フロイト

 

 フロイト(Sigmund Freud 1856-1938)は、ウィーンで生まれ、そこで医学を学び、神経科の医者となった。しかし、彼は医者であるが、同時に「文化哲学者」であると言うことができる。彼は「無意識」または「意識下」の人間の姿を発見した。

 彼は、人間と環境の間には葛藤があると述べた。人間が「こうしたい」という欲求と、「こうしなければならない」という現実の間の葛藤と言うこともできる。そして彼はその「欲求」の世界が、必ずしも合理的なものでないことを証明した。これは、合理主義への批判である。そしてその意識下の欲求は、時に形を変えて、知らない間に表面に現れてくると彼は考えた。

 その意識下の欲求の根本は「性欲」「性的なもので」、彼は「子供にも性欲がある」と述べ、性的な話がまだタブーとされていた当時の社会に大きな波紋を投げかけ、批判を浴びることになった。

 彼は、精神的な葛藤は、子供時代や過去に原因があることが多いと述べる。精神分析は、心の中で過去の出来事を発掘していく、言わば精神的な「考古学」であると彼は考えた。そして、精神的な葛藤、病気は、忘れ去られた、いや忘れ去るように努力された「原因」を見つけることにより、解決されると彼は考えた。

 生まれたての赤ん坊は自分の欲求のままに生きる。腹が減れば泣くし、おむつが汚れれば泣く。フロイトは、このように生まれながらにして持っている欲求を「エス」(Es)と名付けた。「エス」は大人にも存在する。しかし、成長するに従って、人間は「エス」をコントロールすることを覚える。それは、人間が環境に適応するための、「エゴ」(自我)が形作られたからである。しかし、人間は、主に道徳的な理由から、「こうしなさい」「これをしてはいけない」という命令を受けて、それに従っている。それを「スーパー・エゴ」(超自我)とフロイトは名付けた。

 先にも書いたが、当時は性的な話題はタブーであった。子供はごく自然に性器をいじるが、それを「そんなことをしてはダメ」と親が厳しくたしなめる。その結果、性的な欲求に対する「罪の意識」、「超自我」が生まれ、人間は、快楽と罪の意識の板ばさみになって悩むことになる。フロイトによると、当時はそれがノイローゼの大きな原因となっていたという。

例えば、姉の夫を好きになった妹が、姉が死ぬ際に「これであの人は自由になった」と考えた。その一瞬の考えを妹は忘れてしまったが、それが彼女にヒステリーの症状を引き起こす。フロイトの治療により、妹がそれ思い出すと、彼女の症状は治ったという。

 フロイトは「意識」は人間の心の中のほんの一部にすぎないと考えた。人間が、見たり、聞いたり、経験したことの多くは、前意識として、仕舞いこまれてしまう。特に、不快なことについては、「意識」忘れ去られてしまい、「無意識」の中に格納されてしまう。しかし、時にそれを無理に抑圧しようとすることで、人間は病気になる。

また、その無意識の中に仕舞いこまれたものは、「失敗」、「言い間違い」、「無意識の行動」となって表面に現れてくる。例えば、気に入らない上司のためのパーティーの乾杯の音頭を取った部下が、「乾杯」(ドイツ語でanstossen)の代わりに「げっぷをする」(aufstossen)と言ってしまうように。失敗に背後に「無意識」が作用していることが多い。そして、それを無理矢理隠そうとしても、モグラ叩きのように、それはあまた、違うところから顔を出してしまうものなのである。

 フロイトは、「無意識」世界に入って行く最良の方法は「夢」であると考えた。彼にとって夢は偶然の産物ではない。人間が眠っている間、理性による「検閲」が少なくなり、意識の下に埋もれていたものが顔を出す、それが夢であると彼は考えた。そして、その夢を分析することにより、人間の深層に入って行くことができると考えた。夢はある程度「暗号化」されているが、それを医者の力を借りて解読していけば、本来のメッセージを受け取りことができるというのである。彼は「夢判断」という書物を発表し、その中で、数多くの夢判断の例を示している。

 フロイトの「無意識」の世界の発見は、芸術にも多くの影響を与えた。人間は毎晩夢を見ている。つまり、人間は誰もが夢の「作家」である。言い換えれば、人間は誰もが独創的な能力を持っている。「シュールレアリズム」(超現実主義)は、人間の持つ独創的、幻想的な夢の世界を、できるだけ理性で修正することなしに、そのまま表現しようとする動きであった。

 無意識の扉が少し開いて、隠されていたものが突然顔を出す。フロイトはそれを「インスピレーション」と呼んだ。疲れきった子供を観察していると、突然習ったこともないようなことを話し出すことがある。これは、実は習ったけれど、意識の下に隠されていたものが、疲れにより「検閲」が少なくなり、表面に出てきたものだと、フロイトは考えた。

 芸術家は、その理性による「検閲」を抑え、出来るだけ「インスピレーション」を引き出すことから、作業を始める。その際、中から湧き出すものを遮ってはならない。しかし、もちろん、「思いつき」(インスピレーション)や「幻想」(ファンタジー)だけで作品ができるわけではなく、それを「理性」により作品に構築していかねばならない。その意味では、芸術作品は「幻想」と「理性」のミックスされたものであると言える。

 この考え方はひとつの寓話で語ることができる。ダンスの上手いムカデがいた。それを妬んだ亀がムカデに手紙を送る。

「僕もダンスを習いたいのだけど、最初に上げる足は何だい?二百二十八番目、それとも二百三十一番目?次に上げる足は、四百八十七番目、それとも四百九十二番目?」

ムカデは、それを読んで考え込んでいるうちに踊れなくなってしまった。これは「思考」が「幻想、ファンタジー」を押し殺してしまった例と言える。こうなってはいけない。

 フロイトの考え方は、ダーウィンの進化論に似ている。進化の発端となる「突然変異」がまさにこの「インスピレーション」である。しかし、使えるものも、使えないものもある。まさにその時代に適合した「突然変異」、「インスピレーション」だけが生き残り、後世に残ることになるという。

 

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