北へ、西へ、そして南へ

 

 午前八時、周囲の群衆が動き出した。八時二分、「スタート」と書いたゲートの下をくぐる。僕は、腕時計のストップウォッチをスタートさせる。今日は、この前ロルフにもらった、「メンヒェングラードバッハ・フォルクスガルテン」と背中に書いた、新品のランニングシャツのお披露目だ。それにサングラスと「1FCケルン」の帽子。誰が見てもドイツのランナー。

 シカゴマラソンは、ダウンタウンのミシガン湖畔をスタートし、先ず北へ向かう。ある程度まで行ったら折り返すような形でまたダウンタウンに戻る。そこから今度は西へ向かい、またダウンタウンに戻る。そして、最後に南に向かい、再びダウンタウンも戻るというコースだ。何故東に向かわないかと言うと、東に向かって走ると一分後にはミシガン湖に飛び込んでしまうからだ。

 体調は思ったほど悪くなかった。僕は息が切れないくらいのペースで慎重に走った。最初の給水所は混雑して危ないので、十キロくらいまでは、スポーツドリンクのボトルを手に持って、時々飲みながら走る。前列からのスタートだったので、どんどん抜かれていく。しかし、ここで焦らないことが肝要。後半、どのみちこの人たち抜くことになるんだから。

 十キロ、空になったスポーツドリンクのボトルを棄て、十五キロの給水所で「ゲータレード」(スポーツドリンク)に手を出す。早く中間点まで行きたい。残りの方が少ないと思うだけでも、気分的に楽だから。

 中間点を通過。一時間四十九分。ケルンのときより八分早い。中間点で、「340」と書いたカードをつけた竹の棒を掲げて走っているペースメーカーに追いつき、しばらくその集団の中で走ることにする。被っていた帽子をこの日も観衆にプレゼント。「1FCケルン」の帽子はカロラが僕の家族全員にひとつずつ、合計五つ土産にくれたので、惜しくないのだ。

 三十キロを過ぎ、コースは南へ向かう。ペースメーカーとその集団から抜け出して前に出る。いよいよ、「後半のモト」「黄金の差し脚」の出番だ。しかし、その日は不発。ケルンの時のように軽快に足が前に出ない。雲が切れ、太陽が照り始め、気温も上がってきた。三十五キロで、北へ向かう。足はますます重くなる。只、周りのランナーがもっと遅く、どんどん抜けるので、何とか気持ちが切れなくてすむ。

チャイナタウンを通過。沿道の応援団も中国人が多い。ホワイトソックスの本拠地、コムスキーパークを通過。ダウンタウンの摩天楼が視界に入る。しかし、それがなかなか近づいてこない。周囲のランナーはもっと遅くなり、自分が抜きまくっていることには変わりはない。

 最後、ミシガンアヴェニューから大きく右へ折れ、坂を上り左に折れ、ホームストレッチ。足の疲れは限界に近い。こんなに無理をしたら、きっと明日が辛いだろうな。「ゴール」のゲートを潜る。時計を見ると、三時間三十三分。三時間半を切れなかったのは残念だが、一応自己新記録。調子の悪い中、最後まで緊張感を持続して走り切れた。

 それより何より、僕はほっとした気分に包まれていた。もう走らなくてもいい。やっと終わったんだと。

 

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