旅したデカルトは、三十六歳で「方法序説」を刊行する。それはまさに新しい時代の哲学であり、その後の哲学者、スピノザ、ライプニッツ、ロック、バークレー、ヒューム、カント等に大きな影響を与えることになる。その意味で、デカルトは新時代の哲学の創始者といえる。

 「自分たちの認識している世界はどれだけ確かなものであるのか」、「肉体と精神の関係はどのようなものなのか」。それがデカルトだけではなく、当時万人にとっての疑問であった。自然科学が発達しても、それらの疑問は依然未解決のまま残されていた。特に、「精神と肉体」の問題は、肉体という「機械的なもの」「メカニズム」に、精神がどのように影響を及ぼすのか、まだはっきりとした解答を出した者はいなかった。デカルトは、これらの疑問に答えるにあたり、自然科学のように、実証的な方法論が哲学にもあるはずであると考えた。

彼は「方法序説」の中で、哲学者がどのような方法で哲学的な命題を解くべきかを述べている。それは、一種の数学の公式のようにも見える。その「公式」のいくつか。

 はっきり見える真実意外を見てはいけない。

● まず問題をできるだけ小さな単位に分けて考える。

● 簡単なものからだんだん複雑にしていく。

彼は、古い土台の上には新しい建物は建たない。既成概念を捨て、新しい土台の上にのみ新しい建物を建てることができると主張した。新しい考えを構築する道具となるのは、彼もやはり「理性」であると考えた。「五感」はまず疑ってかかるべきであると彼は述べている。

既成概念の全てを疑ってかかる、そうすると自分で考えなくてはならない、考えることにより、自分で考える以上の世界を知ることができる。それが彼の残した有名な言葉、「我思う、故に我有り」の真意である。

では、考えることにより最終的に何を知ることができるのか。それは「完全な者」イコール「神」の存在である。どうして人間は「完全な者」の思い浮かべることができるのか、それは、その「完全な者」が本当に存在するからである。「完全な者」、「神」を信じるということは、人間が生まれながらにして持っている資質であるとデカルトは述べた。

彼は人間の感覚はふたつのものに分けることができると述べた。ひとつは量的な特徴、重量、長さ等を知るもの、もうひとつは質的な特徴、色、匂い、味などを知るものであるという。そして後者は現実ではない。

この世にはふたつの形が存在する、ひとつは「考えること」つまり、精神や思考である。もうひとつは「発展」、つまり物質である。このふたつは世界を作っている材料と言えるが、また、このふたつはお互いに独立している。動物というのは、後者つまり「発展」の最も複雑な形のメカニズムであると言える。

デカルトは、人間はメカニズムであって、ない、二重の存在であると考えた。人間だけが、「考える」こと「精神」を持っている。そして、独特の組織が精神と肉体を結んでいる。「バスに乗り遅れる」と考えれば足が動き、「バスに乗り遅れた」ら涙が出るというように。そして、「発展」である肉体は衰えても、「考えること」、精神は衰えることがない。

ともかく、デカルトは哲学に対して確固たる方法論を打ち建てようとし、それに成功した人物であった。

 

スピノザ

 

1632年から1677年までオランダのアムステルダムで暮らしたバールーフ・スピノザ(Baruch De Spinozaはユダヤ人であった。彼は公の宗教とその儀式を批判し、それゆえに迫害を受け、暗殺計画まであったという。彼は「歴史批判的な聖書解釈」を行った。それは聖書が細部に至るまで神の啓示によって書かれたということを否定し、その書かれた時代背景を基に聖書を解釈しようという考えである。それにより、彼は、キリスト教会、ユダヤ教会の両方から大反発を食らい、家族からも勘当を受け、眼鏡のレンズを磨いて生計を立てたと言う。

彼はイエスの述べる「愛」が、神に対してだけでなく、人間にも向けられるべきであると述べた。また、永遠の、「宇宙的な」視点で物を見ることを唱え、「自然」イコール「神」であり、神は世界を創造しただけではなく、それ以来自然の中にずっと宿り続けている存在であると述べた。

 

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