教育と体験

 

さようなら子供達。

 

しかし、わたしが今回の旅行で得た「広い視野」、「世界的な眼」も、それほど長続きしないことを、わたし自身分かっている。昨年までも、夏の間に素晴らしい体験をして、自分が大人になったと感じた。言うならばわたしは夏の間に二歩前進した。しかし、その後学校と日常生活に戻り、勉強や試験、つまらない心配事にあたふたしているうちに、そんなことは忘れて、また二歩戻ってしまうのが普通なのだ。せめてその後退を今回は一歩で食い止めたい。

わたしは、自分が享受できる良い教育や恵まれた生活を否定するつもりはない。良い教育環境にいるからこそ、文学や、音楽や、絵画など、わたしの人生にとって大切な物に触れることができ、それを楽しむことができるのだ。また物質的に恵まれた環境があるからこそ、わたしは旅行ができる、友人に恵まれているからこそ、彼らと付き合い議論をすることにより自分を伸ばしていける。

しかし、わたしは「教育」は「体験」により裏付けされる必要があり、「体験」は「教育」により真に自分のものになるということ、つまり、どちらが欠けても意味がないということに気がつき始めていた。わたしの学校は、比較的恵まれた「ミドルクラス」の子供たちが集まっている場所、わたしもそのような環境で今まで過ごしてきた。しかし、わたしには、その意味を理解するために、本当の「体験」、「もっと広い視野」が必要だったのだ。
 最後の日をブリスベーンで過ごしながら、わたしはそんなことを考えていた。そして、そんな考えは、今回の旅行で見つけた最も大切なお土産であるという気がする。旅を終えるに当たり、わたしが旅先で出会った、いつも興味深く、いつも親切だった人たちの顔を思い浮かべながら、ほんの少し「広い視野」を持ったわたしは、これまでの生活、境遇に感謝を捧げた。そして、その気持ちを忘れないで、次の夏休みまでの一年間を生きていこうと思った。

 

さようなら村の少女たち。

 

<了>

 

<戻る>