時差ボケ調整

 

 閉店間近の十時過ぎにNさんが店に現れた。暖簾を下ろした後、大将も含め三人で三十分ほど酒を飲んだ。それからすぐ傍のNさんの家に行き、疲れと酔いでフラフの僕は、あっと言う間に眠ってしまった。ロンドンはもう朝を迎える時間だった。

 翌日金曜日、Nさんは仕事。僕は朝起きて、調整の為に少し走ってみることにした。汗をかくために、長袖のTシャツの上に防水のウィンドブレーカーを着込み、ゆっくりと走りだした。身体が重い。自分の身体が自分のものでないような気分。これ以上はゆっくり走れないというくらいゆっくり走ったのに、一時間後には疲れ果て、おまけに膝まで痛くなった。時差のある長距離を移動した後はいつもこんな状態になるので、ある程度は計算済みだったが、あと二日でベストの状態まで回復できるかどうか、どうも確信が持てない。

 簡単な朝食の後、僕は列車で、ゼッケンを取りにシカゴのダウンタウンに向かった。Nさんの家の前から出ている「メトラ」と呼ばれる二階建ての列車はこれまでも何回か利用している。電車に乗っている間の四十五分ほどの間に、外では雨が降り出したようだ。

 終点で降りて、雨の中、マディソン通りをミシガン湖の方へ向かって歩く。数週間前、ロンドンへ送られてきた書類によると、スタートはミシガン湖畔のバッキンガム噴水の近く。とりあえずそちらへ向かう。冷たい雨の中を傘なしで十五分程歩いて、スタート地点へ着く。テントが幾つか立っているがいずれも空っぽ。ゼッケン受け渡し場などありそうにない。僕はちょっと泣きそうな気分になった。

 その時、「シカゴマラソン」と書いたプラスチックの袋を持ったカップルが通りかかった。その袋は、荷物を預けるためのものであることは、これまでの経験から容易に想像できた。

「ゼッケン(ビブナンバーと言うのだが)、どこで受け取られました。」

と彼らに聞いてみる。一度街へ出て、地下鉄の「レッドライン」に乗って(シカゴの地下鉄は色で路線分けされている)チャイナタウンで降りて、そこから出ているシャトルバスに乗り、エキスポ会場行くと、そこで貰えるというお言葉。有り難や。僕はまた雨の中を歩き、地下鉄の駅まで行き、市の南へ向かう地下鉄に乗った。地下鉄の駅や車両は薄汚くて、乗っている乗客も、余り上品とは言えない人たちばかりだ。

 ともかく、僕は言われた通りの経路で無事エキスポ会場に着き、そこでゼッケンと「グディーバッグ」と呼ばれるお土産入りの袋を受け取った。マラソン当日は、その袋に着ていたもの入れて、預けることになるのだ。

 地下鉄で、またダンタウンまで戻り、「メトラ」の駅へ向かって歩く。朝飯を食べたきりだが、何となく胃が重くて食欲が湧いて来ない。いつもの時差ボケの症状だ。二時半の列車に乗って、三時過ぎにはマウント・プロスペクトに戻った。テレビをつけると、野球のディヴィジョンシリーズ、ホワイトソックス対レッドソックス戦をやっていた。ビールを飲みながらNさんが戻るまで、その試合を見る。夕食は僕が鶏の照り焼きと鮟鱇鍋を作った。明日は少し気分が良くなることを期待しつつ、僕は夕食後直ぐにベッドに入った。

 

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