ポヨ子さんの手記、別世界

 

ホニアラの港、時々コンテナを乗せた船が着く。

 

 その次の金曜日、わたしはリツコさんと、学校の先生と職員の半数と一緒に再びホニアラに出た。何故一度にそんな沢山の人が首都へ行くかというと、二週間に一度彼らの「ペイ・デイ」つまり給料日があり、そのときは町の銀行まで小切手を取りに行かなくてはいけないからだという。わたしは五時半に起きて、辺りが明るくなりだすとすぐに、リツコさん、モリス、ジョジーナと村を出て、ベラハに向けて歩き出した。モリスとジョジーナは、毎日、ホニアラの学校まで通っているということだ。ご苦労様。

 ベラハでは、先週とは打って変わり、これから町まで仕事や通学で行く大勢の人たちが、トラックを待っていた。果たして今回はトラックが到着。二十人以上の人が、狭いトラックの荷台に乗れるかハラハラしていたが、何とか無事全員乗ることができた。

わたしはギュウギュウ詰めのトラックに荷台の後ろの方に、膝を抱いて小さくなって座っていた。周りの男性も女性も、荷台に腰をかけたり、ぶら下がったり、危なくないのかしらと思うような姿勢でトラックに揺られている。道はデコボコで、泥だらけ。トラックはボンボンと跳び上がり、その度に隣の人と「ゴッツンコ」をする破目になる。太陽の昇りつつあるヤシの林の中で、三十人の人たちとぶつかり合っているというのは、まったく「シュールレアリスティック」、現実離れした体験だった。

トラックは、道々少しずつ人々を降ろしながら、三十分ほどで、ホニアラの町の真ん中に着いた。一度「ドミ」に寄ってから、リツコさんとわたしは買い物に出かけた。「メンダナ・ホテル」という、日本企業が経営するホテルの前で、わたしたちは偶然、そのホテルのジェネラル・マネージャーをやっておられるヨウコさんと出会った。JICAボランティアで、やはり学校の先生をやっておられるマドカさんも一緒だった。自己紹介をすると、ヨウコさんは、わたしの父を知っていると言われた。(昨年の暮れ、父が島に来たとき、父はこのホテルの支配人と食事をしたとのこと。)また、父の書いた旅行記も、インターネットで読んでおられた。

わたしたちは、ヨウコさんに、ホテルのレストランで、お茶をご馳走になった。ホテルは、お世辞にもきれいとは言えない町並みの、埃だらけの道に面しているのだが、その中は別世界だった。高い天井。テーブルの上にはきれいに畳まれたナプキンが置かれている。ヨウコさんは村でのわたしの生活に興味津々という感じで、わたしがどんなふうに暮らしているのか詳しく尋ねてこられた。

「別に大した苦労もなく、楽しくやっています。」

とわたしが言うと、ヨウコさんもマドカさんも少し驚いた様子だった。

「モニカさんのように、ここへ来るチャンスを与えてもらって、それを素直に受け入れられた人なら、抵抗なくこちらの暮らしに入っていけるでしょうね。」

マドカさんの言ったことは当たっていると思う。わたしが特に勇敢だと言うわけではない。わたしは自分の与えられたチャンスを幸運だと思っているだけなのだ。

 

海の向こうに見える島は火山島。

 

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