旬、ムール貝

 

 ロンドンには三日間いただけ。金曜日、僕はアムステルダムに向かった。顧客が週末にコンピューターのシステムを切り替えることになっており、その作業を僕が担当したのだ。いつも強風が吹き荒れるオランダ。しかし、今回は風も無く穏やかな天気だった。

 金曜日、顧客のオフィスで翌日からの作業について打ち合わせをした後、僕はひとりで空港近くのホテルに入った。チェックインを済ませて、ホテルのレストランへ行く。金曜日の夜と言うことで、泊り客は少なく、レストランは二、三席しか埋まっていなかった。

 とりあえずビールを頼み、何を注文しようかとメニューを眺めていると、

「ジーランド産のムール貝が美味しいですよ、いまが季節です。どれだけ食べても十七ユーロ。どうです。」

と年配のウェイターが英語で勧めてくる。悪くない。僕はそれを注文した。ジーランドと言うのは、オランダの北の方らしい。ニュージーランドが有名になりすぎて、本家は完全に忘れ去られている。誰もがニューヨークは知っているが、ヨークがどこにあるのか知っている人は少ないように。

 先ず、サラダとポテトが出て、その後、直径二十五センチ、深さ十五センチ、ホーローの蓋付き容器に入ったムール貝がやって来た。蓋を取ると湯気と一緒に貝とワインの香りが広がる。美味しそう。せっかくだから、ワインも注文しよう。

「貝にとてもよく合う白ワインがあります。一本三十一ユーロです。」

とウェイター氏。一本も飲めない、ハーフでいいと言うと、

「残ったら、お部屋へお持ちになったらいいじゃないですか。」

と言ってくる。それで、ぼくはボトル一本を注文した。

 ムール貝、殆どの容積を黒い貝殻が占めていて、食べられるオレンジ色の肉はわずかだ。僕は次から次へと洗面器のような鍋から貝を取り、中身を食って、殻を皿に積み上げていく。確かに新鮮で美味い。ウェイター氏推薦のワインも確かに貝によく合った。香味野菜のセロリ、ニンジンなどもパリパリして食べても結構ける。

 いかに食べられる部分がわずかと言っても、洗面器一杯分のムール貝を片付けると、さすがに腹が膨れた。ワインを注ぎにきたウェイターが、容器が空になっているのを見て、

「お変わりをお持ちしましょうか。」

と聞いてくる。食べ放題なのだ。満腹、もうそんなに食えないと言うと、

「では、ハーフポーションにしましょう。」

そう言って、僕の返事も聞かず、彼は去って行った。十分後、先程よりは心持ち量は減ったが、また洗面器に一杯のムール貝。全部は食べきれずに、降参した。

 勘定を済ませて部屋に戻るとき、ウェイター氏が、ワインのビンを足つきの銀製バケットに入れ、それを静々と捧げ、部屋までついてきた。ロビーや、廊下を、ワインを持ったウェイターを従えて歩いているのは、何だか富豪になったようで、照れくさい気分だった。

 

<戻る> <次へ>