ポヨ子さんの手記、村の学校

 

ベティヴァツ学校の先生たちと。

 

 翌朝、私は家のすぐ傍を流れる川で顔を洗い、着替えた後で、朝食の席に就いた。朝食は、甘くて美味しいコーヒー、タイヨウ(ツナの缶詰)、ココナッツのクラッカーだった。この取り合わせはわたしの滞在中、ほぼ変わらなかった。たまに、誰かが町に出てパンを買ってきた後だけ、クラッカーが白い食パンに代わった。

 学校までの道のりは約十分。アップダウンのある藪の中の小道を行くと、突然開けた場所に出る。そこがベティヴァツ小中学校だ。皆学校に着くと、先ず水タンクの横で、足の泥を洗い落とす。道が悪く、特に雨の降った後など、足が泥の中にズブズブと沈み込んでいく。子供たちが学校に集まってくる。それを見ているわたしは不思議に落ち着いた気分だった。二十四時間以内に色々なことがありすぎて、私の神経が新しいことに対して少し麻痺していたのかも知れない。

 学校での第一日目は、とてもゆっくりしたペースで進んだ。まず、校長先生と、その他の先生方に挨拶をする。その後、リツコさんとふたりで、じっくりと学校と幼児園の全てのクラスを順番に見て回った。学校の中は、本当に必要最小限の設備だけがあった。教室は木造のバラックで、電灯がない分窓が大きくとってあるので、中は結構明るい。学校で使う教科書を、子供たちは持ち帰ることがなく、本は全て小さな職員室に保管されていた。

先生たちは皆優しく親切な人ばかりだったが、どうも「教育への情熱」には欠けている人たちのように思えた。ソロモン諸島の学校はとても「リラックスした」雰囲気、生徒に知的な議論を喚起する必要性や、決まった時期までにある教材をやり終えなければならないという切迫感がない。(いや、少しはあるのかも知れないが、ヨーロッパの学校に比べれば「ない」と言っていいと思う。)わたしにとって、学校で教えることは退屈ではなく、面白い体験だった。しかし、一日が「時間割」で厳しく縛られている英国の学校と違って、今日はあれをしてこれをしてという「縛り」が全然ない。それが、学校での時間が随分ゆっくりと流れるように感じられた理由かも知れない。

先生たちは一日のうち、何回かいなくなる。リツコさんの話によると、「専業」の先生というのは少ないらしい。わたしが先生の出勤簿を見ると、「ホニアラ(首都)へ買い物へ行くので」と言う理由で休んでいる先生もいた。どの先生も殆ど授業の準備をしない。そもそも、教科書の他に教材はないので、それにそって授業を進めるしかないのだ。授業のないとき、ある先生は狭い職員室でギターを弾き、ある先生はおやつにトウモロコシをかじり、数人の先生は校庭の隅のベンチに並んで腰をかけておしゃべりに余念がない。そんな生き方は、確かに楽には違いないけれど、たまにはもう少し「努力」があってもよいのでは、とわたしは思った。リツコさんも、日本にいるときに比べると余りにもやるべきことが少ないのでついつい怠惰になってしまうと言っていた。しかし、実際のところ、リツコさんは部族語を覚えたり、村のイベントを企画したり、積極的に時間を使っていた。わたしもそれを見習わなければと思った。

 

校庭で遊ぶ小学生。

 

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