ポヨ子さんの手記、町に戻って

 

ベティヴァツに行くには、川を幾つも越えなければならない。

 

 翌朝リツコさんとわたしは、朝五時四十分に起きて歩き始めた。わたしの記憶が確かならば、村人たちはその時間にもう起きだして、歌っていたように思う。最初の予定では、ベティヴァツ学校の少し向こうまで歩き、そこで町に行くトラックに拾ってもらうことになっていた。ところが、土曜日のせいだろうか、その場所まで行ってもトラックの陰も形もない。わたしたちはもう少し歩くことにした。

 わたしたちは三十分歩いて、ベラハという場所に着いた。リツコさんによると、そこがトラックの「ピックアップ・ポイント」つまり停留所だということだった。ところがそこに行っても、トラックの気配さえない。今日トラックがあるのかないのか、どこまで行ったらトラックがあるのか、全然分からないまま、わたしたちはまたテクテクと歩き出した。

 それから一時間半歩いて、セント・ジョーゼフ・テナル・スクールという学校の前まで来た。そこから、海岸沿いのメイン・ロードまではそれほど遠くないはずだ。わたしたちはもう三時間近く歩き続けで、かなり疲れてきていた。通りかかる車があれば、何としてでも乗せてもらおうという気分だった。果たして、間もなく一台のトラックが横を通りかかり、わたしたちはそれの荷台に乗せてもらうことができた。気がつくと、トラックは海岸線の平らな道を走っていた。

 ヒッチハイクで町に着いたリツコさんとわたしは、ショッピングセンターで、冷たいコークにハンバーガー、フライドポテトという、「天国のような」朝食を取った。村での食事も美味しくて別に不平はないのだが、歩き続けて死ぬほどお腹が空いていたせいか、しばらく肉を食べていなかったせいか、最近甘いサツマイモばかりでジャガイモを食べていなかったせいか、その時の食事は特に美味しく感じた。

 リツコさんとわたしは、「生き返った」気分で。そこから「バス」に乗り、中央市場までやって来た。バスは十四人乗りくらいの小さなものだ。ベティヴァツに学校でわたしが教えている、顔見知りの少女が何人か市場にいて、蘭の花を売っていた。中央市場から坂を登り、わたしたちはやっと、JICAの「ドミ」に辿り着いた。わたしは汗だくで、埃だらけだった。「ドミ」自体、わたしにとって慣れた場所ではないのだが、ひとまず、電気と水道のある場所に戻ってきて、わたしは本当にホッとした気分になった。しかし、突然「文明」の中に戻ってくると、最初の数時間はとても変に感じる。

 もうひとりのボランティアのアツシさんがまずドミに戻って来て、次にヴィサレからツルちゃんとニナくんが戻ってきた。ツルちゃんとアツシさんは顔を合わすなり、学校での教え方について口論を始めた。わたしは教えることをそんなに深刻に考えていないが、それはもちろんわたしが数週間の間だけの先生だからだ。二年間、同じ学校で教え、試験とか、進学とかの責任を負わなくてはならないアツシさんやツルちゃんは、当然、教えることについて何倍も真剣にならざるを得ないのだろう。そう考えると、彼らの口論を聞きながら、わたしは何も言えなかった。

 

中央市場で野菜と果物を売る家族。

 

<次へ> <戻る>